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塩狩駅

塩狩駅(しおかりえき)は、北海道上川郡和寒町字塩狩にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。電報略号シリ事務管理コードは▲121809[2]駅番号W37

塩狩駅
駅舎(2009年7月)
しおかり
Shiokari
W36 蘭留 (5.6 km)
(7.9 km) 和寒 W38
所在地 北海道上川郡和寒町塩狩
北緯43度58分3.5秒 東経142度27分17秒 / 北緯43.967639度 東経142.45472度 / 43.967639; 142.45472座標: 北緯43度58分3.5秒 東経142度27分17秒 / 北緯43.967639度 東経142.45472度 / 43.967639; 142.45472
駅番号 W37
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 宗谷本線
キロ程 28.4 km(旭川起点)
電報略号 シリ
駅構造 地上駅
(ホーム) 2面2線
開業年月日 1924年大正13年)11月25日[1]
備考 無人駅
(テンプレートを表示)

歴史

当初は単なる信号場として設置されたが、入植者の増加や塩狩温泉の開業もあり、1924年(大正13年)から旅客駅として営業を開始した[3]

年表

 
1977年の塩狩駅と周囲約500m範囲。上が名寄 方面。(千鳥式ホーム)2面2線であるが、上下線の真ん中に、今は撤去されて無くなった待避線が見える。貨物積卸場は無い。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅名の由来

天塩国石狩国の国境にあることから[4]

駅構造

隣の蘭留駅と同じく、相対式ホーム型がずれた形の(千鳥式ホーム)2面2線を有する、列車交換可能な地上駅構内踏切で結ばれている[8]和寒町管理の無人駅。木造駅舎がある。

1993年(平成5年時点)では構内の旭川方のみ駅舎側が直進の片開分岐、稚内方は両開き分岐器を採用し、駅舎側が下り本線・反対側が上り本線となっていたが[8]、その後高速化にあわせて駅舎側を本線とした一線スルーになっている。また、かつては上下線の中央に待避線が1本あったが、無人化に伴い撤去された。

のりば

番線 路線 方向 行先
1 宗谷本線 下り 名寄音威子府方面
1・2 上り 旭川方面
  • 2番線は一部列車のみ使用

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1924年(大正13年) 10,952 (30.0) [3] 同年11月25日に旅客営業開始
1928年(昭和3年) 13,317 (36.5)
1933年(昭和8年) 10,380 (28.4)
1938年(昭和13年) 16,145 (44.1)
1943年(昭和18年) 37,355 (102.1)
1953年(昭和28年) 33,405 (91.5)
1958年(昭和33年) 52,516 (143.9)
1963年(昭和38年) 39,245 (107.2)
1948年(昭和43年) 24,210 (66.3)
1973年(昭和48年) 12,742 (34.9)
2015年(平成27年) 1名以下 [JR 2]
2017年(平成29年) 0.2 [JR 3]
2018年(平成30年) 1名以下 [JR 4]
2019年(令和元年) 1.2 [JR 5]
2020年(令和2年) 3名以下 [JR 6]

駅周辺

 
塩狩峠記念館(2009年7月)

塩狩峠の頂上付近にあり、後述の当駅開業前に発生した鉄道事故、およびそれをモデルとした三浦綾子の小説『塩狩峠』に関連した施設もみられる。

その他

長野政雄の殉職

 
長野政雄顕彰碑(2009年7月)

1909年(明治42年)2月28日8100形蒸気機関車牽引の名寄駅旭川駅行き最終急行列車塩狩峠の頂上付近(事故当時、当駅は未開業)に差し掛かった時最後尾の客車連結器が外れ[注釈 1]、逆行・逸走する列車分離事故が発生した。乗り合わせていた鉄道院国鉄の前身)旭川鉄道運輸事務所庶務主任[注釈 2]の長野政雄が、デッキ上のハンドブレーキを操作して暴走する客車の停止を試みるもデッキから転落し、床下に巻き込まれ殉職した。しばらく走行した後に客車は停止し、乗客にけが人や犠牲者はなかった[5][9]

のちに三浦綾子によってこの話を元にした小説『塩狩峠』が発表され、映画化もされた。作品中では主人公・永野信夫が暴走する客車を停止させる最後の手段として、自分の体を車輪の歯止めにするべく、自らの意志でデッキから車両の前に飛び込み殉職したことになっているが、実際の事故では当事者死亡につき顛末の詳細は不明である[9]

現在は当駅付近に長野政雄の顕彰碑と塩狩峠記念館・文学碑が立てられている。

ふるさと納税と寄付

前述のように当駅は2021年(令和3年)4月より和寒町による維持管理に移行されているが[新聞 3]、その前年より和寒町は、独自で作成した「塩狩駅カード」を返礼品としたふるさと納税を活用する資金集めを実施している[新聞 4]

2021年4月末までに、ふるさと納税586万円に加えて、駅近くのユースホステルなどに置いた募金箱や町役場持参への寄付を含めて623万円が全国から集まり、駅維持費用(年間275万円)の2年分以上の財源が確保されている[新聞 5]

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
宗谷本線
快速「なよろ」(2・4・5号のみ停車)
比布駅 (W34) - (2・5号は蘭留駅 (W36)) - 塩狩駅 (W37) - 和寒駅 (W38)
普通
蘭留駅 (W36) - 塩狩駅 (W37) - 和寒駅 (W38)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 当時の本路線を運営していた北海道官設鉄道は道内他線と異なり、ねじ連結器を使用していた。道内全線自動連結器化は本事故の起きた1909年である。「(連結器#自動連結器化)」参照。
  2. ^ いわゆる事務方職員で、車両の機器類の操作は専門外である。

出典

  1. ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、897頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、238頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年1月15日閲覧 
  3. ^ a b c d e 和寒町 編『和寒町史』和寒町、1975年、412-413頁。doi:10.11501/9569701https://doi.org/10.11501/95697012022年6月25日閲覧 
  4. ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、174頁。(ASIN) B000J9RBUY。 
  5. ^ a b c d 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、34頁。 
  6. ^ 内閣印刷局, ed (1924-11-18). “鉄道省告示 第232号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3672). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955820/1. 
  7. ^ 内閣印刷局, ed (1927-08-30). “鉄道省告示 第189号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (202). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956662/3. 
  8. ^ a b c 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日。ISBN (4-09-395401-1)。 
  9. ^ a b おのつよし 1991, p. 94-96.

JR北海道

  1. ^ (PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2020年12月9日。 オリジナルの2020年12月9日時点におけるアーカイブ2020年12月10日閲覧 
  2. ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
  3. ^ “” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)事業計画(アクションプラン). 北海道旅客鉄道. pp. 11-12 (2019年4月). 2019年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月18日閲覧。
  4. ^ “” (PDF). 全線区のご利用状況(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. 2020年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月20日閲覧。
  5. ^ “” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)第2期事業計画(アクションプラン). p. 10 (2021年4月16日). 2021年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月29日閲覧。
  6. ^ “” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道 (2021年9月30日). 2022年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月1日閲覧。

新聞記事

  1. ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日) 
  2. ^ “宗谷線、20駅無人化へ 特殊自動閉そく装置導入工事進む”. 交通新聞 (交通協力会): p. 2. (1986年9月17日) 
  3. ^ a b “無人18駅、自治体管理へ JR北海道 経営難で急拡大”. 北海道新聞. (2021年2月5日). オリジナルの2021年2月6日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/QVPN7 2021年2月6日閲覧。 
  4. ^ “塩狩駅維持にふるさと納税 和寒町 返礼品に独自カード”. 『北海道新聞』. (2020年6月25日). オリジナルの2020年6月25日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/6UTjt 2020年6月25日閲覧。 
  5. ^ 「塩狩駅維持へ寄付623万円 和寒町管理の無人駅 鉄道愛好家、三浦文学ファン支え」『北海道新聞』2021年5月7日(第4社会面)

参考文献

  • おのつよし『日本の鉄道100ものがたり』(初版第1刷)文春文庫、1991年5月10日。ISBN (978-4167536015)。 
  • 武田元秀、山井美希(写真)「最北端最後の砦 孤高の一本道」『鉄道ジャーナル』第55巻第4号(通巻654号)、成美堂出版、2020年4月1日、24-33頁、ISSN 0288-2337。 

関連項目

外部リンク

  • 塩狩|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|駅・鉄道・観光|JR北海道- Hokkaido Railway Company
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