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銭洲

銭洲(ぜにす)とは、伊豆半島石廊崎の南方約70kmにある伊豆諸島[1]。行政区画は東京都神津島村に属する[1]銭州ゼニスと表記されることもある。別名、銭島。

銭洲

航空写真
(ヒラッタイとネープルス岩礁群・1978年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本東京都
所在海域 太平洋フィリピン海
座標 北緯33度56分37秒 東経138度49分3秒 / 北緯33.94361度 東経138.81750度 / 33.94361; 138.81750座標: 北緯33度56分37秒 東経138度49分3秒 / 北緯33.94361度 東経138.81750度 / 33.94361; 138.81750
面積 - km²
海岸線長 - km
最高標高 11 m
     
プロジェクト 地形
(テンプレートを表示)
( )
銭洲海嶺周辺の海底地形図に示す銭洲の
位置(海上保安庁J-EGG500データ)

北からダルマ、ヒラッタイ、ネープルスと呼ばれる3岩礁群で構成され[1]、ネープルス岩礁群に最高地点(10m程度[1])がある。周辺は漁礁を形成しており、好漁場として知られている。

地理

銭洲は伊豆諸島の最西端に位置する岩礁群である。神津島からは南西へ約36km[2]、船で約2時間の地点にある[1]

銭洲は大きく2か所(北東と南西)に分かれた岩礁群からなり[3][注釈 1]、両者の間はおよそ2km隔たっている。北東のグループはダルマ岩礁群と呼ばれる。南西のグループはさらに2つに分けられ、北側をヒラッタイ岩礁群、南側をネープルス岩礁群、という[3]

ダルマ岩礁群
2つの岩礁からなる。
  • 外ダルマ (5m)、内ダルマ (6m)
ヒラッタイ岩礁群
ダルマ岩礁群の南西2.3kmに位置する。
  • 外ヒラッタイ (4m)、中ヒラッタイ、内ヒラッタイ、エビ根
ネープルス岩礁群
ヒラッタイ岩礁群の南200mに位置する
  • 大根 (11m)、石山根、カド、マンナカ、ソト

海底地形から見れば、大室ダシ新島式根島~神津島~銭洲と、北東-南西に連なる小さな海嶺銭洲海嶺)の頂部のひとつである[5]。岩礁群周辺は水深200m以浅の浅堆(魚礁)となっている。岩礁群周辺の浅堆も含めて「銭洲」と呼ぶ例もある[6][7]。ダルマ岩礁群の北東にある「渡り瀬」(最浅水深55m[7])のほか、銭洲周辺にはいくつかの浅所がある[7]

また、GPSを利用した測量による地殻変動の調査が行われている。

歴史

周辺は好漁場のため非常に古くから知られていたようである。「銭洲」という名の由来も、魚が非常に捕れ、漁師が行けば「銭になる」ことから来ているという[2]

 
シティ・オブ・ネープルス号

1926年(大正15年)6月25日、イギリスのエレマン・ラインズ社 (Ellerman Lines所属の商船「(シティ・オブ・ネープルス)」号 (SS City of Naples) [注釈 2]が、神戸港から横浜港に向かう途中、暴風雨に見舞われ銭洲に座礁した[8][注釈 3]。乗組員73名全員は日本海軍の軍艦「春日」によって救助された[8][注釈 4]。「ネープルス」の名称はこの船の名にちなんだ[注釈 5][9]神津島の人々による呼称であった[4]

1935年(昭和10年)、東京府水産試験場が七島丸で水産資源を調査した[6]。系統的調査が行われたのはこれが初とされる[6]

2015年6月、ネープルス岩礁群に一等三角点「銭洲」が設置された[1]。現地には標石がある[1]

水産資源・観光

周辺は好漁場である。釣り人の間でも有名な場所で[1]、漁船で銭洲に上陸して釣りを楽しむ者もいる。また、スキューバダイビングのポイントとしても知られている。

位置情報

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 一色による報告書では、A群とB群(「ダルマ」と呼ばれる)の2群に分け、A群をさらに北亜群と南亜群(「ネープルス」と呼ばれる)に分類している[4]
  2. ^ エレマン・ラインズ社には世界の都市名を冠した「シティ・オブ・○○」という名の船が複数所属しており、シティ・オブ・ネープルスもその一隻である。ネープルスはナポリの英語名。
  3. ^ 濃霧の中で座礁した[9]、とするものもある。
  4. ^ 救助活動には、ほかに日本海軍の「浦風」も参加した[8]。シティ・オブ・ネープルス号の下級船員はインド人であった[8]。おりしもインドのカシャワール(カーティヤーワール)沿岸でインド船が沈没し、救助を求める遭難者を通りかかったイギリス船(英印汽船会社 (British-India Steam Navigation Company所属のヴィタ号 SS Vita)が見捨てたとされる事件(ヴィタ号事件)があり、インドでは反英感情が高まり政治問題化していた[8]。こうした中で、インドの新聞では日本によるシティ・オブ・ネープルス号の救助活動が大きく取り上げられた[8]
  5. ^ 東京都議会 平成二十四年 予算特別委員会速記録第四号では「イギリスの駆逐艦ネープルス」が座礁した旨の発言がなされているが、座礁したイギリス船の名にちなむ点以外は誤解である。

出典

  1. ^ a b c d e f g h “国土地理院広報第566号(2015年8月発行)” (PDF). 国土地理院. 2018年10月31日閲覧。[]
  2. ^ a b “銭洲”. デジタル大辞泉プラス(コトバンク所収). 2018年10月31日閲覧。
  3. ^ a b 東京都水産試験場 1976, p. 6.
  4. ^ a b 一色直紀 1980, p. 5.
  5. ^ 一色直紀 1980, pp. 5–6.
  6. ^ a b c 東京都水産試験場 1976, p. 2.
  7. ^ a b c 海上保安庁水路部 1992, p. 250.
  8. ^ a b c d e f 「「シティ・オブ・ネープルス」号遭難関係」、外務省外交史料館所蔵『外国船舶遭難関係雑件 第一巻』(アジア歴史資料センター(公式) ref:B10074503200)
  9. ^ a b 神津島年表(PDF)、神津島村商工会ウェブサイト内

参考文献

  • 東京都水産試験場「伊豆諸島海域天然魚礁調査報告 I」、東京都水産試験場、1976年、2018年11月1日閲覧 
  • 一色直紀「地域地質研究報告 御蔵島・藺灘波島及び銭洲地域の地質」(pdf)、地質調査所、1980年、2018年8月4日閲覧 
  • 海上保安庁水路部「南海トラフ(銭洲付近)の海底地形,地質構造」『地震予知連絡会会報』第47巻、地震予知連絡会、1992年、2018年11月1日閲覧 

関連項目

  • 恩馳島-同じく神津島村に属する無人島
  • 祇苗島-同じく神津島村に属する無人島
  • (金洲ノ瀬)(きんすのせ) - 御前崎沖の駿河湾にある浅堆。好漁場として知られ、銭洲同様に名付けられた。

外部リンク

  • 神津島村


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