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レオン・リー

レオン・リー(Leon Lee([ˈliːɔn liː])、1952年12月4日 - )は、アメリカ合衆国 カリフォルニア州ベーカーズフィールド出身の元プロ野球選手内野手)・コーチ監督

レオン・リー
Leon Lee
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ベーカーズフィールド
生年月日 (1952-12-04) 1952年12月4日(70歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手
プロ入り 1971年 MLBドラフト9巡目
初出場 NPB / 1978年4月1日
最終出場 NPB / 1987年10月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

日本でも「レオン」の登録名でロッテオリオンズ横浜大洋ホエールズヤクルトスワローズに在籍。また、オリックス・ブルーウェーブの監督も務めた。

同時期に活躍したレロン・リーは実兄。息子はプロ野球選手のデレク・リー

経歴

現役時代

グラントユニオン高校を経て、1971年MLBセントルイス・カージナルスと契約。打撃センスのある捕手であったが、足が遅いためMLBに上がれず苦悩していたその折、ロッテオリオンズに入団し活躍していた兄のレロン・リー(以下レロン)に誘われ、1978年からロッテでプレー。背ネームは「LEON」となる。レロンと甲乙付け難い打棒を振るい、中軸を成した[1]。同年は兄レロンに1厘及ばなかったが打率.316はリーグ5位、翌1979年も、8月12日に球団史上最多の1試合14塁打を記録するなど[2][3]白仁天に次ぎチーム2位、リーグ4位の.333を記録する。1980年には、兄レロンが.358で首位打者を獲得、レオンは兄に次ぐリーグ2位の.340と、チャーリー・マニエル近鉄)に次ぐ118打点を挙げ、チームの前期優勝に貢献した。

1982年オフに斉藤巧との交換トレード横浜大洋ホエールズへ移籍。舞台をセ・リーグへ移しても強打は相変わらずだったが、1985年オフに突如自由契約となる。「チャンスに弱い」という理由だったが、同年の成績は打率.303、本塁打31本、打点110を記録していた[4]。8月10日対広島戦(広島市民球場)では津田恒美北別府学白武佳久から1試合3本塁打10打点を記録した[5]。結局、ヤクルトスワローズに移籍し、1987年限りで退団。

実働10年で帰国するまで、終始安定した成績を残した。打撃3部門のいずれかで好成績を残した年には他の選手が突出した成績を残すという不運もあり、タイトルには縁がなかった。通算打率.308は、首位打者を獲得していない選手の中では史上最高である。また、移籍を重ねたものの、その先々で活躍して期待に応えた稀有な選手でもある。1980年にロッテで41本塁打、1983年に大洋で31本塁打、1986年にヤクルトで34本塁打を記録した。NPB史上で3球団で30本塁打以上を記録した数少ない選手の一人である。

1980年9月30日、川崎球場の対日本ハムファイターズ戦で、空振りしたバットが観客席に飛び込み、小学生の口に当たって歯を折損させたことがある[6]

引退後

引退後はしばらく日米に広がる人脈を生かして野球コンサルタント、1998年にシカゴ・カブスの極東スカウトになる[7]2003年オリックス・ブルーウェーブの(打撃コーチ)として、16年ぶりに日本球界に復帰。同年4月に監督石毛宏典が解任されると、後任の監督に就任。それに伴い、前監督の「守備力重視」から「打撃力重視」にチームスタイルを変更したため、チームの打撃陣は好調だった(チーム打率リーグ2位、本塁打同3位。ただし得点は同5位)。しかし、ディフェンス面をあまりに軽視しすぎた結果、守備陣は機能不全に(チーム失策数132)陥り、投手陣も次々とプロ野球ワースト新記録(チーム防御率5.95、年間最多被安打1534、最多失点927、最多自責点819など)を乱発するほどの投壊状態となった。結局、前身の阪急時代を含めて球団史上最低勝率を更新(ちなみに前年・2002年の勝率.365が球団史上最低だった)、最下位に沈んだ。当時オリックスに在籍した山﨑武司は「僕にとってオリックスでの一番の収穫は彼との出会いといっても過言ではない。そう思えるほどレオンは僕にとって重要な存在でした。日本でプレーしただけあって日本人の気持ちを理解してくれる。何とかこの人のために結果を残したい」、アメリカに帰国後もレオンは山﨑を激励し、「野球を諦めかけていた自分がもう一度奮い立つことができた背景にはレオンの親心もあった」と著書に記している[8]。同年10月7日の対大阪近鉄バファローズ28回戦(Yahoo! BBスタジアム)終了後、小泉隆司球団社長から監督解任を通告された一方、伊原春樹新監督のもとでの一軍打撃コーチ就任を要請される[9]。レオンは当初、球団側が自分への解任通告前に伊原に監督就任を要請していたことに不信感を顕にしたものの[10]、19日には球団の要請を受諾することを表明[11][12]。しかし、帰国中にシアトル・マリナーズなどMLBの6球団からコーチとしてオファーを受けたことや[13]、再来日後に球団側が肩書を一・二軍巡回打撃コーチに変更していたことに不信感を覚えたことなどから、いったんは契約更改を保留した[10]。最終的には熟考の末、11月5日に球団側の要請に応えて巡回打撃コーチとして正式契約し[14]、翌6日からの秋季キャンプに合流していたが、2004年春季キャンプイン直前の1月22日、「家族の事情」を理由に退団を発表した[15]

オリックス退団後、ニューヨーク・メッツ傘下マイナーチーム(A級)のブルックリンの監督に就任した[16]。しかし同年4月8日、フロリダ州ポートセントルーシーで性器を露出する事件を2件起こしたとして公然わいせつ容疑で逮捕され、同日付で監督を辞任した[17][18]

現在は、日米スポーツ交流のコンサルティング会社を経営している実業家である。

人物

日本語を大変流暢に喋ることができる(兄のレロンは対照的に日本語を喋れなかった)。レオンの大洋時代に対ロッテのオープン戦でマイクロフォン搭載の帽子を被ってプレーする企画が行われ、試合中も他の選手と日本語で会話する様子が紹介された[19]。オリックス監督時代もインタビューは日本語で、チームの不甲斐無さに「情けないよ」を連呼していた。休日には庭園や寺院を散策するなど、日本文化にも理解を示そうとしたという。また自宅にチームメイトを招いて催しをするなど社交的で活発な性格でもあったため、所属先を問わず愛された。当時大流行していたスペースインベーダーを好み、1979年シーズン前にロッテファンの会社社長から「ホームラン20本以上打ったらインベーダーの機械を買ってやる」と約束され、その年35本塁打を記録すると実際に1台30万円以上のゲームの筐体を贈られた[20]

中日ドラゴンズを舞台に外国人選手を主人公として描かれた映画『ミスター・ベースボール』のアドバイザーを務めた。

ハイスクール卒業後の1971年、セントルイス・カージナルス傘下のルーキー級のチームで、のちにプロレスラーとして活躍することになるランディ・サベージ(本名:ランドール・ポッフォ)とチームメートだった[21]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1978 ロッテ 128 500 471 59 149 26 6 19 244 73 6 2 2 1 20 0 6 74 17 .316 .351 .518 .869
1979 128 530 484 77 147 21 1 35 275 93 4 1 0 3 39 5 4 66 21 .304 .358 .568 .927
1980 128 545 486 85 165 22 0 41 310 116 2 2 1 5 47 3 6 48 19 .340 .401 .638 1.039
1981 107 441 395 50 119 17 0 13 175 62 1 3 1 5 39 3 1 41 14 .301 .361 .443 .804
1982 128 524 481 50 136 22 0 22 224 78 0 3 0 4 37 2 2 65 20 .283 .334 .466 .800
1983 大洋 128 543 472 83 136 27 1 30 255 98 1 3 0 5 64 5 2 68 16 .288 .372 .540 .912
1984 130 550 480 66 154 25 1 21 244 84 6 2 0 5 65 8 0 60 23 .321 .398 .467 .866
1985 128 546 462 65 140 21 0 31 254 110 6 3 0 7 74 10 3 77 11 .303 .397 .550 .947
1986 ヤクルト 130 547 483 73 154 19 0 34 275 97 2 1 0 5 57 14 2 79 17 .319 .389 .569 .959
1987 120 492 453 60 136 14 1 22 218 73 0 0 0 2 37 4 0 60 19 .300 .352 .481 .833
通算:10年 1255 5218 4667 668 1436 214 10 268 2474 884 28 20 4 42 479 54 26 638 177 .308 .372 .530 .902
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
2003年 オリックス 6位 140 48 88 4 .353 33.5 174 .276 5.95 51歳
通算:1年 120 41 76 3 .350
  • 4月23日石毛宏典監督の解任後監督に就任し4月26日から指揮。通算成績は監督就任前の20試合を含めない

表彰

記録

  • 1試合10打点:1985年8月10日、対広島東洋カープ18回戦(広島市民球場)※セ・リーグタイ記録
  • 1000試合出場:1985年10月18日(260人目)
  • 首位打者未獲得での通算打率(4000打数以上では歴代最高)

背番号

  • 7 (1978年 - 1982年)
  • 2 (1983年 - 1987年)
  • 77 (2003年)

関連情報

  • 「ベースボール・ブギー」(兄のレロン・リーと共演、リー・ブラザース名義。作者はレオン自身)

作詞

  • 「MUSIC ON MY MIND」(TAO「FAR EAST」収録)

出典

  1. ^ 不運だった超一流助っ人レオン・リーが大洋時代に打ち上げた“花火”【1985年8月10日】 - 野球:週刊ベースボールONLINE
  2. ^ 2022年9月22日に山口航輝が並んだが依然として球団記録
  3. ^ PacificleagueTVの2022年9月23日6時50分のツイート- Twitter
  4. ^ 【クロマティד最強の兄弟助っ人”弟レオン・リー】オリックス時代の監督裏話!! - YouTube
  5. ^ 【8月10日】1985年(昭60) リー兄弟 弟3ホーマー10打点 兄のソロでサイクル本塁打
  6. ^ 沢柳政義『野球場大事典』大空社、1990年、p.293。小学生のいた場所は報道カメラマン席の後方で、そこにはバックネットが張られていなかった。
  7. ^ プロ野球12球団「監督」ウラ事情、宝島社、2014年、P99
  8. ^ 山﨑武司『さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年』2014年、宝島社、85-86頁。
  9. ^ 「」『大阪日刊スポーツ日刊スポーツ新聞西日本、2003年10月8日。オリジナルの2003年11月2日時点におけるアーカイブ。
  10. ^ a b 「」『大阪日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞西日本、2003年10月31日。オリジナルの2003年11月2日時点におけるアーカイブ。
  11. ^ 「」『大阪日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞西日本、2003年10月20日。オリジナルの2003年10月22日時点におけるアーカイブ。
  12. ^ 「」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2003年10月20日。オリジナルの2003年12月11日時点におけるアーカイブ。
  13. ^ 「」『大阪日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞西日本、2003年10月28日。オリジナルの2003年12月8日時点におけるアーカイブ。
  14. ^ 「」『大阪日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞西日本、2003年11月6日。オリジナルの2003年12月11日時点におけるアーカイブ。
  15. ^ 「」『大阪日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞西日本、2004年1月23日。オリジナルの2004年2月18日時点におけるアーカイブ。
  16. ^ 「」『大阪日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞西日本、2004年1月24日。オリジナルの2004年1月26日時点におけるアーカイブ。
  17. ^ 「」『スポニチアネックススポーツニッポン新聞社、2004年4月10日。オリジナルの2004年4月11日時点におけるアーカイブ。
  18. ^ 「」『Yahoo!ニュースヤフー、2004年4月11日。オリジナルの2004年4月13日時点におけるアーカイブ。
  19. ^ 【衝撃野球動画】超小型特殊マイクを選手の帽子につけて試合したプロ野球オープン戦の動画がメッチャ楽しい
  20. ^ “【9月11日】1979年(昭54) レオン、兄と本塁打連発!好調の理由はインベーダー”. スポーツニッポン (2007年9月11日). 2012年9月3日閲覧。[]
  21. ^ “1971 GCL Cardinals”. 2021年10月11日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 レオン - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績
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