1981年のロッテオリオンズでは、1981年シーズンのロッテオリオンズの動向についてまとめる。
1981年のロッテオリオンズ | |
---|---|
成績 | |
プレーオフ敗退 | |
パシフィック・リーグ3位 | |
PO | 1勝3敗1分(対日本ハム) |
63勝57敗10分 勝率.525 | |
前期優勝 | 35勝26敗4分 勝率.574 |
後期3位 | 28勝31敗6分 勝率.475 |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県川崎市 |
球場 | 川崎球場 |
| |
球団組織 | |
オーナー | 重光武雄 |
経営母体 | ロッテ |
監督 | 山内一弘 |
« 1980 1982 » |
この年のロッテオリオンズは、山内一弘監督の3年目のシーズンであり、最後のシーズンである。
概要
前年パ・リーグで前期を優勝しながら、後期優勝の近鉄にプレーオフで敗れたが下馬評では優勝候補の本命にあげられた。開幕してからもチームはレロン・リーとレオン・リーのリー兄弟やこの年レギュラー定着の落合博満、前年3000安打達成の張本勲などの活躍で前期は阪急や西武の反撃を振り切り、2年連続で前期を優勝。後期も制して完全優勝をもくろむ山内監督だったが、後期は日本ハムや阪急の後塵を拝して3位。プレーオフではロッテ有利の声が上がったが、日本ハムに1勝3敗1分で敗退し、2年続けてプレーオフでパ・リーグ優勝の夢は潰えた。
シーズン終了後、張本が現役を引退し、山内監督は契約延長を打診されるも辞任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
|
|
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 日本ハムファイターズ | 68 | 54 | 8 | .557 | --- |
2位 | 阪急ブレーブス | 68 | 58 | 4 | .540 | 2.0 |
3位 | ロッテオリオンズ | 63 | 57 | 10 | .525 | 4.0 |
4位 | 西武ライオンズ | 61 | 61 | 8 | .500 | 7.0 |
5位 | 南海ホークス | 53 | 65 | 12 | .449 | 13.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 54 | 72 | 4 | .429 | 16.0 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
プレーオフ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月7日(水) | (第1戦) | 日本ハムファイターズ | 1 - 0 | ロッテオリオンズ | 川崎球場 |
10月8日(木) | (第2戦) | 雨天中止 | |||
10月9日(金) | |||||
10月10日(土) | 日本ハムファイターズ | 5 - 5 | ロッテオリオンズ | ||
10月11日(日) | (第3戦) | ロッテオリオンズ | 1 - 4 | 日本ハムファイターズ | 後楽園球場 |
10月12日(月) | (第4戦) | ロッテオリオンズ | 11 - 6 | 日本ハムファイターズ | |
10月13日(火) | (第5戦) | ロッテオリオンズ | 4 - 8 | 日本ハムファイターズ | |
年間優勝:日本ハムファイターズ |
---|
オールスターゲーム1981
詳細は「1981年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ベストナイン | ||
---|---|---|
選手名 | ポジション | 回数 |
村田兆治 | 投手 | 初受賞 |
落合博満 | 二塁手 | 初受賞 |
有藤道世 | 三塁手 | 2年連続10度目 |
ダイヤモンドクラブ賞 | ||
選出なし |
ドラフト
詳細は「1981年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2016年11月29日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN (978-4-583-10668-7)。