久保利 英明(くぼり ひであき、1944年(昭和19年)8月29日 - )は、日本の弁護士(第二東京弁護士会)。日比谷パーク法律事務所代表、日本銀行コンプライアンス会議メンバー、一人一票実現国民会議賛同者、ヒューマン・ライツ・ナウ運営顧問。埼玉県出身。
経歴・人物
埼玉県出身。開成中学校・高等学校を経て、東京大学法学部卒業。
司法修習修了後、当時4名しかいなかった森綜合法律事務所に入所。スモン訴訟や労働事件などの社会的事件を手がける一方で[1]、いわゆる「ビジネス弁護士の草分け」として、「適法経営(コンプライアンス)」「企業統治(コーポレート・ガバナンス)」といった考え方を早くから提唱、大型倒産事件、総会屋対策で活動。株主総会における一括上程・一括審議方式は「久保利方式」とも言われ、従来の「(しゃんしゃん総会)」と一線を画しながら、総会屋を排除し、株主総会を進行させる方法を実践した。
企業が不祥事を引き起こした際、設置される第三者委員会の委員長を務めることも多く、マルハニチロホールディングスやゼンショーホールディングスでも委員長を担ったほか[2]、自身で第三者委員会報告書格付け委員会を立ち上げ、警鐘を鳴らしていくとしている[3]。
平成10年に中村直人および(菊池伸)とともに独立して、日比谷パーク法律事務所を開設(ただし、後に中村はさらに独立し、菊池は復帰する)。現在は10名の弁護士からなり、知的財産、会社、倒産関係を専門に扱う法律事務所となっている。
金融庁総務企画局参事(法令等遵守調査室顧問)、知的財産戦略本部コンテンツ・日本ブランド専門調査会会長、特定非営利活動法人エンターテインメント・ロイヤーズ・ネットワーク理事長、弁護士知財ネット理事、日本コーポレートガバナンスフォーラム理事、有限責任中間法人日本取締役協会幹事、特定非営利活動法人全国社外取締役ネットワーク理事、東京商工会議所経済法規委員会副委員長、学校法人東京女学館理事、学校法人開成学園理事、明日の司法を創る会代表世話人を務める。株式会社日本取引所グループ社外取締役、野村ホールディングス株式会社社外取締役、ニッポン放送社外取締役、ソースネクスト株式会社社外監査役など数多くの社外取締役・社外監査役を兼任する。
経歴
- 1963年3月 開成高等学校卒業
- 1968年3月 東京大学法学部卒業、卒業後アフリカやインドを放浪。
- 1971年3月 司法修習(23期)修了
- 1971年4月 弁護士登録(第二東京弁護士会)、森綜合法律事務所(現在の森・濱田松本法律事務所)に入所
- 1989-1990年 第二東京弁護士会副会長
- 1997-1998年 日弁連研修委員長
- 1998年4月1日 日比谷パーク法律事務所を開設
- 2001-2002年 第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長
- 2002年 金融庁顧問、金融問題タスクフォースメンバー
- 2004年 大宮法科大学院大学教授
- 2006年 金融庁参与
- 2015年 桐蔭法科大学院教授
- 2021年 桐蔭横浜大学大学院法学研究科客員教授
著書
- 『「交渉上手」は生き上手』講談社、2010年、(ISBN 9784062726504)
- 『志は高く 目線は低く』財界研究所、2016年、(ISBN 9784879321138)
- 『破天荒弁護士クボリ伝』(共著)日経BP社、2017年、ISBN9784822255480
関連項目
脚注
- ^ 1973年吉田拓郎の虚偽告発による不当逮捕・勾留について、弁護を担当し、その証言の虚偽性、逮捕の不当性を訴え、勾留期間の切り上げ・不起訴を勝ち取った。- 島地勝彦 (2015年2月28日). “久保利英明 第4回「総会屋からはよく『こら久保利! ヤクザモンでも着ないような服着やがって!』と罵倒されました」”. 現代ビジネス. 講談社. 2022年7月4日閲覧。
- ^ “「敗軍」の法則 なぜ、リーダーは失敗を繰り返すのか 経営に「備えあれば憂いなし」はあり得ない 久保利英明弁護士に聞く”. 日経ビジネスオンライン. (2014年9月10日)2014年9月10日閲覧。
- ^ “磯山友幸「経済ニュースの裏側」第三者委員会報告書格付け委員会を作った 久保利英明弁護士インタビュー「会社が潰れかねない厳しい報告書が結果的に会社を救う」”. 現代ビジネス. (2014年6月18日)2014年9月10日閲覧。
- ^ 久保利英明『弁護士たった3万5000人で法治国家ですか―弁護士がいたら、泣き寝入りしないのに (弁護士による教養講座シリーズ)』アイエルエス出版 2015より
外部リンク
- 日比谷パーク法律事務所 弁護士紹介
- 法律事務所フロンティア・ロー メンバー紹介
- 第三者委員会報告書格付け委員会