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『あなたのメロディー』は、1963年3月23日から1985年3月21日までNHK総合テレビで放送された、視聴者参加型の音楽番組である。
概要
この番組では、視聴者からオリジナル曲(基本は作詞・作曲)を譜面にて公募し、応募曲の中で優れたものを毎週5曲ほどプロの歌手による歌唱で発表し、その中から1曲、アンコール曲(週間の優秀曲)を決定した[1]。
さらに、アンコール曲を6曲集めて月間大会を行っていた。この月間大会で6曲からさらに1曲または2曲に絞られたものが、年1回NHKホールで開催される栄えある年間コンテストに進み、そこで年間優秀作品(最優秀曲:1曲と優秀曲:2曲程度)が決定されるというものであった。
例年、この年間コンテストにおいて、上位に入賞した曲についてはほぼレコード化される傾向にあった。また、この番組から誕生し、後に『みんなのうた』や『おかあさんといっしょ』で放送された楽曲もある。
この番組から北島三郎の代表作となった「与作」や、トワ・エ・モワの「空よ」、青江三奈の「盛岡ブルース」、八代亜紀の「海猫」、テクノ・ポップへの大胆なアレンジが話題を呼んだ「コンピューターおばあちゃん」、童謡の定番として歌われている「おへそ」などの曲が誕生した。
アマチュア音楽家が作曲をすることが珍しかった番組開始当初は応募曲が少なかったものの、回を追うごとに応募曲が増えて、番組の最終年度である1984年度には約3万5000曲と膨大な数になったことにより、物理的に審査(作曲家の弦哲也らが担当)の手が回らなくなった。
この番組は、1985年3月21日に放送された「1984年度年間コンテスト+最終回記念ステージ“空よ”」をもって最終回を迎え、22年の歴史に幕を閉じた[注 1]。
年間優秀作品コンテストの放送日
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番組から誕生した主な楽曲
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- 1972年頃まで
- 「はだしの少年」作詞:金井勝、作曲:小林義和、歌:克美しげる(1967年6月5日発売、シングル。昭和42年度年間最優秀作品賞受賞)
- 「心機一転」作詞・作曲:三木あき子、歌:水前寺清子(1969年8月10日発売[2]、シングル「赤いトランク」B面曲)
- 「ジュリエット・バラード」作詞:長谷川正人、作曲:多久友史、歌:ザ・キングトーンズ(1969年9月15日発売のLP『愛のノクターン』収録[2])
- 「この手のひらいっぱいに」作詞・作曲:氏家祐見子、歌:森山良子(1969年9月25日発売のLP『カレッジ・フォーク・アルバムNO.2』収録[2])
- 「私のジョニー」作詞・作曲: 難波寛臣、歌:竹越ひろ子(1969年10月1日発売、シングル[2])
- 「あんな娘がいいな」作詞・作曲:水本方治、歌:ダークダックス(1969年11月20日発売、シングル)
- 「おへそ」作詞・作曲:佐々木美子、歌:斉藤浩子、ロイヤル・ナイツ(1970年2月発売、シングル。『おかあさんといっしょ』でも放送)
- 「空よ」作詞・作曲:難波寛臣、歌:トワ・エ・モワ(1970年3月25日発売、シングル)
- 「愛の泉」作詞・作曲:渡部隆巳、歌:トワ・エ・モワ(1971年6月5日発売、シングル)
- 「お嫁に行くんだね」作詞・作曲:林保明、歌:水原弘(1972年3月5日発売、シングル)
- 「それ行け3組」作詞:桑嶋賢二、作曲:中村秀子、歌:西六郷少年少女合唱団(1972年発売。『みんなのうた』でも放送)
- 「算数チャチャチャ」作詞・作曲:山口和義、歌:ペギー葉山(『みんなのうた』でも放送)
- 「でごいち」作詞・作曲:平出賢文(1973年発売)
- 1973年度
- 「デンデン虫のデン子さん」作詞・作曲:橋本美和子(『みんなのうた』でも放送)
- 「ひげなしゴゲジャバル」作詞・作曲:菊地之枝(『みんなのうた』でも放送)
- 1976年度
- 年間最優秀曲 - 「海の賛歌」作詞・作曲:近藤誠宏
- 年間優秀曲 - 「わたしは「とうふ」です」作詞・作曲:藤井政重(1977年発売。『みんなのうた』でも放送)
- 1979年度
- 年間最優秀曲 - 「ブルー・スカイ・イン・マイ・ハート」作詞・作曲:斉藤幸彦、歌:尾崎紀世彦(1980年発売、編曲:信田かずお)
- 「三の宮ブルース」作詞・作曲:福本茂、歌:森雄二とサザンクロス(1980年発売)
- 1980年度
- 「コンピューターおばあちゃん」作詞・作曲:伊藤良一(『みんなのうた』でも放送)
- 調査中
- 「まあだだよ」作詞・作曲:持田治男、佐々木道明(『みんなのうた』でも放送)
- 「ともだち」作詞:清水純一、作曲:清水孝一(『みんなのうた』でも放送)
関連アルバム
放送時間
- 1963年3月 - 1965年3月:土曜 19:30 - 19:59
- 1965年4月 - 1969年3月:日曜 10:00 - 10:40
- 1969年4月 - 1970年3月:日曜 10:00 - 10:35
- 1970年4月 - 1985年3月:日曜 11:00 - 11:35
司会者
審査員
この番組の審査員は、単に応募作品の審査だけでなくその作品の改良点につき指摘・忠言を行う役割を担っていたことから、「アドバイサー」とも呼ばれていた。
映像の現存状況
NHKに公式に残されているのは「年間優秀作品コンテスト」(1978年度、1981~1984年度)の計6本と、1981年1月の特集番組1本だけである。その後、かつて当番組に出場した視聴者から、1968年放送分[4]、1977年放送分[5]、1982年10月放送分[6]、本田路津子から自身が出演した1975年2月9日放送分[7]の映像が提供された。
視聴者参加番組であったため出場した視聴者が家庭で録画している可能性があり、NHKは提供を呼びかけている。
脚注
注釈
- ^ ラストは出演者全員で「空よ」を歌った。
出典
- ^ 日本放送協会 編『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年10月15日、161頁。(NDLJP):2474361/96 。
- ^ a b c d e 「土曜の話題 NHKの『あなたのメロディー』ぞくぞくレコードに」『読売新聞』1969年8月16日付朝刊、18頁。
- ^ 湯川れい子 - NHK人物録
- ^ 1968年の『あなたのメロディー』を発掘! - NHKアーカイブス・2018年10月19日
- ^ 発掘!「あなたのメロディー」がつないだ縁! - NHKアーカイブス・2014年4月25日
- ^ 『あなたのメロディー』視聴者出演者から発掘! - NHKアーカイブス・2022年7月15日
- ^ 伝説のフォークシンガー・本田路津子さんから発掘! - NHKアーカイブス・2019年9月13日
外部リンク
- あなたのメロディー - (NHK放送史)
- 番組エピソード あなたのメロディー-NHKアーカイブス
NHK総合テレビ 土曜19時台後半枠 | ||
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NHK総合テレビ 日曜10:00 - 10:40枠 | ||
世界の農村 (10:00 - 10:30) 名古屋終雪 (10:00 - 10:30) | あなたのメロディー (1965年4月 - 1969年3月) | あなたのメロディー (10:00 - 10:35) 【5分縮小して継続】 海外リポート (10:35 - 11:00) |
NHK総合テレビ 日曜10:00 - 10:35枠 | ||
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NHK総合テレビ 日曜11:00 - 11:35枠 | ||
スポーツアワー (11:00 - 11:20) 【25分繰り上げ】 日本ところどころ (11:20 - 11:50) | あなたのメロディー (1970年4月 - 1985年3月) |