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三条 公充(さんじょう きんあつ)は、江戸時代中期の公卿。左大臣・三条実治の子。官位は従二位・権大納言。三条家24代当主。東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の二代に亘り仕えた。
経歴
兄・公兼が元禄13年(1700年)に突然官位を止められたため、かわって三条家の当主として叙爵。朝廷へ出仕することとなった。以降累進して、宝永2年(1705年)に従三位となり公卿となる。
権中納言や踏歌節会外弁を経て、享保2年(1717年)に権大納言に任じられたが、享保4年(1719年)に辞職した。享保11年(1726年)、薨去。享年36。甥で公兼の子・実顕が三条家を相続した。