黒田 徳米(くろだ とくべい、1886年10月17日[1] - 1987年5月15日[2][3])は、日本の博物学者・貝類学者。日本の貝類研究の第一人者[4]。日本で初めての貝類総目録を完成させ、日本貝類学会の創設者の一人でもある[4]。発見した貝の新種は650種に及ぶ[4]。
経歴
兵庫県三原郡福良浦(現:南あわじ市福良向谷)出身[1]。学歴は小学校卒業のみである。1901年、京都の平瀬與一郎の丁稚奉公をしながら[1]、彼の貝類の研究を手伝う[1]。1919年、平瀬貝類博物館閉鎖に伴い、2年間にわたって残務処理を行う[1]。1921年京都帝国大学助手[1]。1928年日本貝類学会の創設にかかわり、のち会長となる。日本産貝類の分布や種類をあきらかにし、「日本産海棲貝類目録」などを刊行した。1937年台北帝国大学助手[1]。1940年免官[1]、京都帝国大学理学嘱託[1]。1944年資源科学研究所嘱託[1]。1946年にGHQ最高司令部天然資源局技術顧問となり[1]、1947年に京都帝国大学より博士号をうける(「日本産陸棲貝類の分布並に分類に関する研究」)1952年より京都大学研究員になった。
論文
- 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所
関連項目
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k 『黒田徳米先生略歴』日本貝類学会、1946年。doi:10.18941/vinuskz.14.5-8_157 。2022年8月19日閲覧。
- ^ 日本人名大辞典+Plus 日本大百科全書(ニッポニカ),デジタル版. “黒田徳米とは”. コトバンク. 2021年12月9日閲覧。
- ^ 『日本貝類学会名誉会長黒田徳米博士逝去』日本貝類学会、1987年。doi:10.18941/venusjjm.46.3_app3 。2022年8月19日閲覧。
- ^ a b c “貝に人生捧げた兵庫の“貝人”たち 大阪で企画展 | おでかけトピック | 兵庫おでかけプラス | 神戸新聞NEXT”. www.kobe-np.co.jp. 2022年8月19日閲覧。
参考文献
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- 東薫『貝に魅せられた一生-黒田徳米ものがたり-』(築地書館、1987年)