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関東二十日会

関東二十日会(かんとうはつかかい)は、1972年(昭和47年)に結成された関東地方に本部を置く博徒暴力団の親睦連絡組織[1]マフィアにおける“コミッション”と同じ性質のものと捉えられている[2]。前身は関東会

来歴

関東会

1963年12月21日[3]松葉会錦政会住吉会日本国粋会、(義人党)、東声会、および(北星会)が、右翼活動家・児玉誉士夫の提唱する「関東会」に参加。

同日、関東会の結成披露が熱海つるやホテルで行われた。藤田卯一郎が関東会初代理事長に就任。児玉誉士夫らが1961年に結成した(青年思想研究会)(略称は青思会)常任諮問委員・平井義一衆議院議員、青思会諮問委員・(白井為雄)、青思会常任実行委員・(中村武彦)、青思会常任実行委員・(奥戸足百)、松葉会顧問・関根賢、および三代目(並木一家)・(並木量次郎)総長が関東会結成披露に出席[4]

同年12月下旬、関東会は、関東会加盟7団体の名で、「自民党は即時派閥抗争を中止せよ」と題する警告文を、自民党衆参両議院200名に出した。自民党衆議院議員池田正之輔は、この警告文を、激しく非難した。警告文は、自民党の治安対策特別委員会で、議題に取り上げられた。これは、暴力団が連帯して政治に介入してきた、初めての事件だった。河野一郎派を除く衆議院議員と参議院議員は「関東会からの警告文は、児玉誉士夫と親しい河野一郎を擁護するものだ」と判断し、検察と警察当局に関東会壊滅を指示した[5]

1964年6月20日、港区芝公園で、関東会定例総会が行われた。初代理事長藤田卯一郎に代わって、磧上義光が二代目理事長に就任した。だが、6月24日には磧上は逮捕された。

1965年1月24日、芝浦の料亭「芝浦園」で、森田政治らの動議により、関東会は解散宣言を行った[6]

関東二十日会

1972年3月、松葉会大幹部・(永作捨己)と稲川会石井隆匡理事長が話し合い、松葉会幹部と稲川会幹部との食事会が行われることになった[7]。その後、東京向島の料亭「桜茶屋」で、松葉会幹部と稲川会幹部との食事会が開催された[8]

その後、國粹会から稲川会に、國粹会幹部と稲川会幹部との食事会の提案がなされ、國粹会幹部と稲川会幹部との食事会が開催された[8]。そして住吉連合会堀政夫総裁から稲川会に、住吉連合会幹部と稲川会幹部との食事会の提案がなされ、住吉連合会幹部と稲川会幹部の食事会が開催された[8]

同年10月20日、向島の料亭「桜茶屋」で[8]、稲川会、國粹会、東亜会、(交和会)、(義人党)、住吉会、松葉会、二率会双愛会が参加し、博徒暴力団の親睦団体・関東二十日会が結成された。結成日が20日だったことから、会の名前は関東二十日会とされた[9]

関東二十日会は、毎月の当番の暴力団を決め、毎月20日午後6時から、当番月の暴力団が決めた場所で、会合を持つようになった[9]。暴力団抗争事件が起ると、当番月の暴力団が、抗争の仲裁に当たることになった[9]

1984年、稲川会・稲川聖城会長は、稲川会事務局長・田中敬に、関東二十日会と的屋組織との親睦会を開催するよう指示した[9]。田中敬は、住吉連合会事務局長・(佐藤吉郎)を通じて、堀政夫に協力を要請した[9]。堀政夫は、(極東三浦連合会)・松山眞一総長、極東三浦連合会最高顧問・(大山光一)、極東三浦連合会・(池田亨一)会長と話し合い、1984年2月14日に関東二十日会と的屋組織との会合を行うことが決まった[9]

同年2月14日午後1時30分、東京都新宿区京王プラザホテル42階の「藤の間」で、関東二十日会30人と(神農会)(飯島連合会、(姉ヶ崎連合会)、極東関口会、極東三浦連合会など関東の100数十団体の的屋の親睦会)33人との「合同食事会」が行われた[10]。稲川会からは、稲川聖城、稲川会本部長・(長谷川春治)、稲川会副理事長・(森田祥生)、稲川会常任理事長・(森泉人)、田中敬の5人が出席した[11]。会食に先立ち、堀政夫が挨拶を行った[11]。乾杯の音頭は、田中敬がとった[11]

以後、毎年2月に、関東二十日会と関東神農同志会との「合同食事会」が開かれるようになった[12]

1992年(平成4年)2月、義人党が解散。1994年、交和会が、稲川会入りし、稲川会(興和一家)となった。2005年9月、國粹会が関東二十日会を脱退した。

歴代理事長

  • 関東会初代(1963年12月21日〜1964年6月20日) - 藤田卯一郎(松葉会初代会長)
  • 関東会二代目(1964年6月20日〜1965年1月) - 磧上義光(住吉会初代会長、住吉一家五代目総長)

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 暴力団 : “欧米のマフィア” (p.98) 溝口敦 2011年 新潮新書 (ISBN 978-4-10-610434-3)
  2. ^ 『Codes of the Underworld: How Criminals Communicate』 : “OTHER NAMES” (p.224) ディエゴ・ガンベッタ 2011年 プリンストン大学出版局 (ISBN 0691152470) (英語)
  3. ^ 「第046回国会 法務委員会 第30号」と「国会会議録・第077回国会 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第22号」では、結成披露日を12月21日と記載されているが、山平重樹『義侠ヤクザ伝 藤田卯一郎』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、(ISBN 4-344-40476-9) では11月21日と記述されている
  4. ^ 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房、2006年、(ISBN 978-4-479-30027-4) のP.273~P.274
  5. ^ 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房、2006年、(ISBN 978-4-479-30027-4) のP.274~P.275
  6. ^ 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房、2006年、(ISBN 978-4-479-30027-4) のP.281
  7. ^ 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房<だいわ書房>、2006年、(ISBN 978-4-479-30027-4) のP.329
  8. ^ a b c d 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房<だいわ書房>、2006年、(ISBN 978-4-479-30027-4) のP.330
  9. ^ a b c d e f 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房<だいわ書房>、2006年、(ISBN 978-4-479-30027-4) のP.331
  10. ^ 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房<だいわ書房>、2006年、(ISBN 978-4-479-30027-4) のP.328~P.331。「神農会」の表現は出典の原文のまま
  11. ^ a b c 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房<だいわ書房>、2006年、(ISBN 978-4-479-30027-4) のP.332
  12. ^ 山平重樹『ヤクザ大全 その知られざる実態』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、1999年、(ISBN 4-87728-826-0) のP.324。「関東神農同志会」の表現は出典の原文のまま

参考文献

  • 山平重樹『ヤクザ大全 その知られざる実態』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、1999年、(ISBN 4-87728-826-0)
  • 山平重樹『義侠ヤクザ伝 藤田卯一郎』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2003年、(ISBN 4-344-40476-9)
  • 山平重樹『一徹ヤクザ伝 高橋岩太郎』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2004年、(ISBN 4-344-40596-X)
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