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テューリンゲン州

テューリンゲン州
Freistaat Thüringen
州旗 州の紋章
(州歌) {{{州歌}}}
州都 エアフルト
面積 16,172.21 km² (第11位
人口
 - 総計
 - 人口密度
(2005/12/31)
2,334,575 人 (第12位
144.4 人/km²
ISO 3166-2:DE DE-TH
公式サイト テューリンゲン州政府
政  治
州首相 ボド・ラメロウ左翼党
与党 左翼党ドイツ社会民主党緑の党連立
前回選挙 2019年10月27日
次回選挙 2024年(予定)
連邦参議院(上院)
での投票権数
4
地  方
市町村数
 * 独立市
992
6

テューリンゲン州ドイツ語: Freistaat Thüringen)は、ドイツを構成する16の連邦州のひとつである。ドイツ再統一時に誕生した新連邦州5州の一つ。州都はエアフルト

正式名称はテューリンゲン自由州テューリンゲン自由国。ドイツ語のStaatは英語のstateと同根の単語で、帝政ドイツ時代に「州」の意味で使用されていた。帝政崩壊後のヴァイマル共和政時代以降、これに代わりLandが使われ始めた。現在、多くの州はLandを使用するが、テューリンゲン州、バイエルン州ザクセン州が"Freistaat"(自由州)を称している。

地理

ドイツ中部に位置するテューリンゲン州は、ヘッセン州バイエルン州ザクセン州ザクセン=アンハルト州ニーダーザクセン州と州境を接している。ドイツ国内における位置(ドイツを人として見立てると、ちょうど左胸の位置にある)と緑が豊かなことから、「緑の心臓(das Grüne Herz Deutschlands)」とも称される[1]

2021年に州中西部の(インゼルスベルク山)と(ドライ・グライヒェン)一帯はユネスコ世界ジオパークに指定される[2]

歴史

テューリンゲン(チューリンゲン)の地名は古代にこの地に住んでいた(テューリンゲン族)(ドイツ語版、英語版)に由来する。テューリンゲン族は6世紀中ごろまでにフランク王国に征服され、以後東フランク王国神聖ローマ帝国の一部として方伯領が置かれた。

テューリンゲン方伯を輩出していたルードヴィング家ハインリヒ・ラスペの死(1247年)によって断絶すると、その後継を巡ってハインリヒ・ラスペの姪であるゾフィー・フォン・ブラバントブラバント公アンリ2世妃)と甥でヴェッティン家マイセン辺境伯ハインリヒ3世(貴顕伯)の間で継承戦争が勃発した(1247年 - 1264年)。この結果、ハインリヒ3世がテューリンゲン方伯位を継承することとなったが、一方で西部にはヘッセン方伯領が新設され、ゾフィーの息子ハインリヒ1世(幼童伯)が後にその地位に即いた。以後、ヘッセンはテューリンゲンとは別の領主を仰ぐことになる。

ヴェッティン家のザクセン選帝侯フリードリヒ2世(紳士公)の死去に伴って遺児のエルンストアルブレヒトの間で行なわれた(ライプツィヒ分割)(1485年)では、テューリンゲンの多くをエルンストが継承した。

 
テューリンゲンの諸国(1680年)

16世紀宗教改革においてテューリンゲンは重要な役割を演じた。マルティン・ルターヴァルトブルク城聖書のドイツ語訳を行い、1524年ドイツ農民戦争では最後の戦闘となる(フランケンハウゼンの戦い)(ドイツ語版、英語版)の舞台となった。またシュマルカルデン同盟の主導者の一人ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ(寛大公)はテューリンゲンを領有しており、この地は反皇帝・親プロテスタントの牙城であった。ヨハン・フリードリヒがミュールベルクの戦い1547年)でカール5世に敗れて選帝侯位を剥奪された後(選帝侯位はアルブレヒト系ヴェッティン家(アルベルティン家)のモーリッツに与えられた)、エルンスト系ヴェッティン家(エルネスティン家)では分割相続が繰り返された((ザクセン諸公国))。そのため政治的影響力は低下し、「テューリンゲン」という地名は単なる地域名称となっていった。

1806年ナポレオン1世によって神聖ローマ帝国が解体されると、テューリンゲンの諸侯はライン同盟に加盟した。1815年ウィーン会議によってそれぞれ独立国としてドイツ連邦に加盟したが、テューリンゲンにあった国は12と、他の地域と比べて突出して多かった。またプロイセン王国ヘッセン選帝侯国飛び地を持っていた。

これらの諸国は君主家の断絶などによって徐々に数が減り、1871年に成立したドイツ帝国において「テューリンゲン諸邦」(Thüringische Staaten)とは、この地にあったザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国ザクセン=マイニンゲン公国ザクセン=アルテンブルク公国ザクセン=コーブルク=ゴータ公国(以上エルンスト系ヴェッティン家)・シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国(以上シュヴァルツブルク家)・兄系ロイス侯国弟系ロイス侯国(以上ロイス家)を指した。

ドイツ革命1918年)によって君主制が倒されると、諸国はそれぞれ共和政に移行した。ヴァイマル共和政下の1920年ザクセン=ゴータ自由州(旧ザクセン=ゴータ)との同君連合を解消してバイエルンとの統合を決めたコーブルク自由州(旧ザクセン=コーブルク)を除くテューリンゲン諸邦が合併して「テューリンゲン州」(Land Thüringen)が誕生した。州都はヴァイマルに定められた。

第二次世界大戦末に米軍によって占領されるが、1945年7月からソビエト連邦軍占領下におかれた。1949年にはドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国され、プロイセン王国時代にザクセン県であったエアフルトミュールハウゼンノルトハウゼンなどがテューリンゲン州に組み入れられて州の領域は拡大し、中心機能がエアフルトに遷された。

1952年に東ドイツは全国を15の県(Bezirke)に分割した。テューリンゲン州はエアフルト県、(ゲーラ県)、(ズール県)に分割された。

1990年ドイツ再統一の際、以前の境界線とは一部異なるがテューリンゲン州(Freistaat Thüringen)として統合された。東ドイツ時代にテューリンゲン州に組み入れられ、その中心地となったエアフルトに再び州都が置かれている。

政治

州議会

州議会 (Landtag) の定数は90。2019年10月27日に行われた前回選挙での政党別議席配分は以下の通りである。

退潮傾向に歯止めのかからないドイツキリスト教民主同盟(CDU)が第3党に後退する一方、反ユーロ反移民を掲げる右派極右政党のドイツのための選択肢(AfD)が得票率23.4%を記録し、ザクセン州ブランデンブルク州に続いて州議会で第2党に躍進した。2020年2月5日の州首相選出選挙ではAfDが自由民主党(FDP)のトーマス・ケメリッヒ候補に投票、CDUも支援し新政権が発足した[3]。しかし極右政党のAfDから支持を受けた同氏首相就任に批判が集まり、支援していたCDU・FDPも態度を翻したことで就任から僅か1日で辞任を表明[4]。3月4日に改めて州首相選出選挙が行われ、左翼党のボド・ラメロウ前州首相が再選された[5]

歴代州首相

  • 1920年-1921年: (アルノルト・ルドルフ・パウルセン) (Arnold Rudolf Paulssen) DDP
  • 1921年-1924年: (アウグスト・フレーリヒ) (August Frölich) SPD
  • 1924年-1928年: (リヒャルト・ロイトホイサー) (Richard Leutheußer) DVP
  • 1928年-1930年: アルノルト・ルドルフ・パウルセン(再任) DDP
  • 1930年-1932年: (エルヴィン・バウム) (Erwin Baum) ThLB
  • 1932年-1933年: フリッツ・ザウケル (Fritz Sauckel) NSDAP
  • 1933年-1945年: (ヴィリー・マルシュラー) (Willy Marschler) NSDAP
  • 1945年: (ヘルマン・ブリル) (Hermann Brill)
  • 1945年-1947年: (ルドルフ・パウル) (Rudolf Paul) SPDSED
  • 1947年-1952年: (ヴェルナー・エッゲラート) (Werner Eggerath) SED

東ドイツ時代の1952年から1990年までは、州は廃止されていた。

  • 1990年-1992年: (ヨゼフ・ドゥフチュ) (Josef Duchač) CDU
  • 1992年-1998年: (ベルンハルト・フォーゲル) (Bernhard Vogel) CDU
  • 1998年より: (ディーター・アルトハウス) (Dieter Althaus) CDU
  • 2009年より:(クリスティーネ・リーバークネヒト)(Christine Lieberknecht) CDU
  • 2014年-2020年2月5日 :ボド・ラメロウ(Bodo Ramelow) 左翼党
  • 2020年2月5日-3月4日 :(トーマス・ケメリッヒ)(英語版)(Thomas Kemmerich) FDP
  • 2020年3月4日- :ボド・ラメロウ(Bodo Ramelow) 左翼党(再任)

地方行政

テューリンゲン州は、17の郡 (Landkreis) と、郡には属さない6つの独立市 (Kreisfreie Stadt) から成る。17の郡に、121の市 (Stadt) と、865の町村(Gemeinde:ゲマインデ)が含まれる。独立市も含めた広義の意味の市町村(ゲマインデ)の総数は、992である。そのうち約8割の市町村は、近隣の市町村と共に「行政共同体」 (Verwaltungsgemeinschaft) を形成し、行政サービスを合理化している。この種の市町村連合が、89ある。

 

  1. (アルテンブルガー・ラント郡) (Landkreis Altenburger Land)
  2. (アイクスフェルト郡) (Landkreis Eichsfeld)
  3. ゴータ郡 (Landkreis Gotha)
  4. (グライツ郡) (Landkreis Greiz)
  5. (ヒルトブルクハウゼン郡) (Landkreis Hildburghausen)
  6. (イルム郡) (Ilm-Kreis)
  7. (キフホイザー郡) (Kyffhäuserkreis)
  8. (ノルトハウゼン郡) (Landkreis Nordhausen)
  9. (ザーレ=ホルツラント郡) (Saale-Holzland-Kreis)
  10. (ザーレ=オルラ郡) (Saale-Orla-Kreis)
  11. (ザールフェルト=ルドルシュタット郡) (Landkreis Saalfeld-Rudolstadt)
  12. (シュマルカルデン=マイニンゲン郡) (Landkreis Schmalkalden-Meiningen)
  13. (ゼメルダ郡) (Landkreis Sömmerda)
  14. (ゾンネベルク郡) (Landkreis Sonneberg)
  15. (ウンシュトルット=ハイニヒ郡) (Unstrut-Hainich-Kreis)
  16. (ヴァルトブルク郡) (Wartburgkreis)
  17. (ヴァイマラー・ラント郡) (Landkreis Weimarer Land)

独立市

シンボル

出典・脚注

  1. ^ “ドイツ・テューリンゲン州経済大臣の表敬訪問について”. 京都市 (2017年10月4日). 2018年5月11日閲覧。
  2. ^ “UNESCO designates eight new Global Geoparks” (英語). UNESCO (2021年4月21日). 2022年10月21日閲覧。
  3. ^ . NHK NEWSWEB (NHK). (2020年2月6日). オリジナルの2020年2月6日時点におけるアーカイブ。. 2020年4月30日閲覧。 
  4. ^ “ドイツ、州首相1日で辞任 極右からの得票に批判集中”. 日本経済新聞. 2020年12月30日閲覧。
  5. ^ “独東部テューリンゲン州首相に左派ラメロウ氏 与党・右派相乗り首相辞任で”. 毎日新聞. 2020年12月30日閲覧。

外部リンク

  • Freistaat Thüringen - Homepage der Landesregierung テューリンゲン州ホームページ(ドイツ語、英語、フランス語)
  • - Geschichte Thüringens
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