経歴
1948年3月、大分県別府市石垣に高校教師の子として生まれる[1]。おじがフィリピンで戦死しており、進駐軍の暴力的行為にも反感があったことから、子供時代は反米愛国少年だった[1]。関西大学に入学。佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争で学生運動を知り、共産主義者同盟系の学生グループを経て赤軍派となり、東大安田講堂事件に参加[1]。1970年(昭和45年)によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。当初、警察の指紋照合による9人のメンバーの割り出しでは「梅内恒夫」と間違って発表されたが、10日後に「安部公博」と訂正された。
1976年(昭和51年)に大阪府出身の魚本民子と結婚し、魚本姓となる[注釈 1]。
1999年に、訪朝した江頭2:50の希望によりよど号ハイジャック事件の若林盛亮と魚本と北朝鮮の平壌高麗ホテルで会談している [3]。
2022年現在も平壌に在住しているが、よど号事件だけでなく、(有本恵子拉致事件)へ関与した罪にも加わり、警察庁により指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際指名手配されている。よど号ハイジャック犯の中で拉致事件で国際指名手配されているのは、魚本のみである。
家族
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
- 福岡県警察 国際手配中のよど号グループ
- 北朝鮮による拉致容疑事案について - 国際手配被疑者一覧(警察庁Web)
- 北朝鮮による拉致容疑事案:警視庁