略歴・概要 1922年(大正11年)、田中栄三が監督した映画『京屋襟店』の試写後に藤野秀夫を初めとする13名の俳優が退社、急遽、舞台協会と3作の提携を決め、製作された1作である[1]。『京屋襟店』と並び、田中栄三の代表作とされる[2]。
当時の向島撮影所のフォーマットは、4巻40分が標準であったが[3]、本作は11巻110分、異例の長尺映画であった。撮影技師・編集技師・現像技師を兼ねる「技手」の大洞元吾は、すでに映画監督としてデビューしていたが、田中の『京屋襟店』や本作では、再び技手を務めた[4]。
本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[5]、マツダ映画社も所蔵していない[6]。現状、観賞することの不可能な作品である。
スタッフ・作品データキャスト - 山本嘉一 - 貞松山瑞雲寺住職日高泰禅老師
- 森英二郎 - 瑞雲寺の僧宮地教禅
- 山田隆弥 - 瑞雲寺の若僧今井良禅・のちに旅の僧侶
- 佐々木積 - 町の骨董商北澤重兵衛
- 岡田嘉子 - その娘お絹
- 夏川静江 - その妹お糸
- 東屋三郎 - 北澤の番頭源吉
- 東八重子 - 女絵師篠田蘭香・後に重兵衛妻おらん
- 鈴木歌子 - 泰禅の妾おぬい
- (石川直澄) - 北澤の女中お咲
- 六條浪子 - 蘭香の女弟子新子
- (松下京子) - 蘭香の女弟子北子
- (白崎菊一郎) - 骸骨
註 - ^ 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎、中公文庫、1975年11月25日 (ISBN 4122002850)、p.363-366.
- ^ 田中栄三、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2009年12月17日閲覧。
- ^ 『日本映画史発掘』、田中純一郎、冬樹社、1980年、p.128-132.
- ^ 大洞元吾、日本映画データベース、2009年12月17日閲覧。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2009年12月17日閲覧。
- ^ 主な所蔵リスト 劇映画=邦画篇、マツダ映画社、2009年12月17日閲覧。
外部リンク ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。