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陸奥部屋

陸奥部屋(みちのくべや)は、日本相撲協会所属で時津風一門相撲部屋

沿革

1947年6月に元幕内・鶴ヶ嶺が現役を引退し年寄・11代井筒を襲名して再興された井筒部屋は関脇・鶴ヶ嶺や幕内・逆鉾、太刀風などの関取を育て上げた。

1972年3月に11代井筒が死亡すると、その後継者を巡って意見が一致せずに、部屋付き親方であった10代井筒時代からの弟子・5代陸奥(元幕内・星甲)が12代井筒を襲名して部屋を継承。対して8代君ヶ濱(元関脇・鶴ヶ嶺)は分家独立して君ヶ濱部屋を創設した。当時2人いた幕内力士のうち、大雄は井筒部屋に残り、錦洋は君ヶ濱部屋へ移籍。また22代式守伊之助およびその弟子の行司も君ヶ濱部屋へ移籍した。

その後、12代井筒は1974年4月に年寄名跡を返上して7代陸奥を襲名し、同時に部屋の名称も陸奥部屋へと改称した。

7代は1991年(平成3年)2月に定年(停年)を迎え、それに伴い、その直前となる同年1月場所限りで部屋の所属関取で、11代井筒時代に井筒部屋に入門した星岩涛が現役を引退し、同年2月に年寄・8代陸奥を襲名して部屋を継承した。8代が師匠を務めた時期には、7代時代からの弟子であるアルゼンチン出身の星誕期星安出寿が十両へ昇進したが、幕内力士は出せなかった。8代陸奥は1997年12月に井筒部屋の部屋付き親方である10代勝ノ浦(元大関霧島)に部屋を譲渡して日本相撲協会を退職した。10代勝ノ浦は9代陸奥を襲名して部屋を継承すると共に、部屋を両国駅前に移転した。2000年9月には14代立田川(元関脇・青ノ里)の定年退職によって閉鎖された立田川部屋を吸収合併した[1]。さらに2019年9月場所中に、9代陸奥の弟弟子である15代井筒(元関脇・逆鉾)が急死[2]し、師匠が不在[3]となった井筒部屋が閉鎖されたため、同部屋に所属していた横綱・鶴竜を含む力士3人と床山1人を引き取った[4]。この受け入れで11代井筒逝去後に分裂した部屋が再び一つとなった。

9代が師匠に就任して以降は、序二段時代に立田川部屋から移籍してきた白馬が小結へ昇進している。部屋の生え抜きの力士としては、2008年1月場所において霧の若が新十両へ昇進し、9代が育てた力士としては初の関取となった。それから丸12年後の2020年1月場所において霧馬山が幕内に昇進し、9代が育てた力士としては初の幕内力士となった。その後、霧馬山は2021年11月場所に新三役に昇進[5]、2023年3月場所で初優勝を飾った[6]

不祥事

  • 2023年5月場所前、部屋の霧の富士(最高位・東幕下18枚目)が部屋の三段目(当時)・安西に日常的に暴行を加えていたと『週刊新潮』が報じた。安西は2023年始に陸奥に相談し、1月場所後に相談の末、安西の「一緒に生活するのは無理」という訴えが聞き入れられ、部屋では霧の富士を引退させる方向で折り合いが付いたが、4月に断髪式も開催されてまるで円満引退のように霧の富士が部屋から送り出されたことに疑問を抱き、安西は兄弟子に勧められて相撲協会コンプライアンス委員会の弁護士に連絡を入れた。陸奥は「やった方は暴行じゃなくて指導のつもり。それは家庭でもあるじゃないですか。家庭の兄弟げんかと一緒なんですよ」とこの件を認識しているとのこと[7]
    • 『週刊新潮』が報じた内容にコンプライアンス部長の花籠親方(元関脇・太寿山)が後に対応している。対応によると暴力事件も断髪式を終えて加害者力士が引退していることも事実であり、安西への暴力については1月には、花籠にも話が伝わっていた。その後、加害者力士が引退することが決まり、花籠は収束したという認識だったという。だが安西から外部の弁護士らが窓口のコンプライアンス委員会に訴えがあり、花籠が聴き取りを行ったのが4月23日頃で、その後4月25日になって外部のコンプライアンス委員会から安西の訴えが取り下げられたとの連絡が入った。加害者力士が引退、被害者力士がコンプライアンス委員会への訴えを取り下げたことで、今後は追加の聴き取りなどは行われない予定となった[8]。5月10日、陸奥はこの問題について「(進展は)ない」と答えた[9]

所在地

かつて両国予備校の校舎のひとつとして使われていた建物を引き継いだ。2021年10月時点で、もっとも両国国技館から近い相撲部屋である[10]。部屋の向かいには陸奥親方が経営するちゃんこ店がある[11]

師匠

  • 7代:陸奥良夫(みちのく よしお、前4・星甲千葉
  • 8代:陸奥祐二(みちのく ゆうじ、前14・星岩涛鹿児島
  • 9代:陸奥一博(みちのく かずひろ、大関・霧島、鹿児島)

部屋付き親方

  • 浦風冨道(うらかぜ とみみち、前1・敷島、千葉)
  • 鶴竜力三郎(かくりゅう りきさぶろう、第71代横綱・鶴竜、モンゴル)
  • 立田山裕教(たつたやま ひろかず、前1・薩洲洋、鹿児島)

力士

(※は立田川部屋からの移籍)

現役の関取経験力士

幕内

横綱
  • 鶴竜力三郎(モンゴル)9代弟子、井筒部屋(2019年閉鎖)から移籍
小結
  • 白馬毅(モンゴル)9代弟子※(入門前に陸奥部屋で見習い修行の経験あり)
前頭

十両

旧・陸奥部屋

明治時代からの伊勢ノ海系統の陸奥部屋からは、昭和に入って関脇・大潮が出た。大潮は1937年(昭和12年)から二枚鑑札で陸奥部屋を継承し、若潮を幕内まで昇進させたが、それ以外に幕内力士を出すことはできず、1960年(昭和35年)に部屋を閉鎖して自身は時津風部屋へ移籍した。その縁で、陸奥の年寄名跡は時津風一門に属するようになった。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p36-39
  2. ^ "元関脇逆鉾、井筒親方が死去 58歳すい臓がんか". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 17 September 2018. 2018年9月27日閲覧
  3. ^ 本場所中だったため力士等は本場所終了まで鏡山部屋の一時預かり(所属は井筒部屋のまま)となっていた。
  4. ^ “横綱鶴竜ら、陸奥部屋へ転属 井筒親方の急逝で”. 日本経済新聞. (2019年9月27日). https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50741_X20C19A9000000/ 2019年9月27日閲覧。 
  5. ^ “【九州場所新番付】照ノ富士が初めて東横綱に、1人横綱は史上10人目”. 日刊スポーツ. (2021年11月1日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202110310001159.html 
  6. ^ “霧馬山が初優勝 本割、決定戦と2番続けて大栄翔を下す モンゴル出身では9人目&陸奥部屋に初賜杯”. スポーツ報知 (2023年3月26日). 2023年3月26日閲覧。
  7. ^ 「週刊新潮」2023年5月18日号
  8. ^ “陸奥部屋で暴力行為「協会には言っています。何も隠していません」と親方 加害者は引退”. 日刊スポーツ. (2023年5月9日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202305090001511.html 
  9. ^ “陸奥親方 部屋での暴力問題、進展は「ない」 部屋付き鶴竜親方も「何とも言えない」”. 日刊スポーツ. (2023年5月11日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202305110000105.html 
  10. ^ 陸奥部屋すみだ観光サイト
  11. ^ ちゃんこ霧島

外部リンク

  • 陸奥部屋 公式サイト

座標: 北緯35度41分44.7秒 東経139度47分28.7秒 / 北緯35.695750度 東経139.791306度 / 35.695750; 139.791306

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