歴史
- 1914年(大正3年)10月31日:伊那電車軌道(1919年に伊那電気鉄道へ改称)の赤穂(現・駒ケ根) - 宮田間延伸時に大田切停留場として開業[1][2]。
- 1943年(昭和18年)8月1日:伊那電気鉄道が飯田線の一部として国有化されると同時に廃止[1][2]。
- 1946年(昭和21年)9月1日:運輸省(後の日本国有鉄道)の大田切駅として再開業[1][2]。(旅客駅)[2]。
- 1954年(昭和29年)12月1日:東京都区内の各駅や長野駅を発着する旅客も利用可能となる[2]。
- 1971年(昭和46年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる[2][4]。
- 1999年(平成11年)9月1日:現在の待合所に改築。
駅構造
単式ホーム1面1線を持つ地上駅[1]。ホームは本線の東側にある。
伊那市駅管理の無人駅で、ホーム上に待合所がある。ホームがカーブ途中に設置されているため、車両とホームの間には隙間ができる。
駅出入口(2023年3月)
利用状況
1日平均乗車人員は以下の通りとなっている。
駅周辺
駅から徒歩約3分の所に自動車教習所(駒ヶ根自動車学校)がある[1]。宮田駅側には、太田切川に架かる飯田線・大田切川鉄橋があり、鉄道写真の名所として知られている。
- 国道153号
- 長野県看護大学[1]
- 長野県立こころの医療センター駒ヶ根(旧長野県立駒ヶ根病院)[1]
隣の駅
※1918年(大正7年)まで、当駅と宮田駅の間に駒ヶ原停留場が存在した。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、194頁。ISBN (9784784071647)。
- ^ a b c d e f g h i j 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、109頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。
- ^ 「通報 ●飯田線向市場駅ほか10駅の旅客の取扱いについて(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1971年11月30日、6面。
- ^ 曽根悟(監修)「飯田線・身延線・小海線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第3号、朝日新聞出版、2009年7月26日、17頁。