この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2018年6月) |
南部 信方(なんぶ のぶかた、安政5年5月12日(1858年6月22日) - 大正12年(1923年)7月29日)は、陸奥国七戸藩の第4代(最後)の藩主。父は本家盛岡藩の藩主・南部利剛(信方は三男)。正室は土井利善の娘・亀、継室は細川行真の娘・澄子。
経歴
明治元年(1868年)12月、先代藩主の南部信民が戊辰戦争における罪を問われて強制隠居となったため、翌年正月にその養嗣子となって跡を継いだ。しかし若年のため、実際の藩政は信民が行なっていた。なお、この際七戸藩が戊辰戦争以前に実際に分知を受けていたのかが問題とされたが、盛岡藩重臣新渡戸傳が七戸藩領を分知した記録を新政府に提出したために認められた(ただし、七戸藩の改易を避けるために盛岡藩側が急遽作成したとする説もある)。
明治2年(1869年)6月の版籍奉還で藩知事となったが、同年閏10月に藩政改革に反対した百姓一揆が起こった。明治4年(1871年)の廃藩置県で藩知事を退任した。明治9年(1876年)2月、明治政府からアメリカ留学を許可された。語学修学を目的として、3年間の自費留学を予定していた。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]。大正12年(1923年)7月29日に66歳で死去した。
家族
父母
妻
子女
- 南部信子(長女) ー 男爵(島津壮之助)夫人
養子
脚注
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。