この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2021年12月) |
背景
田原は阿久悠が亡くなった2007年のコンサートツアーのMCにてこのことに触れるとともに、阿久が作詞したシングル数曲をセットリストに組み込んだ。
記録
初回生産限定分は、30万枚限定発売だったが売上は30万枚に届かなかった。
作詞を担当した阿久悠にとってピンク・レディー「カメレオン・アーミー」(1978年・1979年)以来5年ぶり、生前最後のオリコン1位獲得曲であり、同時に生前最後に携わった曲となった。また、作曲を担当したつのだひろ(現・つのだ☆ひろ)にとっても、清水健太郎の「帰らない/恋人よ」(1977年)以来7年ぶり3作目の1位獲得曲となった。
リリース
1984年5月23日に、キャニオン・レコードのNAVレーベルから(7インチレコード)として発売された。初回生産分は、30万枚限定でピクチャーレコードで発売された。エメラルドグリーンの特製レコード袋は通常の7インチレーベルよりも大きく穴が開けられ、レコードのデザインを楽しめる仕様になっている。