フォークロック(英語: folk rock)は、音楽のジャンルの一つで、フォークとロックの要素が結合された楽曲、演奏様式を指す。全盛期は1960年代半ばから1970年代前半。フォークに電気楽器を導入したことで誕生したとされている。
フォークロック | |
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現地名 | folk rock |
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概要
フォーク・ミュージックは、深い人間洞察や社会の有り様を詩的に活写した作品を生み出し、社会的な視点からの創作姿勢、深みのある歌詞などは、ロックミュージシャンにも大きな影響を与えてきた。フォークロックは、1960年代半ば、北アメリカで生まれた。当初、フォークロックと呼ばれた楽曲の特徴は、北アメリカの民俗音楽、あるいは、当時のシンガーソングライターの楽曲をレパートリーとし、ハーモニーを生かした歌唱と、従来の楽器に加え、電気楽器をあまりエフェクターをかけずに用いた演奏であった。
この北アメリカでの動きに触発され、イギリスやケルト圏でも様々なフォークロックの様式が見られるようになった。スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、ブルターニュなど、各地域の民俗音楽とロックの融合が図られた。この音楽的試みには、フォーク・ミュージック(民俗音楽)とロック双方の分野のミュージシャンが取り組んだ。そして更に、ヨーロッパの他の地域でもフォークロックに取り組む音楽家が現れてきた。
フォークは社会性の強い歌詞に特徴があったが、表現の幅を広げ、聴衆への伝達力を増すためロックの手法を大幅に導入した。有名なのは1965年の(ニューポート・フォーク・フェスティバル)で、ボブ・ディランがエレクトリック・ギターを含むロック・バンドといっしょに演奏し、激しいブーイングを浴びた一件である [1]。当初、聴衆の側から音楽的堕落、世俗への迎合といった反発があったことから、当時のフォークの位置づけが窺える。
歴史
誕生の背景
フォークロックが誕生する背景には、主に次の3つのグループや現象が影響を与えている。
- 都市や大学を拠点としてフォークソングを歌うグループ
- シンガーソングライター
- ブリティッシュ・インヴェイジョン(ビートルズなど)
このうち始めの2つは、ウディ・ガスリー[注釈 1]とピート・シーガー、および1930年代の人民戦線運動から生まれた文化に強く影響を受けている。
都市を拠点としてフォークソングを歌い始めたのは、(アルマナック・シンガーズ)であった。このグループは、1930年代後期から1940年代初期にかけて、ガスリー、シーガー、リー・ヘイズ他、メンバーを替えつつ活動した。第二次世界大戦下を経て1947年に、シーガーとヘイズは、ロニー・ギルバート、フレッド・ヘルマンと組み、ウィーヴァーズを結成する。ウィーヴァーズは、レッドベリーの「アイリーン」をカバーし大ヒットさせ、この分野は一般大衆の間に広がっていった。文学で1950年代に隆盛をきわめたビート・ジェネレーションは、ジャズと密接な関係を持つ一方、ボブ・ディランらその後のフォーク・シンガー達に大きな影響をもたらした。
彼らは1950年代初期の赤狩りに巻き込まれてしまったが、彼らの音作り、および民俗音楽や社会問題を題材とした楽曲は、(キングストン・トリオ)、(チャド・ミッチェル・トリオ)や、あまり政治的では無かったカレッジ・フォーク・グループ(例えばブラザース・フォア、ハイウェイマンのようなグループにも影響を与えた。その楽曲を通してみられる音楽性はフォークソング、そして、トピカルソング、社会性の強い歌)の始まりといえる。 1955年アラバマ州モントゴメリーで州法の人種分離法抗議から先鋭化する公民権運動に、ピート・シーガーらはこの市民活動で一役買うことになった。
ブリティッシュ・インヴェイジョンの現象は、フォーク・ロック誕生の直接的な要因となった。ビートルズやローリング・ストーンズ、その他多くのバンドが、ロックには創造的な媒体として幅広い可能性があることをアメリカのミュージシャンに改めて認識させた。1965年、フォークスタイルの楽曲にエレクトリック・ギターを取り入れたバーズの「ミスター・タンブリン・マン」、ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」などのヒット曲が生まれ、フォークロックは北アメリカにおける主要な音楽ジャンルとなった.[1][2]。
アメリカ
アメリカ合衆国で最もフォークロックが活動的であったのは1960年代中頃から1970年代中頃であった。これはヒッピー[注釈 2]現象とほぼ時を同じくする。ボブ・ディランやそれ以前のウディ・ガスリーらのミュージシャンのフォークソング、(フォーク・リヴァイヴァル)におけるボーカル・グループ、ブリティッシュ・インヴェイジョンのロック、これらの要素が融合されていき、ハンク・ウィリアムズらの古いカントリーからの影響も見られるようになった。
いずれも、発表時点で特に新たな音楽の分野と見られていたのではなかったが、ブリティッシュ・インヴェイジョンが起きた後、フォークロック様式であったことを認識されるようになった。 また、ブリティッシュ・インヴェイジョンに応えて、やスコット・マッケンジー、ジェファーソン・エアプレインらもヒットを放った。
イギリス
ボブ・ディランらを刺激した、アメリカの反体制的な文学ビート・ジェネレーションは、モダン・ジャズを愛好し、イギリスのモッズ文化誕生のきっかけの一つにもなった。戦後世代のイギリスの若者の間でのフォークやロック、ブルース、ブルース・ロックのブームは、本国アメリカ同様1960年代半ば以降深まった。
1964年のアニマルズの「朝日のあたる家」は、ボブ・ディランがエレキ・ギターを持つきっかけになった。ビートルズらを中心としたブリティッシュ・インヴェイジョンは、アメリカ、イギリスのフォーク・ロックの隆盛に、大きな影響を与えた[3]。フォーク・ミュージシャンによる取り組みでは、ドノヴァンが1965年デビュー、1966年(イギリス発売は1967年)ドノヴァンはアルバム「サンシャイン・スーパーマン」を発表。この年からプロデュースを担当するミッキー・モストが初期サイケデリック・ロックの影響をここに持ち込みアレンジに工夫を凝らした。
1968年ペンタングル結成。フォークソロ歌手ジャッキー・マクシーとそのギタリストバート・ヤンシュ、ジョン・レンボーンに、ドラムスとウッド・ベースはジャズ奏者で、アコースティック楽器を電気増幅で音量を大きくした、ジャズ色のあるアレンジでトラディショナル・ブリティッシュ・フォークやオリジナルを演奏した[4]。1962年創業でフォーク作品中心に販売していたトランスアトランティック・レコード(en)と契約、この頃はイギリスで「エレクトリック・フォーク」(Electric Folk) とも呼んでいた。
1967年デビューのフェアポート・コンヴェンションはイギリス独自のフォーク・ロックを提示した。1970年スティーライ・スパンは、フェアポート・コンヴェンションを脱退したアシュリー・ハッチングスが結成した。ギター奏者マーティン・カーシーが参加。アルバム『テン・マン・モップ、あるいはレザヴォア・バトラー氏捲土重来』発表後、ハッチングスとカーシーは脱退、スティーライ・スパンはマディ・プライヤーを中心にドラムス担当を加入させトラディショナル・フォークをロック寄りにしたフォークロックを展開した。
マーティン・カーシーは再び伝承民謡でソロ活動の基本に戻り、平行してアシュリー・ハッチングスらのセッションや(ブラス・モンキー)に参加し現在に至る。左派系のトピック・レコードは、フォークのレコードを多数発表した。そしてヒッピー・バンド、(インクレディブル・ストリング・バンド)のようなイギリスのフォークロックにおける試みは、サイケ・フォークへ繋がっていく。
西欧、南欧、北欧、東欧
フランスのフォークロックでは、La Bamboche、Tri Yannらが活動した。アイルランドでは、ヴァン・モリソン[注釈 3]とゼム[注釈 4]が活躍した。後年、ザ・ポーグスとドロップキック・マーフィーズらがアイルランド民謡とパンク・ロックを結び合わせた。イタリアではジアン・ビレッティ、エンリコ・カプアーノらが初期のフォークロックを演奏した。
ドイツのフォーク・ロックには、ザ・オライリー&ザ・パッディがいた。ノルウェーでは、ゴーテが、ノルウェーの伝承文学のひとつであるスティーヴ(stev、即興詩)とロックの融合が試みられた。ルーマニアにおいては、1962年に結成された(トランシルヴァニア・フェニックス)や、(スピタルル・デ・ウルジェンツァ)とモルドバの(ズドッブ・シ・ズドッブ)らは、民族音楽とロックを融合した楽曲を発表した。
日本のフォークロック
主なミュージシャン
北米
- ソロ・シンガー
アメリカ、カナダのフォークロック音楽家
- ボブ・ディラン[5]
- メラニー[注釈 5]
- ウッドストック・フェスティバルに出演。
- バフィー・セントメリー[注釈 6]
- 『いちご白書』の主題歌「サークル・ゲーム」(ジョニ・ミッチェル作詞作曲)で知られる、ネイティヴ・アメリカン系の女性フォークシンガー。
- ニール・ヤング[注釈 7]
- カナダ出身。1972年の「孤独の旅路」が全米1位を記録。
- (ギリアン・ウェルチ)
- マンハッタン出身、ロサンジェルス育ち。ブルーグラス、オールドタイム、ネオトラディショナル・カントリーのシンガーソングライター。
- (フィル・オクス)[注釈 8]
- 1940年、テキサス州エル・パソ出身。トピカルソング・シンガー。
- (アーロ・ガスリー)[注釈 9]
- ドン・マクリーン[注釈 10]
- ジム・クロウチ
- 1943年、フィラデルフィア出身。1973年飛行機事故で死去。
- レナード・コーエン
- カナダ モントリオール出身。詩人、小説家、シンガーソングライター。
- ジュディ・コリンズ
- ポール・サイモン
- 「母と子の絆」がヒット。
- (フレッド・ニール)
- (ネイサン・ビショップ)
- カナダ出身。ケルト音楽のシンガーソングライター。
- (ジョナサ・ブルック)
- ボストン出身。シンガーソングライター。
- リッチー・ヘヴンス
- ジョニ・ミッチェル[注釈 11]
- カナダ出身。
- バリー・マクガイア[注釈 12]
- (ジェシ・コリン・ヤング)
- 元ヤングブラッズ。
- (ゴードン・ライトフット)
- カナダのシンガーソングライター。1938年生まれ。1950年代後半に活動開始。
- ロボ
- 「片思いと僕」を発表。
グループ
- (イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー)
- (インディゴ・ガールズ)
- 1985年にジョージア州で結成したデュオ。
- (グレイト・ビッグ・シー)
- カナダのフォークロック・バンド。北アメリカにおける初期のフォークロックに良く類似している。
- (グレープス・オブ・ラズ)
- カナダのフォークロック・バンド。1983年結成、1992年解散。
- (ケルタエ)
- ケープブレトン島とニューファンドランド島の民俗音楽を融合させたケルト・フォークロック・バンド。それぞれの伝承曲の持ち味を残しつつ、ハードロックやファンク、ジャズの要素を含み、ロックの定義を広げた。
- (シールズ&クロフツ)
- (スピリット・オブ・ザ・ウェスト)
- カナダのバンド。北アメリカにおける初期のフォークロックに良く類似している。
- ダックス
- カナダのフォークロック・バンド。ケルト民謡をベースとし、ゴスペル、ブルーグラス、北アメリカの民謡を織り交ぜ、ラテン的なパーカッションとロックで表現。
- タートルズ
- 1965年にカリフォルニアで結成。ボブ・ディランの「悲しきベイブ」のカバーがヒット。
- (ニュー・クリスティ・ミンストレルズ)
- バーズ
- バッファロー・スプリングフィールド
- ザ・バンド
- (ファゾム)
- アメリカのロック・バンド。2001年にニューヨークで結成。ケルトの伝統的な楽器をロックに取り込んでいる。
- フロッギング・モリー
- 1997年にロサンゼルスで結成したパンクロック・バンド。アイルランド民謡をベースとし、フィドルやバグパイプ、マンドリンなどを用いている。
- (ブルース・プロジェクト)
- ボー・ブラメルズ
- 1963年にサンフランシスコで結成。ビートルズやイギリスのバンドに影響を受ける。
- ヤングブラッズ
- ラヴィン・スプーンフル
その他
一般的にはフォークロックに分類されていないが、その傾向が見られるミュージシャンとバンド。
- グレイトフル・デッド
- 1965年にサンフランシスコで結成。フォーク、ブルーグラス、ブルース、カントリー、ジャズなどを融合させたサイケデリックロック・バンド。
- 1960年代の男女デュオ。
- ジェファーソン・エアプレイン
- 1965年にサンフランシスコで結成。活動当初はフォークロックを指向していたが、やがてサイケデリックロックへと転身した。
- モビー・グレープ
- 1966年にカリフォルニアで結成。ジャズ、カントリー、ブルースなどを融合させたサイケデリックロック・バンド。
- ラヴ
- 1965年にロサンジェルスで結成。ロックンロール、ガレージロック、フォークなどを融合させたサイケデリックロック・バンド。
イギリスおよびアイルランド
シンガーソングライター
- (ゴードン・ギルトラップ)
- 英国の著名なギタリスト。1948年生まれ。フォークロック以外にも、フォーク、ロック、ブルースなど、多彩な分野で活動している。
- ドノヴァン
- リチャード・トンプソン
- フェアポート・コンヴェンションの創設メンバーの一人。フォークロックのギタリストとしても著名。
- ロイ・ハーパー
- 英国のアーティスト。
- (ヴィグラス&オズボーン)[注釈 13]
- アンディ・ホワイト
- シンガーソングライター。1962年、北アイルランドのベルファスト生まれ。1985年デビュー。
- ヴァン・モリソン
- チーフタンズとフォークロックの楽曲を共同制作している。
- (ディック・ゴーハン)
- 英国のフォーク、フォークロックのミュージシャン。
- (ユアン・マッコール)
- 英国のフォークロックのミュージシャン。
- エイミー・マクドナルド
- 1987年生まれ。スコットランド出身のシンガーソングライター。
バンド
- (インクレディブル・ストリング・バンド)
- 1965年、結成。サイケデリックなフォーク・バンドとして知られているが、フォークロック・バンドとして活動を開始した。
- (ウォーターボーイズ)
- 1983年に結成した、イギリスのフォークロック・バンド。
- (エナジー・ オーチャード)
- アイルランドのフォークロック・バンド。1980年代後半、北アイルランドのベルファストで結成。
- カパーケリー
- スコットランドのフォーク・バンド。
- ザ・コアーズ
- 1991年に結成した、アイルランドのフォークロック・バンド。
- スティーライ・スパン
- イギリスのフォークロック・バンド。1970年に結成され、2006年現在も活動中。
- (シャーリー&ドリーコリンズ)
- 代表作は、アンセムズインエデン。姉がドリー、妹がシャーリー。
- (トリックス・アップオン・トラベラーズ)
- 1984年頃結成されたイギリスのフォークロック・バンド。
- ヴィグラス&オズボーン
- (ピクト)(The Picts)
- スコットランドのフォークロック・バンド。1997年結成。
- (ファイブ・ハンド・リール)
- フェアポート・コンヴェンション
- 1967年にイギリスで結成したフォークロック・バンド。ウェストコースト風のカバーから活動を開始したが、イギリス民謡を取り込んでいくようになった。
- (プランクシティ)
- 1972年に結成されたアイルランドのフォーク・バンド。
- (ヘッジホッグ・パイ)
- ブリティッシュ・トラッドをベースとしたプログレッシブ・ロック色が強いバンド。
- ペンタングル
- 1967年にイギリスで結成したフォークロック・バンド。
- ザ・ポーグス
- アイルランド人のシェイン・マガウアンを中心として1982年に結成された、イギリスのフォークロック・バンド。
- (ホースリップス)
- アイルランドのジグ、リール、をベースとしたケルトロック・バンド。
- マグナ・カルタ
- 1969年にロンドンで結成したフォークバンド。
- マリコルヌ
- 1974年に結成したフランスのフォークロック・バンド。
- (ランリグ)
- スコットランドのフォークロック・バンド。1973年に結成。ゲール語によるロックを演奏する。
- (リンディスファーン)
- イギリスのフォークロック・バンド。
- ルネッサンス
- イギリス民謡とクラシック音楽をベースとしたプログレッシブ・ロック・バンド。1969年にイギリスで結成。
- (ルビー・ブルー)
- (レヴェラーズ)
- イギリスのフォークロック・バンド。1988年結成。イギリス民謡とパンクロックを混合。
- (ワールド・パーティ)
- イギリスのポップス的なロックバンド。フォークの要素も織り交ぜている。
その他
- ジェスロ・タル
- イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド。全ての楽曲にフォークの要素がある訳ではないが、『神秘の森』(Song From The Wood、1977年)、『逞しい馬』(Heavy Horses、1978年)、『ストーム・ウォッチ~北海油田の謎』(Stormwatch、1979年)は、フォークロックの分野に属する。
- ストローブス
- 1964年にイギリスで結成したロック・バンド。ブルーグラス・バンドとして活動を開始し、一時、リック・ウェイクマンが参加していたことがある。フォークロックや、プログレッシブロックなど多様な音楽性を表現し、労働党を支持した「パート・オブ・ユニオン」のヒットがある。
北欧、オセアニア
- (ウェディングス・パーティーズ・エニシング)
- オーストラリアのフォークロック・バンド。1985年結成、1998年解散。2005年に再結成。
- (ガルマルナ)
- スウェーデンのフォークロック・バンド。スンズバルで1990年結成。バンド名は北欧神話に登場する猟犬ガルムに由来(複数形)。
- (グンドゥラ・クラウス)
- ドイツのフォーク・バイオリスト。1992年にデビュー。ロサンゼルスでブルーグラスやケイジャン音楽を学び、アイルランドでアイルランド民謡やフォークロックを学んだ。
- ロイツマ
- フィンランドのフォークユニット。
- (ローリング・ジャック)
- オーストラリアのフォークロック・バンド。1985年結成、1992年解散。労働者の悲哀をアイルランド民謡を基に歌った。
アジア
たま 結成1986年 2003年解散
参考資料
- 『ロック百科 vol.2』 著フィル・ハーディ/デイブ・ラング 訳 三井徹 サンリオ 1981年
- 『ロック・エンサイクロペディア THE ENCYCLOPEDIA OF ROCK1950's-1970's』 著フィル・ハーディ/デイヴ・ラング 訳 三井徹 みすず書房 (ISBN 978-4-622-07344-4) C0073 2009年11月25日発行
- 『アローン・トゥゲザー ロックの扉を通って』 著 北中正和 而立書房 ASIN B000J93QK8 1976年発行
脚注
注釈
- ^ 「(我が祖国)」で知られる。アーロ・ガスリーの父親。
- ^ 反戦平和を主張した。グレイトフル・デッドやジョン・レノン、ニール・ヤングら多くのミュージシャンも強い影響を受けている。
- ^ 「ブラウンアイド・ガール」などが有名である
- ^ 代表曲はグロリア。
- ^ 72年に「ブランニュー・キー」がヒットしたヒッピー系女性シンガー。
- ^ 「ユニバーサル・ソルジャー」は反戦歌として知られている。カナダの女性歌手。
- ^ バッファロー・スプリングフィールド、CSN&Yなどに在籍した。
- ^ 「ターン、ターン、ターン」の作曲者。
- ^ ウディ・ガスリーの息子。
- ^ 「アメリカン・パイ」が大ヒットした。
- ^ 「サークル・ゲーム」「青春の光と影」の作曲者。「ヘルプ・ミー」がヒット。70年代半ば以降は、売れ線を無視したアート志向のアルバムを発表した。
- ^ 「イヴ・オブ・ディストラクション」がヒットした。
- ^ 「秋はひとりぼっち」が日本でヒット。
出典
- ^ “Folk-Rock Overview”. AllMusic. 2020年2月6日閲覧。
- ^ Gendron, Bernard. (2002). Between Montmartre and the Mudd Club: Popular Music and the Avant-Garde. University Of Chicago Press. p. 180. ISBN (0-226-28737-8)
- ^ “Folk-Rock Overview”. AllMusic. 2020年3月3日閲覧。
- ^ “British Folk-Rock Overview”. AllMusic. 2020年2月6日閲覧。
- ^ The Official Bob Dylan Site https://www.bobdylan.com