ガイ・リチャード・ゴロンウィ・エドワーズ(Guy Richard Goronwy Edwards, (QGM) 1942年12月30日 - )は、イングランド、チェシャー州マックルズフィールド出身の元レーシングドライバー。息子はレーシングドライバーのシーン・エドワーズ。
F1
スポーツカーやF5000を経て、1974年開幕戦アルゼンチンGPでヒルからデビュー。第7戦スウェーデンGPでは粘りの走りを見せ7位に入るもポイント獲得には至らず。その後レース中の事故で負傷しチームを離脱。ケガの影響で翌年も出走できずに終わる。
1976年、エドワーズはペントハウスやリズラのスポンサーを取り付けてヘスケスからF1に復帰するが、悪いことにチームはオーナー(アレキサンダー・ヘスケス)の資金が尽きてマシンの戦闘力が低下しはじめたところで、最高位は第10戦ドイツGPでの15位に留まる。しかしこの年のエドワーズを語るのに外せないのは、最高位を記録したそのドイツGPでのニキ・ラウダの事故のことだろう。
ニュルブルクリンク北コースの「ベルクベルク」でのラウダのクラッシュに遭遇したエドワーズは、クラッシュ直後のラウダのマシンに衝突してしまったブレット・ランガーや後続を走っていたハラルド・アートル、アルトゥーロ・メルツァリオと共にラウダの救出作業にあたった。このときエドワーズは駆け付けた救急隊にラウダの状態を逐一報告するなど冷静な対応を見せ、このことが称賛され、のちにエリザベス女王から勲章を与えられている。
エドワーズは翌年BRMから1戦だけ出場するが予選落ちに終わり、F1から身を引く。
F1後
1977年からル・マン24時間レースに1985年まで参戦(1971年にも出場)している。 また1978年から1980年にかけて国内のフォーミュラレースに参戦。1勝を挙げている。1988年からはBTCCに2シーズン参戦した。
また、エドワーズはフリーのスポンサーハンターとしても活躍。スポーツカー世界選手権のジャガーチームに(シルクカット)を(1986-1991)、F1でも1992年のロータスにカストロールのスポンサーをもたらすなどしており、「ミスター・スポンサー」とも呼ばれている。
レース戦績
F1
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | WDC | ポイント |
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1974年 | ローラ/エンバシー・ヒル | T370 | (ARG) 11 | (BRA) Ret | (RSA) | (ESP) DNQ | (BEL) 12 | (MON) 8 | SWE 7 | (NED) Ret | (FRA) 15 | (GBR) DNS | (GER) DNQ | (AUT) | (ITA) | (CAN) | (USA) | NC (21位) | 0 | ||
1976年 | ヘスケス | 308D | (BRA) | (RSA) | (USW) | (ESP) | (BEL) DNQ | (MON) | (SWE) | (FRA) 17 | GBR Ret | GER 15 | (AUT) | (NED) | ITA DNS | (CAN) 20 | (USA) | JPN | NC (39位) | 0 | |
1977年 | BRM | P207 | (ARG) | (BRA) | RSA | (USW) | (ESP) | (MON) | (BEL) | SWE | (FRA) | (GBR) DNPQ | (GER) | (AUT) | (NED) | ITA | (USA) | (CAN) | JPN | NC (54位) | 0 |
((key))
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回数 | 総合順位 | クラス順位 |
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1971年 | キャメル フィルター チーム ヒューロン | (ロジャー・エネバー) | (ローラ・T212)-フォード コスワース | P 2.0 | 55 | DNF | DNF |
1977年 | ポルシェ クレマー・レーシング | (ジョン・フィッツパトリック) (ニック・フォーレ) | ポルシェ・935 | Gr.5 | 15 | DNF | DNF |
1978年 | IBEC レーシング ディベロプメント ヘスケス チーム | (イアン・グロブ) | (IBEC・P6)-フォード コスワース | S +2.0 | 195 | DNF | DNF |
1979年 | マーチ レーシング | ディーター・クエスター (イアン・グロブ) | BMW・M1 | S +2.0 | - | DNQ | DNQ |
1980年 | J.L.P. レーシング | (ジョン・ポール・シニア) (ジョン・ポール・ジュニア) | ポルシェ・935 JLP-2 | IMSA | 312 | 9位 | 2位 |
1981年 | チーム ローラ | エミリオ・デ・ヴィロタ (ファン・フェルナンデス) | (ローラ・T600)-フォード コスワース | S +2.0 | 287 | 15位 | 3位 |
1982年 | ウルトラマー チーム ローラ | ルパート・キーガン (ニック・フォーレ) | (ローラ・T610)-フォード コスワース | C | 72 | DNF | DNF |
1983年 | (ジョン フィッツパトリック レーシング) | (ジョン・フィッツパトリック) ルパート・キーガン | ポルシェ・956 | C | 358 | 5位 | 5位 |
1984年 | (スコアル バンディット ポルシェ チーム) (ジョン フィッツパトリック レーシング) | ルパート・キーガン ロベルト・モレノ | ポルシェ・962 | C1 | 72 | DNF | DNF |
1985年 | (ジョン フィッツパトリック レーシング) | ヨー・ガルトナー デヴィッド・ホブス | ポルシェ・956B | C1 | 366 | 4位 | 4位 |
イギリス・フォーミュラ1選手権
年 | チーム | シャーシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 順位 | ポイント |
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(1978年) | チーム・マーチ | マーチ・75A/761 | フォード・コスワース・DFV 3.0 V8 | OUL Ret | BRH 4 | 4位 | 78 | |||||||||||||
マーチ・ 781 | SNE Ret | (MAL) 10 | ZAN Ret | DON 2 | THR Ret | OUL 1 | (MAL) 3 | BRH DNS | THR 1 | SNE Ret | ||||||||||
(1979年) | RAM Racing | フィッティパルディ・ F5A | ZOL DSQ | OUL 2 | BRH 1 | (MAL) 5 | SNE Ret | THR Ret | ZAN 7 | DON 6 | OUL Ret | NOG Ret | (MAL) 3 | BRH 2 | THR Ret | SNE Ret | SIL 8 | 5位 | 40 | |
(1980年) | (チャーレス・クロウエス・レーシング) | アロウズ・A1 | OUL 1 | BRH Ret | SIL 4 | (MAL) Ret | THR 3 | MNZ 2 | (MAL) 2 | SNE 1 | BRH 5 | THR Ret | OUL 4 | SIL 2 | 3位 | 51 |