来歴・人物
中京商業(現・中京大学附属中京高等学校)在学中は、1940年春の甲子園に出場(初戦で京都商業〈現・京都学園高等学校〉に1-6で敗戦)。中京商時代の同級生・チームメイトに杉江文二(のち大和、中日。杉江とは同じ生年月日でもある)がいる。
1943年に西鉄軍に入団。5月15日の南海戦(西宮球場)で初出場[1]。その後、二塁手のレギュラーとして定着した。打撃はやや非力だったが、選球眼は良く、四球が三振を上回っている。IsoD(出塁率-打率)は.161とハイアベレージであった。しかし、同年シーズン終了後に西鉄軍を退団。戦後もプロ野球に復帰しなかった。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1943 | 西鉄軍 | 60 | 216 | 169 | 15 | 27 | 3 | 1 | 0 | 32 | 13 | 5 | 3 | 7 | -- | 39 | -- | 1 | 27 | -- | .160 | .321 | .189 | .510 |
通算:1年 | 60 | 216 | 169 | 15 | 27 | 3 | 1 | 0 | 32 | 13 | 5 | 3 | 7 | -- | 39 | -- | 1 | 27 | -- | .160 | .321 | .189 | .510 |
背番号
- 12 (1943年)
脚注
外部リンク
- 個人年度別成績 鵜飼勉 - NPB.jp 日本野球機構