歴史
家城 - 伊勢奥津間の建設計画が立案された当初、伊勢鎌倉駅の設置予定はなかった[2]。そこで当時の八知村長や村の有力者は建設を所管する鉄道省岐阜建設事務所へ何度も陳情し、駅員を配置しない簡易駅として設置することが認められた[2]。第二次世界大戦中は、各駅からの乗車人数が1日数十人までに制限されたため、駅員のいない当駅に乗車希望者が殺到するという事態が発生した[3]。
戦後、駅舎を建設し寄付すれば駅員を配置することを認める決定がなされたため、八知村は1947年(昭和22年)6月に駅舎建設を開始、同年8月6日に鉄道省へ引き渡した[2]。これを受け駅に電話を引き入れ、同年10月1日から駅員が2名配置された[2]。
年表
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。線路の北側にホームが配置されている。
松阪駅管理の無人駅であり、ホームに待合所があるだけである。待合所は1998年頃に新築されたもの。以前は木造の待合所で、比津駅に2007年まで存在した待合所に似たものであった。
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[7]。なお、2009年度~2015年度は、2009年10月から2016年3月まで行われていたバス代行輸送分を含んでいる。
駅周辺
このあたりの山々には美杉地区名産の美杉杉が一面生えている。当駅の主な利用者が住む集落は徒歩10分ほど伊勢八知駅寄りに離れている。また直線距離にして約2.8km西方に布引峠を始めとしたメナード青山リゾートのホテル群があるが、峠とを最短距離で結ぶ道はない。
隣の駅
脚注
- ^ a b c d e 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 25号 紀勢本線・参宮線・名松線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月10日、26-27頁。
- ^ a b c d e f g h 美杉村史編集委員会 1981, p. 164.
- ^ 美杉村史編集委員会 1981, p. 166.
- ^ 「運輸省告示第248号」『官報』1947年9月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「日本国有鉄道公示第307号」『官報』1951年11月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “JR東海、来年3月改正で名松線全線再開へ…6年5か月ぶり”. Response. (2015年12月18日)2015年12月18日閲覧。
- ^ 三重県統計書 - 三重県
- ^ 美杉村史編集委員会 1981, p. 167.
- ^ 美杉村史編集委員会 1981, p. 171.
参考文献
- 美杉村史編集委員会『美杉村史 下巻』美杉村役場、1981年3月25日、997頁。(全国書誌番号):(82006004)