鮮于嗣 せんうし は 魏の楽浪太守 1 人物 編集建安年間 遼東の公孫康は楽浪郡の屯有県以南の地を割いて帯方郡となし 公孫模 張敞などを遣わして遺民を収め 兵を起こして三韓を伐って服属せしめた 1 その後 景初中 明帝は帯方太守劉昕 楽浪太守鮮于嗣を遣わし 海を越えて二郡を定め 諸三韓の臣智に邑君 臣智に次ぐ者に邑長の印綬を授けた 1 かくして韓人は郡に朝貢するようになったが その際に属国の常とし