毛利 元秀(もうり もとひで、1880年〈明治13年〉9月23日 - 1942年〈昭和17年〉)は、徳山毛利家第11代当主[1][2]。
概要・経歴
1900年8月に徳山毛利家の家督を継承し、子爵を襲爵[2]。
曾孫で徳山毛利家第14代当主の毛利就慶のYouTubeチャンネルによると、徳山毛利家は当初、六本木の鳥居坂や愛宕周辺に屋敷を構えていたが、元秀の代に当時は発展前の目黒に転居している。
系譜
- 父:毛利元功
- 母:毛利鈺子 - 1862年4月生まれ[2]。越前国丸岡藩第8代藩主・有馬道純長女。
- 妻:毛利庸子 - 1879年12月生まれ[2]。陸奥国盛岡藩第15代藩主・南部利恭長女。
- 長男:毛利元靖
- 次男:宍戸広慶 - 1914年〜1986年。
- 妻:宍戸繁子 - 男爵・伊地知精娘。
- 弟:秋元春朝 - 子爵・秋元興朝養子。
- 弟:粟屋武虎 - 1886年生まれ。
- 弟:粟屋直良 - 1889年5月生まれ。山口県士族・粟屋マセ養子。
- 妹:立見波子 - 1890年〜1986年。子爵・立見豊丸妻。
- 弟:大岡忠礼 - 1892年〜1936年。子爵・大岡忠量養子。
- 妹:鍋島政子 - 1895年〜1988年。子爵・鍋島直縄妻。
- 妹:細川艷 - 1897年11月〜1930年。子爵・細川利寿妻。
脚注
外部リンク
- 『人事興信録』