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CMLL

CMLLConsejo Mundial de Lucha Libre)は、メキシコプロレス団体

歴史

1931年、(サルバトール・ルタ・ゴンザレス)が、アメリカメキシコの国境にあるエルパソでプロレス興行を見たことから、メキシコでの興行を企画し、メキシコシティの廃墟同然のボクシング会場「アレナ・モデロ」と賃貸契約を結び、試合会場を修復して会場名をアレナ・メヒコに変更。

1933年EMLLEmpresa Mexicana de la Lucha Libre)として設立。9月21日、アレナ・メヒコで旗揚げ戦が開催[1]。旗揚げ戦には(ヤキ・ジョージ)、(ボビー・サンプソン)、(シクロン・マケイ)、(レオン・チン・アチウ)らが参戦[1]

しばらくはアメリカから選手を呼び寄せて興行を開催していたが、地元選手の育成が急務と判断したサルバドールは、柔術の心得のある友人の(ゴンザレス・アベンダーニョ・アギーラル)を呼び寄せてアレナ・メヒコでルチャリブレ教室を開校し、これが後のルチャリブレの基盤となっているという[1]

1934年、アベンターニョの教え子たちがデビューして純国産のルチャドールが誕生[1]。ほどなく観衆は増えて500人ほどのキャパシティしかない初代アレナ・メヒコは手狭でボクシング会場「アレナ・ナショナル」や闘牛会場「レオ・デ・コンデザ」にも進出している[1]

1935年、6月12日、旧アレナ・メヒコにてメキシコ初の女子プロレスの試合が行われる[2]

1940年、後にWWWA世界女子王座の創設者である(ミル・レッドバーグ)も来墨している[1]

1938年、サルバドールが個人的に買った宝くじに当選して、その当選金を自社所有会場の建設に着手。

1943年、自社所有会場「アレナ・コリセオ」が完成[1]

1954年10月、アレナ・メヒコの改築工事にも着手(1956年に完成)。この時期にタルサン・ロペスが台頭すると1942年にデビューしたエル・サントを始め、(カベルナリオ・ガリント)、ゴリー・ゲレロブルー・デモンブラック・シャドーなども台頭して1940年代から1950年代にかけて最初の黄金期を迎えることとなる[1]。この頃はメキシコにはEMLLしかプロレス団体が存在しなかったため、ルチャリブレといえばEMLL、EMLLといえばアレナ・メヒコであり、大衆からはルチャリブレやEMLLではなく「アレナ・メヒコ」と呼ばれることが普通だった[1]。また、同時期にはNWAにも属してNWAの王座であるライトヘビー級王座、ミドル級王座、ウエルター級王座の管理、運営を一任された[1]

1975年UWAが旗揚げされ、EMLLの独裁状態に嫌気が差した選手達が大量離脱したため、大打撃を受けた[1]

1980年代はUWAの影に隠れるような停滞期に突入していた。

1990年、メキシコでは禁止されていたルチャリブレのテレビ中継が解禁となり、地元テレビ局「テレビサ」によるEMLLの中継番組の放送が開始された[1]。テレビ放送開始にあわせて企画部長の(アントニオ・ペーニャ)によってマスカラ・サグラダミステリオッソボラドールなどの新キャラクターが誕生し、入場演出を豪華にするなど改革を行い、ルチャリブレはテレビを通して爆発的なブームとなった[1]。同年、CMLL女子部を立ち上げた。

1992年、アントニオ・ペーニャが独立してAAAを旗揚げをするとAAAが業界のトップに躍進。しばらくはアレナ・メヒコの集客が閑古鳥が鳴くほど悲惨な状態となるが、テレビ中継による放映権料と自前の会場による最低限の経費でこの危機を乗り切る[1]

1995年、AAAから離脱しルードにターンしたエル・イホ・デル・サントを獲得してネグロ・カサスの抗争で人気を博した[1]

2005年ミスティコ(初代)がデビューして大人気となり、ドクトル・ワグナー・ジュニアらを加えたメンバーにより、人気を取り戻してアレナ・メヒコに大観衆が詰めかけるようになった[1]。そして、この頃に団体名をCMLLConsejo Mundial de Lucha Libre)に統一[1]

現在の代表は(チャボ・ルッタロースIII世)で2019年に就任。

国外との関係

日本

2009年11月23日新日本プロレスと業務提携を結んだことを発表。そのため、新日本所属選手がメキシコ遠征の際に参戦することも多い。また、それ以前にも武者修行先のひとつとして所属選手がEMLLに遠征している。

2011年からは毎年1月に日本で合同興行「NJPW PRESENTS CMLL FANTASTICA MANIA」を開催している[3]。また、新日本プロレスワールドでもアレナ・メヒコでの試合を配信している。

女子部は女子プロレス専門の月刊誌「Lady's Ring」発行元であるレディースリングと提携し、「CMLLレディースリング」なるプロモーション興行を開いていたが、アイスリボンを運営するネオプラスとともに提携を結び2022年より団体化を発表[4]。アイスリボンとも相互参戦している。

上述する2団体のような提携ではないがDDTプロレスリングが管理しているKO-Dタッグ王座にはCMLLの認定がなされている。

EMLL時代にはSWSと提携関係にあり、それが縁でウルティモ・ドラゴンを始めとするEMLL所属選手がSWSに参戦していた。それ以前には末期の国際プロレスとも提携していた。

同じNWAの加盟団体ということもあり、全日本プロレスとも正式な提携はしていなかったが交流を持ち、EMLLの所属選手が参戦し、全日本からも百田光雄が「リキドーザン(力道山)Jr」「リキドーザン・セグンド」のリングネームでメキシコ武者修行を行い、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王者であった大仁田厚が遠征して防衛戦を行い、越中詩郎(サムライ・シロー)や三沢光晴(カミカゼ・ミサワ)がメキシコ武者修行を行い、ジャイアント馬場もEMLLに参戦している[5]

CMLL女子部の立ち上げ後の1991年には全日本女子プロレスと業務提携を結んでおり、井上京子を皮切りに、北斗晶下田美馬三田英津子吉田万里子堀田祐美子みなみ鈴香ブル中野がメキシコに遠征。ブルは初代CMLL世界女子王座を獲得。同年のCMLLの祭典『アニベルサリオ』にはアジャ・コング、京子が出場した。また1994年に引退宣言を行った北斗は同年に覆面レスラー「レイナ・フブキ」として再びメキシコ遠征を行い、CMLL世界女子王座を奪取した[6]

1995年以降は、全日本女子プロレス以外の団体とも提携・交流路線を取り当時吉本興業グループが興した女子プロレス新団体、Jd'と提携し、1998年にはアルシオン旗揚げに参加した選手や後の同団体所属選手が遠征。2002年にはJWPからコマンド・ボリショイらが参戦している[7]

2011年4月2日REINA女子プロレスと業務提携を結んでCMLL所属選手を定期的に同団体に派遣していた。しかし、2018年のREINAの一時活動休止と前後し、それに代わり新たに旗揚げされた「J@st(ジャスト)」との提携を開始するも、2019年にそのJ@stも活動休止となった。

なお、CMLL女子部の主力選手の1人であるダーク・エンジェルロッシー小川との関係からREINAではなくスターダムに参戦していた。

1997年から2001年までは、ミステル・カカオ(当時、プロモーターの梅本和孝)が中心となりCMLL JAPANの名でCMLL日本公演を手掛けたこともあった[8]

アメリカ

アメリカではWWE殿堂ジョニー・ロッズが代表を務めてニューヨークに拠点を置く(WUW)に全面協力している。

2016年8月11日、アメリカのROHと業務提携を結んだことを発表[9]

タイトルホルダー

CMLL世界王座

NWA世界ヒストリック王座

NWAが公認、1952年からEMLL(現:CMLL)が管理している王座[10]

タイトル 保持者 歴代
NWA世界ヒストリックライトヘビー級王座 レイ・ブカネロ 第5代
NWA世界ヒストリックミドル級王座 ウルティモ・ゲレーロ 第6代
NWA世界ヒストリックウェルター級王座 ボラドール・ジュニア 第7代

ナショナル王座

黎明期から伝わるメキシコの王座で世界王座挑戦前の登竜門的ポジションを担う王座[10]

タイトル 保持者 歴代
ナショナルライトヘビー級王座 アトランティス 第65代
ナショナルウェルター級王座 バルバロ・カベルナリオ 第73代
ナショナルトリオ王座 メフィスト
エフェスト
ルシフェルノ
第39代
ナショナル女子王座 セウシス 第19代

トーナメント戦

カンペオン・ウニベルサル

2009年から開催している無差別級シングルトーナメント戦[10]

CMLLインターナショナル・グランプリ

1994年から1998年そして2002年から現在まで開催している。

レジェンダ・デ・プラダ
レジェンダ・デ・アスル

2000年そして2004年から現在まで開催している。

トルネオ・ラ・グラン・アルテルナティーバ

若手選手とベテラン選手によるタッグトーナメント戦。

レイエス・デル・アイレ

2007年は2月と10月に2回開催された。

トルネオ・ナショナル・デ・パレハス・インクレディブル
ラ・コパ・ジュニア
トルネオ・サングレ・ヌエバ
エン・ブスカ・デ・ウン・イドロ

所属選手

男子選手

女子選手

ミゼット選手

  • (アセロ)(Acero)
  • (アエレオ)(Aéreo)
  • (アンヘリート)(Angelito)
  • (アストラル)(Astral)
  • (ウルティモ・ドラゴンシート)(Último Dragoncito)
  • (エレクトリコ)(Eléctrico)
  • (ケモニート)(KeMonito)
  • (ザカリアス)(Zacarias)
  • (ショッカーシート)(Shockercito)
  • (ストゥキータ)(Stukita)
  • (デムス316)(Demus 316)
  • (バン・バン)(Bam Bam)
  • (ピエロシート)(Pierrothito)
  • (ファンタジー)(Fantasy)
  • (プリンシペ・ディアマンテ)(Príncipe Diamante)
  • (ペケーノ・ウニベルソ・ドスミル)(Pequeño Universo 2000)
  • (ペケーノ・オリンピコ)(Pequeño Olímpico)
  • (ペケーノ・ニトロ)(Pequeño Nitro)
  • (ペケーノ・ビオレンシア)(Pequeño Violencia)
  • (ミへ)(Mije)
  • (メルクリオ)(Mercurio)

試合中継

参考文献

  • 週刊プロレス』2016年2月10日号(通刊1833号) pp55 - 78掲載 「週刊プロレス アルバムシリーズ」第62回「CMLL」(2016年1月)(ベースボール・マガジン社 雑誌コード 29682 - 2/10)
  • 『週刊プロレス』2021年11月10日号(No.2147)pp93-98 「【特集】ルチャドーラ・ハポネサ ~日本人女子プロレスメキシコマットの歩み(CMLL)~」(2021年10月)(ベースボール・マガジン社 雑誌コード 296820 - 11/10)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 週刊プロレス』2016年2月10日号 pp56 - 57
  2. ^ 『週刊プロレス』2021年11月10日号 p94
  3. ^ 『週刊プロレス』2016年2月10日号 pp58 - 61「歴史でたどるCMLLと新日本の関係」
  4. ^ 【お知らせ】P’sParty活動休止と新団体旗揚げについて 有限会社ネオプラス・アイスリボン事業部 2021年10月29日
  5. ^ 『週刊プロレス』2016年2月10日号 pp70 - 71「サムライ・シロー メキシコ遠征の追憶」
  6. ^ 『週刊プロレス』2021年11月10日号 p95
  7. ^ 『週刊プロレス』2021年11月10日号 p97
  8. ^ 『週刊プロレス』2016年2月10日号 pp76「ルチャファンの心を満たしたCMLLジャパン」
  9. ^ Johnson, Mike (2016年8月10日). “ROH-CMLL update, new name for November UK tour and more news”. Pro Wrestling Insider. 2016年8月10日閲覧。
  10. ^ a b c 『週刊プロレス』2016年2月10日号 pp67「CMLLベルト図鑑」

関連項目

外部リンク

  • CMLL公式サイト
  • プロレス選手権変遷史 CMLL
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