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千葉真子

千葉 真子(ちば まさこ、本名・桜川 真子、1976年7月18日 - )は、日本の元女子陸上競技長距離走マラソン)選手で、1990年代中盤 - 2000年代中盤に活躍した。京都府宇治市出身。愛称は「千葉ちゃん」。

千葉 真子
選手情報
フルネーム ちば まさこ
ラテン文字 Masako CHIBA
愛称 ちばちゃん
国籍 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走マラソン
所属 旭化成佐倉アスリート倶楽部(SAC)→豊田自動織機
生年月日 (1976-07-18) 1976年7月18日(46歳)
出身地 京都府宇治市
身長 155㎝
体重 38kg
引退 2006年
自己ベスト
5000m 15分20秒13 (1996年)
10000m 31分20秒46 (1996年)
ハーフマラソン 1時間09分27秒 (1999年)
マラソン 2時間21分45秒 (2003年)
編集 

現在の活動は陸上指導者スポーツ解説者コメンテータータレントなど。スポーツビズ所属。既婚。2児の母。

2016年に宇治市観光大使に就任[1]

人物

中学校ではテニス部を3年生の夏休みまでやって、駅伝の人数が足りないと誘われていた。宇治高校(1994年から立命館宇治高校に改組)では陸上部に入部。高校では1校3人の枠に選ばれずインターハイの出場経験はない。但し、全国高校駅伝女子の部では、2年時の1993年度は準エース区間の2区4.0975kmを走り、水内聡子(市立船橋3年、のち三井海上)と同タイムの区間4位ながら1区の出遅れにより32位と沈んでいたチームを一挙に15位にまで順位を挽回した。川上優子(熊本信愛3年、のち沖電気)も同区間2区を走り、1区には高橋千恵美(聖和学園3年、のち日本ケミコン)や田中めぐみ(埼玉栄3年、のちあさひ銀行)、木村泰子(尾山台3年、のち京産大)、3区には市河麻由美(市立船橋2年、のち三井海上)などがいた。また、宇治の1年先輩小﨑まり(3年、のち大阪短大・ノーリツ)は補欠に回っていた[2]。3年時の1994年度はエース区間1区6kmに出場しトップ(エスタ・ワンジロ)(仙台育英3年 [3])と42秒差の10位20:12だったが、チームは総合2位をマークした。その他、同区間1区には19:59で3位山中美和子(添上1年、のち筑波大・ダイハツ)などがいた[4]

旭化成陸上部在籍中、1996年アトランタオリンピック陸上女子10000mで5位入賞を果たす。世界陸上選手権大会では、女子10000mと女子マラソンにて世界で初めて「異種目複数メダル獲得」という前人未到の快挙を成し遂げた選手である[5]

現役時代は北海道マラソンを得意とし、2連覇を含め合計3勝を挙げた。2001年に旭化成陸上部から(豊田自動織機女子陸上部)に移籍し、小出義雄の指導を受けた[6]2006年8月に現役引退後は、主にタレントスポーツコメンテーターなどとして活動中。
2007年、将来的に自身のクラブを立ち上げ、後進の指導にあたる方針を明らかにした。2007年8~9月に行われた世界陸上大阪大会のスポーツコメンテーターに抜擢。その後も世界陸上選手権大会開催時には、毎回マラソン種目等の解説者として出演している。

2011年12月8日、8歳年下の競輪選手・桜川雅彦(登録名は(櫻川雅彦)[7]日本競輪学校第99期生)と結婚したことを発表[8]2012年6月27日、第1子(女児)を、2014年8月25日、第2子(女児)を出産した[9]

基本データ

経歴

陸上選手として

  • 1992年
  • 立命館宇治高校在学時には全国高校女子駅伝に2回出走。2年生時(1993年)は2区(4.0975 km)で17人抜き(区間4位、13分11秒)。3年生時(1994年)は1区(6 km)で区間10位(20分12秒)。
  • 1995年
  • 1996年
  • 1997年
  • 1998年
  • 1999年
  • 2000年
    • 3月の名古屋国際女子マラソンに出走予定だったが欠場を表明、シドニーオリンピック出場を断念(女子マラソン代表は市橋有里高橋尚子、山口衛里。高橋が優勝し金メダル獲得)。
    • その後も相次ぐ故障に悩まされ続け、旭化成を退社表明。マスコミは引退と報じたが、後に千葉本人が否定。
  • 2001年
  • 2002年
  • 2003年
    • 1月、世界陸上パリ大会代表選考レースの大阪国際女子マラソンに出走、野口みずきのスパートで遅れるものの、最後に競技場手前で坂本直子を交わして2時間21分45秒の自己最高記録をマークして2位となり、この成績が評価され世界陸上パリ大会女子マラソン代表に選出。
    • 8月の世界陸上パリ大会レース本番では、33km過ぎのヌデレバのスパートについていけなかったものの、1位のヌデレバ、2位の野口みずきに続いて2時間25分9秒で3位でゴールし、銅メダルを獲得。なおこの大会で日本人トップだった野口は、規定によりアテネオリンピック代表に内定した[10]
  • 2004年
    • 1月、アテネオリンピック女子マラソン代表選出を再び目指して、大阪国際女子マラソンに出場したが、27km過ぎでスパートして先頭集団を崩すものの、30km過ぎの坂本直子のスパートに大南博美、渋井陽子と共に引き離され、2時間27分38秒の2位で五輪代表に手が届かなかったものの、補欠代表に留まった(アテネ五輪代表は野口みずき、坂本直子、土佐礼子。野口が優勝し金メダル獲得)。
    • 8月の北海道マラソンでは、2時間26分50秒で2001年以来2度目の優勝。
    • 11月、翌年の世界陸上ヘルシンキ大会代表を目指して、東京国際女子マラソンに出場したが、レース終盤で優勝の(ブルーナ・ジェノベーゼ)と2位の嶋原清子に抜かれて、結局4位に留まった。
  • 2005年
    • 前年の東京国際女子マラソンでの不振が影響し、世界陸上ヘルシンキ大会代表を逃した。
    • SACを退部し豊田自動織機に完全移籍。小出から独立(それ以前から小出の方針で豊田自動織機に籍を置いていた)。
    • 8月の北海道マラソンでは、序盤から嶋原清子らを寄せ付けず、2時間25分46秒の大会新記録で2年連続3回目の優勝を果たした。
    • 10月のシカゴマラソンにも出場。ディーナ・カスターコンスタンティナ・トメスクのハイペースに15km過ぎで遅れるものの、2時間26分00秒で3位に入った。
  • 2006年
    • 4月、長野オリンピック記念長野マラソンに出走したものの、風邪による体調不良で、22km過ぎの地点で途中棄権。
    • 8月、三連覇のかかった北海道マラソンにて、自らレース前に引退を宣言。右腕にはマジックで「ありがとう」と記載して出走。足にテーピングを施す状態により体調万全で臨めず、2時間48分57秒の11位と有終の美は飾れなかったが、最後はファンの人達に対し、笑顔で両手を挙げてゴールした。

その他(タレント活動など)

主な成績(マラソン以外)

年月日 大会 順位 記録 備考
1996年02月11日 唐津10マイルロードレース 優勝 31分44秒 10 km、アジア記録
1996年04月21日 兵庫リレーカーニバル 優勝 31分28秒15 10000m 、日本記録(当時)
1996年06月09日 日本陸上選手権 3位 31分20秒46 10000m 、自己ベスト(10000m日本女子歴代9位)
1996年08月02日 アトランタオリンピック  5位 31分20秒62 10000m
1997年01月19日 (東京シティハーフマラソン) 優勝 1時間06分43秒 ハーフマラソン、女子世界記録(当時、後にダウンヒルの為、非公認)
1997年08月05日 世界陸上アテネ大会 3位 31分41秒93 10000m 、日本女子長距離初の世界大会メダル
1999年01月31日 シティマラソン福岡 ゲスト参加 1時間09分27秒 ハーフマラソン、自己ベスト(ゲスト参加の為、順位なし)

マラソン全成績

年月日 大会 順位 記録 備考
1998年09月06日 (シドニーマラソン)(女子の部) 4位 2時間37分44秒 マラソン、コース試走・練習の一環で出場
1999年11月21日 東京国際女子マラソン 5位 2時間29分00秒 実質上の初マラソン、シドニーオリンピック国内選考レース
2001年08月26日 北海道マラソン(女子の部) 優勝 2時間30分39秒 マラソン初優勝
2002年04月21日 ロッテルダムマラソン(女子の部) 2位 2時間25分11秒 当時マラソン自己記録
2002年10月13日 シカゴマラソン(女子の部) 9位 2時間34分36秒
2003年01月26日 大阪国際女子マラソン 2位 2時間21分45秒 マラソン自己記録(当時マラソン日本女子歴代4位)、世界陸上パリ大会選考レース
2003年08月31日 世界陸上パリ大会 3位 2時間25分09秒 世界初の世界陸上女子トラック&女子マラソンでの異種目複数メダル、アテネオリンピック選考レース
2004年01月25日 大阪国際女子マラソン 2位 2時間27分38秒 アテネオリンピック国内選考レース
2004年08月29日 北海道マラソン(女子の部) 優勝 2時間26分50秒 マラソン2回目の優勝
2004年09月26日 (ボルダーバックローズマラソン)(女子の部) 優勝 2時間41分05秒 マラソン3回目の優勝、大会記録(調整レース)
2004年11月21日 東京国際女子マラソン 4位 2時間27分02秒 世界陸上ヘルシンキ大会選考レース
2005年08月28日 北海道マラソン(女子の部) 優勝 2時間25分46秒 マラソン4回目の優勝、大会記録(当時)
2005年10月09日 シカゴマラソン(女子の部) 3位 2時間26分00秒
2006年04月16日 長野マラソン(女子の部) DNF 記録無し 途中棄権
2006年08月27日 北海道マラソン(女子の部) 11位 2時間48分57秒 引退レース、ラストラン

関連項目

出演

テレビ番組

上記の経歴も参照。

ほか多数

ラジオ番組

  • 千葉真子 BEST SMILEランニングクラブ(文化放送、2009年-2020年9月26日)

著書

  • 『ベストスマイル 補欠になった私』((文春ネスコ)、2004/7、(ISBN 978-4890362080))
  • 『ちばちゃんのポジティブ・ランニング 週1ランナーから始める自分改造術 (GAKKEN SPORTS BOOKS)』(学研パブリッシング、2009/10、(ISBN 978-4054043664))

関連書籍

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 宇治市観光協会「宇治市観光大使就任者一覧」
  2. ^ 全国高校駅伝1993年第5回女子大会記録 毎日新聞社
  3. ^ のち(2000年シドニー五輪マラソン)で優勝した高橋尚子と3:03秒差の2:26:17をマークし4着でゴールした。
  4. ^ 全国高校駅伝1994年第6回女子大会記録 毎日新聞社
  5. ^ 後に、ポーラ・ラドクリフも達成しているが、千葉の方が2年先に達成している。
  6. ^ 千葉真子 講演依頼.com
  7. ^ 選手プロフィール 櫻川雅彦 - KEIRIN.JP
  8. ^ 「千葉ちゃん」結婚!お相手は8歳年下の競輪選手 - スポニチアネックス 2011年12月16日付
  9. ^ “『お陰様で…無事誕生しました(^ー^*)』”. 本人のブログ (2014年8月26日). 2014年8月28日閲覧。
  10. ^ 五輪前年の世界陸上女子マラソンでメダルを獲りながら、翌年の五輪代表に選ばれなかったのは、日本では千葉真子だけである。
  11. ^ 私の人生を変えてくれた小出監督、今まで有難うございました。 千葉真子オフィシャルブログ「BEST SMILE」(Powered by Ameba・2019年4月24日記載)
  12. ^ 教え子千葉真子さん「いつも太陽のよう」小出氏悼む(日刊スポーツ・2019年4月24日掲載)
  13. ^ “一度は登りたい! にっぽん名山紀行(アポイ岳編)”. テレビ東京. 2011年5月29日閲覧。

外部リンク

  • 所属事務所スポーツビズによるプロフィール
  • 千葉真子 (@CHIBA_chan0718) - Twitter
  • 千葉真子 - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語)
  • 千葉真子オフィシャルブログ「BEST SMILE」Powered by Ameba(2012年7月-)
先代
(片岡純子)
女子10000m日本記録保持者
 1996/04/21 - 1996/06/09
次代
鈴木博美
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