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三条 季晴(さんじょう すえはる)は、江戸時代中期の公卿。右大臣・三条実顕の子。官位は従一位・右大臣。三条家26代当主。号は後誠心院。桜町天皇(115代)・桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)の四朝にわたって仕えた。
経歴
享保20年(1735年)、叙爵。以降、三条家の当主として、寛延3年(1750年)、従三位に達し公卿に列する。権中納言・権大納言・踏歌節会外弁を経て、明和7年(1770年)に正二位内大臣。安永元年(1772年)には従一位となる。安永8年(1779年)には右大臣となるもすぐに辞職する。