来歴
父(舘野弘)はチェリスト。母(舘野光)(小野光)はピアニスト。母方は、明治維新まで7代にわたって仙台藩の能楽を司っていた家系である。妻の(マリア・ホロパイネン)はフィンランド人のソプラノ歌手。息子の(ヤンネ舘野)はヴァイオリニスト。弟の(舘野英司)はチェリスト。妹の(鍋島晶子)はヴァイオリニスト。晶子の長女の(鍋島真理)は音楽学者。末妹の広瀬悠子はピアニスト。
東京市目黒区自由が丘に生まれ育ち、戦災を避けて栃木県小山市間中に一家で疎開、敗戦を迎える。目黒区立緑ヶ丘小学校から慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て東京藝術大学音楽学部ピアノ科を首席で卒業した。ピアノはレオニード・コハンスキー、安川加寿子、豊増昇、イェルク・デームスに師事した。
1964年からヘルシンキに居住。シベリウスをはじめ、メリカント、マデトヤ、パルムグレン、カスキ、メラルティン、ラウタヴァーラ、コッコネン、ノルドグレンなど、フィンランドの近現代作曲家の作品に取り組み続けている。日本シベリウス協会会長を務める。
また、若い頃からセヴラックに惹かれ、自身のレパートリーに組み入れている。2002年には日本セヴラック協会を作り、顧問を務めている。
1968年、メシアン・コンクールで第2位。同年より国立シベリウス・アカデミーの教授を務めたが、1981年以来フィンランド政府より芸術家年金を与えられ、以降教職を退いて演奏活動に専念している。
2002年1月9日、フィンランド・タンペレでの演奏が終わってピアノから3歩ほど歩いた所で脳溢血のため転倒し、右半身に麻痺が遺る。リハビリを経ても右手が不自由のままであったが、2003年8月の(オウルンサロ音楽祭)で、スクリャービンやリパッティによる左手のためのピアノ作品の演奏を行い復帰する。それをきっかけに、本格的にこの分野を開拓していこうと決意し、翌年には日本で左手のピアノ作品によるリサイタルを開き、マスコミにも大きくとりあげられた。以後、演奏会、録音ならびに新作委嘱などを通して、左手ピアノ曲の普及に努めている。
人物
著作
関連書籍
- 左手のピアニスト―ゲザ・ズィチから舘野泉へ(シュミット村木眞寿美 著、河出書房新社、2008年)
テレビ出演
その他
出典・脚注
外部リンク
- 舘野泉オフィシャルウェブサイト(2006年11月26日開設)
- 舘野泉インタビュー