1981年の阪急ブレーブスでは、1981年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
1981年の阪急ブレーブス | |
---|---|
成績 | |
パシフィック・リーグ2位 | |
68勝58敗4分 勝率.540[1] | |
前期3位 | 32勝30敗3分 勝率.516[1] |
後期2位 | 36勝28敗1分 勝率.563[1] |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県西宮市 |
球場 | 阪急西宮球場 |
| |
球団組織 | |
オーナー | 柴谷貞雄 |
経営母体 | 阪急電鉄 |
監督 | 上田利治 |
« 1980 1982 » |
この年の阪急ブレーブスは、第2次上田利治監督体制の1年目(通算6年目)のシーズンである。
概要
1980年のシーズン終了後に梶本隆夫前監督が成績不振の責任を取って辞任したことを受け、1978年までチームを率いた上田利治が監督に再び就任。上田新監督は衰え始めた大橋穣に代わってこの年入団の弓岡敬二郎を遊撃のレギュラーに起用し、また島谷金二の控えとして松永浩美を一軍に昇格させるなど若手選手を積極的に起用。新戦力と福本豊・加藤英司などのベテランが融合したチームは開幕からまずまずのスタートを切り、3連覇を目指した近鉄の出遅れから前期はロッテと首位を争うが、惜しくも貯金2の3位で終了。後期は日本ハムとのマッチレースが続いたが直接対決を落としたのが響き、3年ぶりのリーグ優勝はならなかった。それでも2年ぶりにAクラス戦線に食い込み、充実した1年となった。投手陣では1978年の先発入り以来、安定した成績の今井雄太郎が19勝をあげて最多勝となり、チーム防御率4.01はリーグ3位と前年からやや改善。打撃陣でも福本が12年連続の盗塁王となったほか、4連覇の主力は健在だったが飛ぶボール禁止の影響もあり本塁打が60本も減少した。
チーム成績
レギュラーシーズン
|
|
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 日本ハムファイターズ | 68 | 54 | 8 | .557 | --- |
2位 | 阪急ブレーブス | 68 | 58 | 4 | .540 | 2.0 |
3位 | ロッテオリオンズ | 63 | 57 | 10 | .525 | 4.0 |
4位 | 西武ライオンズ | 61 | 61 | 8 | .500 | 7.0 |
5位 | 南海ホークス | 53 | 65 | 12 | .449 | 13.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 54 | 72 | 4 | .429 | 16.0 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定 [1]
オールスターゲーム1981
詳細は「1981年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ベストナイン | ||
---|---|---|
選手名 | ポジション | 回数 |
福本豊 | 外野手 | 6年連続9度目 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
山田久志 | 投手 | 2年ぶり4度目 |
福本豊 | 外野手 | 10年連続10度目 |
簑田浩二 | 4年連続4度目 |
ドラフト
詳細は「1981年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照