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ドラキュラ

ドラキュラ(Dracula)は、イギリス時代のアイルランド人の作家、ブラム・ストーカーの恐怖小説『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)に登場する男性の吸血鬼。日本では「吸血鬼」の意味で誤用される事が多いが、あくまでも小説の登場人物の固有名詞であり、吸血鬼全般をドラキュラと呼ぶのは間違いで、吸血鬼を表す英語はヴァンパイア(Vampire)である。もっとも、特に日本では間違いとはいえ代名詞的な意味で似た設定の貴族的な吸血鬼キャラクターをドラキュラと呼ぶ慣行がかなり通用しており、代表的な例として、岸田森が2本の映画で演じた吸血鬼(別個の設定)などが(ただし、国内版では劇中でドラキュラとは呼んでいない)ある。ドラキュラはルーマニア語で「竜の息子」を意味する(竜は悪魔という意味もある)。小説執筆時は「不死者(The Un-Dead)」という題名だった。

概要・特色

ドラキュラのモデルは15世紀のワラキア(現ルーマニア南部)公ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ、ヴラド・ドラキュラ)とされているが、設定として使われているのはドラキュラというヴラドのニックネームと、出身地が現在のルーマニアという点だけである。ストーカーはこの地域に行ったことがなかったが、地図や文献でよく調査していた。

なお、ヴラド3世がドラキュラと呼ばれ、また自称もしていたのは事実である。これはヴラドの父がドラクルと呼ばれた事に起因する(名前に「a」がつくことで息子という意味が加わり、ドラクルの息子「ドラキュラ」となる)。ドラクルという語は悪魔を意味する場合もあり、後世ドラキュラ公の父ドラクル公は「悪魔公」とも呼ばれた。それに伴い息子のヴラド・ドラキュラ公も「悪魔の子」という意味でのドラキュラと解釈されるに至り、本作のドラキュラ伯爵のイメージに取り入れられている。だが、ドラクルという語の原義は竜であり、本来的にドラクル公は「悪魔」とあだ名されたわけではない。実際には父がドラクルと呼ばれたのは「ドラゴン騎士団」に所属していたためであり、ヴラド・ドラキュラ公も存命時は「悪魔の子」ではなく「小竜公」とでもいうような意味で呼ばれていた。

 
ブラム・ストーカー自筆の「ドラキュラ」のメモ原稿
 
ストーカーがドラキュラ城のモデルとしたとされるルーマニアのブラン城

小説中にはアイルランドの吸血鬼伝説及び、ドラキュラ以前に書かれた同じアイルランド人作家でトリニティ・カレッジの先輩であるシェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』(1872年)の影響が強く見られる。実際、ドラキュラの初稿では舞台はトランシルヴァニアではなくカーミラと同じオーストリアだった。棺で眠るなどもカーミラと共通で以降の吸血鬼作品のモデルになった。

アメリカで上演された「ドラキュラ」の舞台劇のポスター(1938年)

1920年代に、原作者未亡人、フローレンス・ストーカーから正式に版権を取得した、ハミルトン・ディーンによる戯曲が上演される。当時の舞台劇の主流は「室内劇」であり、舞台台本も原作を大幅に改編せざるを得ず、原作における冒頭のドラキュラ城のシークエンスをはじめとして、原作の見せ場がことごとくカットされた。舞台はセワード博士の病院と、カーファックス修道院の納骨堂の2場で進行する。このためドラキュラ伯爵は、上流階級の家に招かれるだけの容姿と礼儀作法を備えざるを得なくなり、黒の夜会服を着こなす「貴公子然としたイメージ」が確立された。この舞台ではドラキュラが観客に背を向けて一瞬にして消滅するイリュージョンの演出があり、そのために後頭部(首)が隠れる大きな襟の立ったマントが必要だった。ドラキュラのマントの襟が立っているのはこの時の名残である。なお、マントの正確な着方は襟を寝かせるもの。このスタイルを初めて映像化したのが『魔人ドラキュラ』(1931年)である。

映画ではベラ・ルゴシの後、ロン・チェイニー・ジュニアジョン・キャラダインが、戦後は英国ハマー・フィルム・プロダクションのシリーズでクリストファー・リーがドラキュラを演じている。ことにクリストファー・リーはドラキュラ映画初のカラー作品『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)で獰猛なドラキュラを殺伐と演じて大好評を博し、それまで不動と思われたルゴシ=ドラキュラのイメージを塗り替えるに至り、半世紀経過した現在でも語り継がれる当たり役となった。リーがドラキュラ役を退いて以降、主だったところでは、フランク・ランジェラゲイリー・オールドマンリチャード・ロクスバーグルーク・エヴァンズといった面々がドラキュラを演じている。特にエヴァンズは映画『ドラキュラZERO』(2014年)において、それまでの作品とは一線を画する中世トランシルヴァニア時代のドラキュラを演じている。日本では岡田眞澄、岸田森がドラキュラを演じている。

キャラクター

原作小説では「背の高い痩せた男」「燃えるような赤い目」という印象で繰り返し描かれる。

登場当初は白髪の老人で、中盤から血を吸って若返り黒髪になる。「鷲を思わせる精悍な顔つきで、ピンと尖った口ひげを蓄え、青白い肌とは不釣り合いに赤い唇に尖った犬歯が覗いている」「手は一見するときめ細かいがよく見たらゴツゴツしていて、手のひらの中央に毛が生えており、爪を尖った形に切りそろえている」といった容貌。服装は黒ずくめであるという他は特に記述されていない。

対して性格や趣味趣向は細かく描写されている。登場当初こそ物腰穏やかな老紳士といった風を装っているが、次第に傲岸で獰猛な本性を顕わにしていく。他者に侮られるのは我慢がならず、追い詰められても虚勢を張るなどプライドが高い。他方、長年書庫に篭ってイギリスの地理や文化を研究し、英語を自在に操れるよう練習を積むなど勉強熱心であり、召使いなどがいないため来客の給仕や城に囲っている女吸血鬼の世話といった家事を自らマメにこなすなど、律儀な面もある。生活面では人間らしさは皆無である。通常の食事を執る様子はなく、煙草も吸わない。自室に家具はなく荒れるに任されており、金貨やわずかな身だしなみ品といった人間社会に紛れ込む上で必要最低限のものしか所持していない。

吸血鬼としての性質もまた細かく描写されている(その中には後世のイメージとは異なる部分も多い)。血を吸ったり、自らの血を分け与えた者を吸血鬼に変える。また催眠術のような力で、自分に惹かれる性質の者に遠方から影響を与えることができる。怪力無双かつ変幻自在で、塵になって空を飛んだり、狼や蝙蝠に変身することができる。狼や鼠などを操り、また天候もある程度操作できる。だがこうした超能力を発揮できるのは夜間のみで、日中は怪力を備えただけの存在となる。そのため主な活動期間は日没から日の出まで。だが日光は弱点ではなく、昼間に出歩く場面もある。日中は特定の“避難所”(故郷の土を敷き詰めた棺や箱、自殺者の墓、配下の吸血鬼の棲家)で眠らなければ力を回復することができない。他人の家にはその家の家人に招かれなければ入ることができないが、一度招かれれば後は自由に出入りできる。潮の満ち引きを除き、流れる水の上を渡れない。影が無く、鏡に映らない。十字架をはじめとする神の息のかかっているものとニンニクを忌避する。

称号は伯爵(Count)ということにはなっているが、ルーマニアの貴族階級にはこの称号はなく、ドラキュラが仮に貴族とされていても、「伯爵」というのは単なる敬称に過ぎない可能性が高い。実際、小説中においてドラキュラ当人がこの称号を名乗ったり用いたりする場面はなく、署名をする際には「D」とのみ記し、彼の墓標にもただ「ドラキュラ(DRACULA)」とのみ書かれていた。

ドラキュラの容姿はハミルトン・ディーンの舞台戯曲以来、映画「魔人ドラキュラ」のヒットもあり、オールバックの髪型で夜会服にマントを羽織るスタイルが定着している。しかし戦前から40年代までの映画でドラキュラ、及び吸血鬼が牙を装着したものは世界最古の吸血鬼映画『ノスフェラトゥ』(1922)を除いては皆無で、戦後に英国ハマー・フィルムが制作した『吸血鬼ドラキュラ』(1958)から、吸血鬼が牙を着けることがポピュラーになった。戦前のルゴシ、戦後のリーの2大スターによってドラキュラのスタイルが確固たるものになったといってよい。ちなみに唇を血で濡らしている描写を初めて映像表現したのも『吸血鬼ドラキュラ』(1958)である。

映画・演劇では演出上の理由でキャラクター設定が多岐に渡って改変される。

映画

右側にある人名は、ドラキュラを演じた役者名

テレビドラマ

参考文献

日本語訳書籍については 吸血鬼ドラキュラ (小説) を参照。

  • 『ドラキュラ伝説 : 吸血鬼のふるさとをたずねて』 レイモンド・T.マクナリー/ラドゥ・フロレスク 共著 矢野浩三郎 訳 1978年 角川選書26 (ISBN 978-4047030268)
  • 『ドラキュラの世紀末 : ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究』 丹治愛 著 1997年 東京大学出版会 (ISBN 4130830252)
  • 『ドラキュラの精神史 (フィギュール彩 77) 』 小野俊太郎 著 2016年 彩流社 (ISBN 978-4-7791-7082-9)

関連項目

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