この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2014年2月) |
喜屋武 眞榮(きゃん しんえい、1912年7月25日 - 1997年7月16日)は、日本の政治家。参議院議員(5期)を務めた。沖縄県出身。「沖縄革新共闘」の候補者として、革新統一運動の象徴的存在だった。また、琉球舞踊など、沖縄の伝統文化を普及・継承する活動も行った。
経歴
- 1912年(明治45年) - 北中城村比嘉で生まれる。
- 沖縄師範学校卒業
- 1946年(昭和21年)- 沖縄民政府文教部視学官
- 1962年(昭和37年)- 沖縄祖国復帰協議会会長、沖縄県山内中学校の校歌を作詞。
- 1968年(昭和43年)- 沖縄教職員会会長
- 1970年(昭和45年)- 参議院国政参加選挙初当選
- 1974年(昭和49年)- 第10回参議院議員通常選挙再選
- 1980年(昭和55年)- 第12回参議院議員通常選挙当選(3期目)
- 1982年(昭和57年)- 任期途中で沖縄県知事選挙に立候補、落選
- 1983年(昭和58年)- 第13回参議院議員通常選挙当選(4期目)
- 1989年(平成元年)- 第15回参議院議員通常選挙当選(5期目)、院内会派「二院クラブ」代表就任
- 1995年(平成7年)-政界引退、沖縄県功労者賞を受賞。勲二等旭日重光章受章[1]。参院選の後継をめぐっては照屋寛徳を推す新進党・日本社会党・公明・沖縄社会大衆党らと、外間久子(後に沖縄県議)を推す日本共産党の間で対立。喜屋武は外間を支援した。
著作
- 『戦後の沖縄を創った人―屋良朝苗伝』((同時代社)、1997年) - 刊行は喜屋武の没後。
脚注
- ^ 「95年秋の叙勲 勲一等・勲二等」『読売新聞』1995年11月3日朝刊
関連項目
外部リンク
- 喜屋武真栄さん死去 - 琉球新報1997年7月16日付