ハインリヒ・フロインドリーブ(独: Heinrich Freundlieb、1884年 - 1955年[1][2][3])は、日本で活動したドイツ出身のパン職人。ドイツ語での発音に忠実な日本語表記はフロイントリープであるが、通常フロインドリーブと表記されている。
第一次世界大戦中に捕虜として連行された日本に留まり、敷島製パン初代技師長を経て兵庫県神戸市に有限会社(ジャーマンホームベーカリー)(フロインドリーブ)の前身となるパン屋を開店した[2]。NHK朝の連続テレビ小説『風見鶏』のモデルとして知られる[2][3]。
生涯
1884年、ドイツのテューリンゲン州に生まれる[1][2][3]。1898年に見習いとしてパン屋で働くようになり[1]、1902年から10年間ドイツ海軍に入隊し、軽巡洋艦エムデンでパン製造に従事した[1]。退役後1912年に青島でパン屋を開店[1]。1914年に第一次世界大戦が始まると徴兵され[1]海軍に復帰したが[2]日本軍の俘虜(捕虜)となり、名古屋市の(俘虜収容所)へ移送された[1][2]。
1919年に解放された後も日本に留まり、敷島製パン初代技師長に就任し[4]日本人と結婚した[1]。1921年に同社を退職後、 大阪のなだ万での勤務を経て[3]1924年に神戸市中山手通1丁目でパン屋を開店する[1]。事業を拡大させ1940年頃には神戸市内にパン屋、洋菓子店、レストランなどおよそ10の店舗を展開させるに至った[1]が、第二次世界大戦期の空襲(神戸大空襲)により店舗を失った[2]。
終戦後、復員した元従業員の協力を得て1948年にパン・洋菓子の製造を再開[1][2][5]。ドイツで修行を経て帰国した長男ハインリヒ・フロインドリーブ2世が1955年に有限会社(ジャーマンホームベーカリー)(フロインドリーブ)を設立するとその相談役に就任した[2]。同年没[1][2]。墓は神戸市立外国人墓地にある[2]。
死後の1977年に放映され異人館ブームをもたらした連続テレビ小説『風見鶏』は、フロインドリーブがモデルとなっている[2]。
脚注
参考文献
外部リンク
- ジャーマン・ホームベーカリー・フロインドリーブ