略歴
第14代藩主・南部利剛の長男として誕生した。幼名は彦太郎、初名は剛毅。
文久3年(1863年)9月、幕府に丈夫届を提出する。明治元年(1868年)10月9日、戊辰戦争に際し、南部信民と共に明治政府軍に降伏を申し入れる。同年12月2日、父・利剛と共に東京に護送されて、金地院で謹慎する。同年12月17日、利剛が明治政府から隠居を命じられたため家督を相続した。同年12月24日、戊辰戦争で明治政府と交戦して敗北したため、陸奥国白石13万石に減転封された。
明治2年(1869年)6月18日、版籍奉還により白石藩知事に就任する。同年6月28日、従五位下・甲斐守に叙任する。同年7月22日、盛岡藩知事に転任する。盛岡復帰のため、政府に70万両の献金を約束した。しかし、大半は調達できず、政府は廃藩の圧力をかけて、利恭は辞表を提出するにいたった。明治3年(1870年)7月、政府は辞表を受理し、盛岡県を設置した。
明治17年(1884年)7月、伯爵となる。
栄典
家族
脚注
外部リンク
- 盛岡市役所 盛岡市ガイド › もりおかの歴史 › 盛岡の先人たち › 第25回:南部利恭