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ザ・ゴールデン・カップス

ザ・ゴールデン・カップス(The Golden Cups)は、1966年12月、神奈川県横浜市デイヴ平尾を中心に結成されたグループ・サウンズ

ザ・ゴールデン・カップス
基本情報
出身地 日本神奈川県横浜市
ジャンル グループ・サウンズ
ロック
ブルースロック
ブルース

ソウル・ミュージック
サイケデリック・ロック
活動期間 1966年 - 1971年
2003年 -
レーベル 東芝音楽工業
メンバー エディ藩ギターボーカル
ルイズルイス加部ベース・ギター)
マモル・マヌードラムス・ボーカル)
ミッキー吉野キーボード・ボーカル)
旧メンバー デイヴ平尾(ボーカル)
ケネス伊東(ギター・ベース・ボーカル)
林恵文(ベース)
アイ高野(ドラムス)
柳ジョージ(ベース・ボーカル)
ジョン山崎(キーボード)

メンバー

結成当初のメンバーは以下のとおり。脱退後、解散後の目立った活動は()内に。

本名:平尾時宗。リーダー、ボーカル。
通称:時坊(トキボウ)。
本名:潘廣源(人名事典では潘の字で記載)。ギター、ボーカル。
本名:加部正義。ベース(エディ藩が脱退後はギター、後年、チャーに熱望されジョニー吉長と3人で(ジョニー、ルイス&チャー)(後にピンククラウドと改名)を結成。
本名:ケネス・イトウ(Kenneth Ito)。アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身の日系アメリカ人二世。ギター、ベース、ボーカル。
通称:ブッチ。
本名:三枝守。ドラムス兼ボーカルだったが、再結成後はボーカルに専念することが多かった。

その後、以下のメンバーが途中時期に在籍した。

本名:吉野光義。キーボード(後にゴダイゴのリーダーとして成功を収める。2003年以降は両バンドを兼務。)
ベース、藩が脱退後に加部と交代。
本名:高野元成。ドラムス(カップス以前はザ・カーナビーツのドラムス兼ボーカルとして、のち竹田和夫率いるクリエイションのボーカルとして、それぞれヒットあり)。
ベース、ボーカル(ソロでヒット曲を出し成功を収める)。
キーボード。現在ホノルルで牧師として活動中(アロハ・バイブル・チャーチ)。

来歴

  • 1965年頃、既に横浜ではいくつものアマチュアバンドが結成されており、ダンスパーティーやイベントなどに活動の場を求めていた。平尾もそうしたアマチュアのひとりで、スフィンクスというバンドでボーカルを担当していた。スフィンクスと、エディ藩がギターを担当していたファナティックスは共にアマチュアながら、当時の横浜を代表するバンドであり、東京から音楽関係者が足を運んで演奏を聴きに来たり、ファナティックスは芸能プロからのスカウトを受けていた。
  • 1966年7月3日、平尾は単独でアメリカ旅行に出発する。昼間はレコード店巡り、夜はライブを観に行くという毎日だったようである。ライチャス・ブラザーズがヒットを出していた頃であり、平尾も『アンチェインド・メロディ』の歌唱を身につけるよう努力した。平尾とほぼ同時期に藩も彼の父親に『旅行から帰ったら音楽を辞めて料理人になる』という約束で渡米していた。実際には藩は音楽シーンの見聞を広める事と、新しい楽器を買うためにアメリカへ行ったが、サンフランシスコで行われたゼムのライブ会場で平尾と偶然に再会する。11月、平尾が帰国。高校時代の友人と本牧のレストランバー「ゴールデン・カップ」を訪れた際、オーナーの上西四郎から『この店の専属バンドを探している』と言われる。こうして、スフィンクスは「ゴールデン・カップ」のステージに立ったのだが、当時最先端の音楽に生で触れてきたばかりの平尾には、バックの演奏が物足りなく感じた。そこで平尾は『人前に立つなら腕利きのメンバーを集めよう』と考え、アメリカで再会した藩を誘い、藩は伊東を誘った。(ちなみにカップスが「ゴールデン・カップ」で演奏していた頃、「ゼブラ・クラブ」で演奏していたのが、ザ・テンプターズである。)当初はベースに伊東、ドラムスにジョニー野村(後のゴダイゴのマネジャー)を据える予定だったが、野村は既にプロモーターを志して国際基督教大学に進学していた為、平尾の渡米中にスフィンクスのボーカルを代行していたマモルがドラムスを担当する事になり、彼が同じ高校の先輩であった加部を誘った。12月3日、上記5人のメンバーで平尾時宗とグループ・アンド・アイとしての活動をスタートさせる。12月10日、「ゴールデン・カップ」に来店していた「ナポレオン党」(カミナリ族、現在でいう暴走族のはしり)を取材していたTBSの撮影スタッフの目にとまり、『ヤング720』でテレビ初出演を果たす。
  • 1967年6月15日、テレビ出演をきっかけに口コミで評判が広がり、妹から話を聞いた歌手の黛ジュンが、東芝音楽工業(東芝レコード、現:EMIミュージック・ジャパン)の関係者を「ゴールデン・カップ」に連れてきた事を足掛かりとして、1stシングル『いとしのジザベル』でレコードデビュー。デビューに際し、グループ・アンド・アイでは分かりにくい為、TBS『ヤング720』の担当ディレクターだった高樋洋子によってゴールデン・カップスへと改名された[1]。因みに同シングルは公称18万枚のヒットを記録。なお、ザ・スパイダースのリーダー、田邊昭知も熱心にスカウトに来たが、黛ジュンとの話が先だった為、田邊昭知のスカウトは断った。また、彼らを混血グループという触れ込みで売り出しを図ったのは、東芝音楽工業の意向だとされている。7月21日、東京のジャズ喫茶(ラ・セーヌ)に初出演。8月26日、第31回日劇ウエスタンカーニバルに初出場。新人賞を獲得する。
  • 1968年3月10日、1stアルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』を発売。4月1日、3rdシングル『長い髪の少女』が発売。オリコン14位、35万枚のセールスを記録し、一躍人気グループの仲間入りをする。7月8日、ビザの関係で伊東が一時活動休止(軍属であった父親が退職を決意したため)。吉野が加入。9月1日、4thシングル『愛する君に』が発売され、オリコン13位となる[2]。GS全盛時代は、ジミ・ヘンドリクスマディ・ウォーターズ、(ジュニア・ウォーカー)、(クラシックス・フォー)[3]ウィルソン・ピケットクリームヴァン・モリソンポール・バターフィールド、リー・ドーシー[4]らをカバーしていた。10月21日、伊東が復帰。
  • 1969年4月25日、藩と伊東が(エディ藩グループ)結成のため脱退。林がベースとして加入し、加部がギターにコンバートする。12月28日、加入前の山崎とルームというバンドを結成するため、加部と林が脱退し、マモルも作曲家鈴木邦彦に熱望され、ソロ歌手になるため脱退する。
  • 1970年1月1日、エディ藩グループと合併し、藩と伊東が復帰、マモルの後任には、同年9月に解散したザ・カーナビーツのドラムス兼ボーカルであり、エディ藩グループのドラムスでもあった高野が加入。(高野には、マモルが使っていたパールドラムセットが譲られた。)8月31日、父親がカウアイ島で経営していたサーフボード店の後を継ぐ為、伊東が完全脱退。9月1日、柳ジョージが加入。
  • 1971年1月、吉野が脱退。以降、山崎加入までは4人編成で活動を継続。7月3日、山崎が加入。
  • 1972年1月1日、ゴールデン・カップスとして最後の仕事となった沖縄ディスコで、『長い髪の少女』を演奏中、会場内で火災が発生し、柳のベースを除く機材をすべて焼失。1月2日、解散。

グループ解散後

  • 1972年10月5日、平尾が初のソロシングル『僕達の夜明け/一人』を発売。
  • 1973年12月頃、同年春ころから断続的に活動を続けてきたママリンゴというバンド(メンバーは平尾、加部、柳)が、デイブ平尾とゴールデン・カップス名義で活動を開始。
  • 1975年頃、平尾が俳優業を本格化させたため、デイブ平尾とゴールデン・カップスを解散。
  • 1981年12月5日、横浜シェルガーデンで行われたライブ、『ゴールデン・カップス・ワンナイト・セッション』で当日のみの再結成(メンバーは、平尾、藩、加部、吉野、高野)。
  • 1982年、平尾が六本木にライブ・バー「ゴールデン・カップ」をオープン。
  • 1989年4月5日、大阪城ホールでのライブ、『タイガース・メモリアル・クラブ・バンド』にて、当日のみの再結成(メンバーは平尾、マモル、吉野、高野)。6月10日、横浜アリーナでのライブ、『タイガース・メモリアル・クラブ・バンド』にて、当日のみの再結成(メンバーは平尾、藩、マモル、加部、吉野、高野)。
  • 1997年3月2日、ケネス伊東が死去。
  • 2002年12月、本格的な再結成と映画『ザ・ゴールデン・カップス・ワンモアタイム』の製作が決定。
  • 2003年5月4日5月6日、横浜・club Matrixにて映画撮影用ライブ『THE GOLDEN CUPS MAXIMUM R&B LIVE 2003』を行う。メンバーは平尾、藩、加部、マモル、吉野の5人に、サポートメンバー3名(ドラムス:樋口晶之、ベース:スティーブ・フォックス、ギター:中村裕介)。8月9日NHK『思い出のメロディー』に出演。
  • 2004年7月24日横浜赤レンガ倉庫にて、映画完成ライブイベント、『ONE MORE TIME LIVE SESSION 2004』を行なう。7月25日、横浜赤レンガ倉庫にて、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』先行完成披露上映会を行なう。10月10日、渋谷公会堂にて『THE GOLDEN CUPS MAXIMUM R&B LIVE 2004』を行なう。11月20日、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』が一般公開される。
  • 2006年4月1日、急性心不全で高野が死去。
  • 2008年11月10日、食道がん療養中に心不全で平尾が死去。11月28日、『デイブ平尾追悼ライブ(当初は『THE GOLDEN CUPS×G.S. SUPER UNIT LIVE SPECIAL 2008』で実施予定)』を行なう。
  • 2009年1月26日、神奈川県横浜市のライヴハウス「タイクーン」にて、『THE GOLDEN CUPS PRESENTS 追悼 デイヴ平尾 トリビュートパーティー』が行われ、メンバーはもちろん、 旧知の(CHIBO)や(陳信輝)、CHARやジョニー吉長、金子マリ石間秀機篠原信彦などに加え、沢田研二岸部一徳も参加して、平尾と伊東を偲んだ。11月10日、横浜BLITZにて『THE GOLDEN CUPS 横浜公演 2009』を行う。残った4人とサポートメンバー(樋口とスティーブ)に加え、ベースで林が数曲参加する。
  • 2011年10月10日、腎不全で柳ジョージが死去。
  • 2017年7月29日、「フジロックフェスティバル」出演。
  • 2020年9月1日、心筋梗塞でマモル・マヌーが死去[5]
  • 2020年9月26日、多臓器不全でルイズルイス加部が死去[6]

メンバーの変遷

ボーカル
ギター ベース ドラムス キーボード
1966年12月3日 - 1968年7月7日 デイヴ平尾 エディ藩
ケネス伊東
ルイズルイス加部 マモル・マヌー
1968年7月8日 - 1968年10月20日 エディ藩 ミッキー吉野
1968年10月20日 - 1969年4月25日 エディ藩
ケネス伊東
1969年4月26日 - 1969年12月31日 ルイズルイス加部 林恵文
1970年1月1日 - 1970年8月31日 エディ藩 ケネス伊東 アイ高野
1970年9月1日 - 1971年1月 柳ジョージ
1971年1月 - 1971年7月2日
1971年7月3日 - 1972年1月2日 ジョン山崎
1972年1月3日 - 1973年12月 解散中
1973年12月 - 1975年 デイヴ平尾 ルイズルイス加部 柳ジョージ
1975年 - 1981年12月4日 活動停止
1981年12月5日 デイヴ平尾 エディ藩 ルイズルイス加部 アイ高野 ミッキー吉野
1981年12月6日 - 1989年4月4日 活動停止
1989年4月5日 デイヴ平尾
マモル・マヌー
アイ高野 ミッキー吉野
1989年4月6日 - 1989年6月9日 活動停止
1989年6月10日 デイヴ平尾
マモル・マヌー
エディ藩 ルイズルイス加部 アイ高野 ミッキー吉野
1989年6月11日 - 2003年5月3日 活動停止
2003年5月4日 - 2008年11月10日 デイヴ平尾
マモル・マヌー
エディ藩
ルイズルイス加部
ルイズルイス加部 ミッキー吉野
2008年11月11日 - マモル・マヌー

特徴

結成から解散に至るまで、オリジナルのヒット曲はあったが、ステージ上ではこれらの曲を演奏することを好まず(ただし、平尾のサービス精神もあり全く演奏しないわけではなかった)、もっぱら当時のアメリカイギリスで流行していたロックやリズム・アンド・ブルースのカバー曲を演奏していた。

ディスコグラフィ

シングル

  1. いとしのジザベル/陽はまた昇る(1967年6月15日)
  2. 銀色のグラス/ドゥー・ユー・ノー・アイ・ラヴ・ユー(1967年11月15日
  3. 長い髪の少女/ジス・バッド・ガール(1968年4月1日)
  4. 愛する君にクールな恋(1968年9月1日)
  5. 過ぎ去りし恋/午前3時のハプニング(1968年12月5日
  6. 本牧ブルース/4グラムの砂(1969年2月1日
  7. ルシール君は僕に首ったけ悲しき叫び(1969年5月1日
  8. 蝶は飛ばない/もう一度人生を(1969年7月10日
  9. にがい涙/悪魔にだまされた(1970年5月5日
  10. 人生は気まぐれ/たったいちどの青春(1971年11月5日

アルバム

  1. ザ・ゴールデン・カップス・アルバム(1968年3月10日)
  2. ザ・ゴールデン・カップス・アルバム第2集(1968年9月10日
  3. ブルース・メッセージ/ザ・ゴールデン・カップス・アルバム第3集(1969年3月10日
  4. スーパー・ライヴ・セッション(1969年8月1日
  5. ザ・ゴールデン・カップスのすべて(1969年8月1日)
  6. ザ・ゴールデン・カップス・リサイタル(1969年10月10日
  7. 長い髪の少女/ゴールデン・カップスのすべて(1969年11月10日
  8. ザ・フィフス・ジェネレーション ザ・ゴールデン・カップス・アルバム8(1971年1月10日
  9. ライヴ!! ザ・ゴールデン・カップス(1971年10月5日
  10. BLUES OF LIFE(2004年11月10日
  11. ワンモアタイム(2004年11月17日
  • ロックンロール・ジャム'70(1970年4月5日・4バンドによるライブアルバム)
  • なかにし礼 作品集 四つの明星(1969年4月10日・黛ジュン, ザ・ゴールデン・カップス, 奥村チヨ, 和田弘とマヒナスターズによるオムニバスアルバム。カップス名義だが、実際は平尾のみ参加。)
  • その他ベストアルバム、コンピレーションアルバム多数。

出演映画

  • (ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム)(2004年11月20日公開)

脚注

  1. ^ 熱狂GS図鑑 黒沢進著 徳間書店 1986年1月刊 19頁。
  2. ^ http://music-calendar.jp/2017090101/
  3. ^ 『スプーキー』をカバーした
  4. ^ http://www.allmusic.com/artist/lee-dorsey-mn0000814898
  5. ^ "ザ・ゴールデン・カップスのマモル・マヌーさんが死去、71歳 心筋梗塞のため". サンケイスポーツ. 産経デジタル. 8 September 2020. 2020年9月14日閲覧
  6. ^ “ルイズルイス加部さんご逝去”. 2020年9月26日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 公式ページ
  • アルタミラミュージック
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