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ソフトバンクテレコム

ソフトバンクグループ > ソフトバンク > ソフトバンクテレコム

ソフトバンクテレコム株式会社(英称:SoftBank Telecom Corp.)は、かつて存在した日本の大手電気通信事業者。ソフトバンク(現:ソフトバンクグループ)の連結子会社であった。

(旧)ソフトバンクテレコム株式会社
SoftBank Telecom Corp.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 SBTM
本社所在地 東京都港区東新橋一丁目9番1号
東京汐留ビルディング
設立 1999年3月24日(日本テレコム株式会社(初代)→鉄道通信株式会社(JR通信)→日本国際通信株式会社→日本テレコム株式会社(2代目)→日本テレコムマックス株式会社→ソフトバンク・ファイナンス株式会社→日本テレコムホールディングス株式会社→日本テレコム株式会社(3代目))
(1984年10月創業)
業種 (情報・通信業)
事業内容 電気通信事業
代表者 孫正義(代表取締役社長CEO)
資本金 1億円 
売上高 3,883億円(2011年3月期)
従業員数 約5,700名(2014年3月末)
決算期 毎年3月末日
主要株主 ソフトバンク株式会社 100%
主要子会社 関連子会社の項目を参照
外部リンク - ウェイバックマシン(2012年3月7日アーカイブ分)
特記事項:旧法人は1986年設立(鉄道通信株式会社、現在はソフトバンク株式会社)。
2007年2月1日ソフトバンクテレコム販売株式会社が存続会社として合併。
(テンプレートを表示)

2015年4月1日付で、ソフトバンクBBワイモバイルとともにソフトバンクモバイル(現:ソフトバンク)に吸収合併され、解散した[1]

概要

ソフトバンクテレコムは、日本国有鉄道(国鉄)設立の日本テレコムを出発点とし、数回の合併、資本提携、経営権の変更を経て、2015年3月(平成28年)時点ではソフトバンクの100%出資会社として、法人および個人向けに電気通信業務を行う企業であった。法人向けでは、音声サービスやクラウドサービス、ネットワークサービスを中核としデータセンターなどの提供も行う。

識別番号は国内電話が0088、国際電話が0061である。

歴史

国鉄分割民営化前の日本テレコム株式会社(初代)

第二次臨時行政調査会の提言のもと中曽根内閣によって進められた行政改革のひとつである三公社五現業の民営化に伴い、日本電信電話公社(電電公社)の民営化が既定路線となり、同時に通信自由化もなされることとなった[注 1]

日本国有鉄道は、既定路線となりつつあった通信の自由化に備え、東海道等の新幹線沿いに敷かれている管路を利用して光ファイバーを敷設し通信事業に参入できないかと考え、国鉄関連会社として1984年(昭和59年)10月11日三井物産三菱商事住友商事等と資本金90億円にて日本テレコム株式会社を設立[注 2]

1984年(昭和59年)、門司港と門司の間に最初の光ファイバーケーブルを敷設したのを皮切りに、東海道新幹線山陽新幹線東北新幹線上越新幹線沿いなどに光ファイバケーブルを敷設し、1986年(昭和61年)8月から企業等を対象とした専用サービスを、1987年(昭和62年)9月から東名阪などで「0088市外電話サービス」を開始。新電電(NCC)の一社として認知された[2]。また、1986年(昭和61年)には東京テレメッセージの出資母体としてポケットベル事業に参入。1988年(昭和63年)8月からJRの駅構内で公衆電話サービスの提供を始めた。

国鉄分割民営化後の鉄道通信株式会社(JR通信)

 
JR通信のロゴ

1986年(昭和61年)11月28日、日本国有鉄道改革関連8法案が参議院本会議で可決され、国鉄分割民営化が翌1987年(昭和62年)4月1日に実施されることとなった。

通信について、戦前から鉄道省は、全国の駅との業務連絡に逓信省に依存しない独自の業務用電話網「鉄道電話」を張り巡らせていた。旅客部門の民営化に先立ちこの部門の継承会社として、分割民営化の新会社第1号として、1986年(昭和61年)12月に鉄道通信株式会社(JR通信)が日本国有鉄道の100%出資会社として設立[注 3][注 4]。国鉄理事・技師長の(坂田浩一)が代表取締役に就任した。

当初はJRグループの一つとして、旅客会社なども使用する「JRロゴ」の灰色のロゴを使用していた。略称は「JR通信」[3]。このロゴは、ソフトバンクを権利者として商標登録されていたが(第3126644号)、2016年3月29日をもって権利が消滅している[4]

日本テレコム株式会社(2代目)

1989年(平成元年)5月に鉄道通信株式会社が日本テレコム(初代)を吸収合併し、日本テレコム株式会社へ社名変更した[5]。坂田浩一は代表取締役を続投し、2001年の資本異動まで同社中興の祖となる。

1991年(平成3年)にデジタルホングループ(JR東日本などと出資)、1994年(平成6年)にデジタルツーカーグループ(日産自動車と出資)を設立し、携帯電話事業に参入(現・ソフトバンク携帯電話)。同年、アステル東京東京通信ネットワークと同一比率で出資し、設立母体として駅構内への基地局設置など一部分に関与した。

1994年(平成6年)9月6日、新電電では第二電電、JRグループとしては東日本旅客鉄道に次いで、東京証券取引所第二部及び大阪証券取引所第二部に上場(証券コード9434)し、株式公開を果たす。1996年(平成8年)9月2日には東京証券取引所第一部、大阪証券取引所第一部に指定替えとなった。

日本国際通信(ITJ)との合併

1986年(昭和61年)、国際電話の新電電として設立された日本国際通信株式会社(英略称:ITJ)[注 5] は、同分野を独占していた国際電信電話(KDD)並びに同業の国際デジタル通信との過当競争から脱落。1997年10月1日に日本テレコムが吸収合併した[6]。合併当初は「国内電話は0088。国際電話は0041。」というキャッチフレーズを展開、国内電話と国際電話を一社で扱う最初の新電電となり事業規模を拡大した。

1998年6月に副社長の村上春雄が代表取締役社長に昇格、坂田浩一は代表取締役会長に就任した。

AT&Tとブリティッシュ・テレコムの資本提携

NTTが分社化され、国際デジタル通信が外資の敵対的買収に見舞われた1999年に、通信世界大手のブリティッシュ・テレコムとが日本テレコムに出資(ブリティッシュ・テレコム20%、AT&T10%)させる資本提携を実施した。複数の出資を受けたのは、1社に飲み込まれないようにする首脳陣の計算もあったとされるが、大株主のJRグループ各社へは事前の打診が無かったとされ、翌年の株式売却へ繋がることになる。資本参画に伴い、BTの日本子会社であるBTコミュニケーションズ・サービスおよびBTネットワーク情報サービス、AT&Tの日本子会社であるAT&T Jensは日本テレコムの100%子会社となり、それぞれ、日本テレコムコミュニケーションズサービス、日本テレコムネットワーク情報サービス、ジェンズと社名が変更された。

また、1998年に日産自動車とエアタッチ・コミュニケーションズ(アメリカ)の共同出資で第三世代携帯電話の企画会社・株式会社アイエムティ二千企画(当初資本金2億円)を設立した[7] が、日産リバイバルプランにより日産自動車が資本撤退し、2000年4月にジェイフォンへ改称。旧デジタルツーカーデジタルホングループ[注 6][注 7] 統合のための事業持株会社に転換。1999年にエアタッチ・コミュニケーションズはボーダフォンが買収したこと(2014年にベライゾン・ワイヤレスへ売却)で、ボーダフォンによるジェイフォン掌握の布石となった。

英ボーダフォンによる経営権の掌握

2000年(平成12年)9月20日、日本テレコム子会社のジェイフォン買収を目論んでいた英ボーダフォンJR西日本から日本テレコム持株の8.6%、JR東海から同持株6.4%を取得(計約2500億円)し、出資比率で第3位に浮上。2001年(平成13年)前半にはネットバブル崩壊による欧米株安による資産処理のため、AT&TおよびBTが相次いでボーダフォンへ日本テレコム持株を売却し、資本提携を解消した。これによりボーダフォンの出資比率は子会社目前の45%と筆頭株主になり、JR7社の20.7%(JR東日本はその内約15%保有)を超え、国際デジタル通信に次ぐ外資系の新電電となった。

2001年(平成13年)9月に英ボーダフォン、日本テレコム、JR東日本は共同会見を開き、ボーダフォンの100%子会社であるオランダのボーダフォンインターナショナル・ホールディングスが日本テレコムの普通株式を株式公開買付け(TOB)すると発表。大株主に留まり続けたJR東日本も賛同し、ボーダフォンの日本テレコムへの出資比率は66.73%となり、経営権を掌握することとなった。なお、同年5月に鉄道弘済会の資本撤退にともないJRグループとして引受けた弘済出版社(現・交通新聞社)の株式は現在のソフトバンクが保有を継続している[8]

ボーダフォンによる日本テレコムの出資比率は69.7%となり、同社役員が代表取締役に就任。当時の日本企業に対するとしては史上最大となる1兆4千億円を投じ、固定通信事業と移動体通信事業両方を傘下に収めることとなった。

なお、ボーダフォンは当初からジェイフォンしか興味が無いと評されており、同社は「売却の可能性は非常に高いが、収益を改善することが最優先であり、現時点では固定電話事業を売却することはない」とコメントした。また、株式を売却したJR東日本社長の大塚陸毅(当時)も「ボーダフォンの持ち株比率が上がったことで15%のJT株式を持つ意義が薄くなった[9]。」とコメントし、「日本テレコムは、JRの鉄道システムの基幹インフラを担っている重要なパートナー。株式売却後も日本テレコムとの連携は継続する」と発表した。

経営権を掌握した英ボーダフォンは、2002年(平成14年)8月1日付けで日本テレコム(2代目)を日本テレコムホールディングス株式会社へ改称し持株会社に移行。抜殻方式の会社分割で新設した日本テレコム株式会社(3代目)に固定系の電気通信事業を承継。日本テレコムホールディングスはジェイフォンの株式45.08%を保有していたが、この時点でジェイホンの株式約40%は英ボーダフォンが保有していた。2003年(平成15年)10月にジェイフォンはボーダフォン株式会社(K.K.)に商号変更された。

リップルウッド・ホールディングスへの売却

2003年(平成15年)11月、ボーダフォン傘下の日本テレコムホールディングスは、事業子会社の日本テレコム(3代目)をリップルウッド・ホールディングスへ2613億円で売却すると発表。これにより、ボーダフォンは3年がかりで日本テレコムの本業・固定通信事業のスピンオフを実現し、携帯電話事業のみ手中に収めることになった。

2003年(平成15年)12月10日付けで、ボーダフォンK.K.の純粋持株会社となった日本テレコムホールディングスをボーダフォンホールディングス株式会社に改称。2004年(平成16年)10月1日付でボーダフォンホールディングス株式会社はボーダフォンK.Kを吸収合併し、ボーダフォン株式会社(2代目)に商号変更した。

2005年(平成17年)5月には、ボーダフォングループが保有する株式が96.1%を超え、上場廃止基準[注 8] に該当することとなったため、同年8月1日に上場廃止となった。

ソフトバンクグループによる買収以降

2004年5月27日、リップルウッド・ホールディングスが保有していた日本テレコム(3代目)をソフトバンク(現・ソフトバンクグループ)が買収すると発表。買収価格は約3,400億円[注 9]。2004年(平成16年)7月30日付けでソフトバンクの100%子会社となった。この時期は直収電話「おとくライン」の拡販に注力していたが、ソフトバンクが買収を撤回した平成電電から同サービスの営業秘密を流用したとして提訴されることになった。

一方、携帯電話事業買収のため1兆円以上を投じた英ボーダフォンは、2006年(平成18年)3月17日にボーダフォンK.K.をソフトバンクグループへ売却することに合意。4月27日にソフトバンクグループによる買収完了を発表。この結果、日本テレコム(2代目)時代と同じく出資母体が同一となった。

2006年(平成18年)10月1日付けで日本テレコム株式会社はソフトバンクテレコム株式会社に、ボーダフォンK.K.はソフトバンクモバイル株式会社へ改称。2007年2月1日にソフトバンクテレコム販売(旧・ソフトバンク・ファイナンス)がソフトバンクテレコム(3代目)を逆さ合併してソフトバンクテレコム株式会社(4代目)に商号変更した(逆さ合併)。

その後、2015年(平成27年)4月1日、当社はソフトバンクモバイル(現・ソフトバンク)に吸収合併された。

法人格について

解散時点での法人は、「日本テレコム」を商号としていた時代も含めれば4代目で(以下、特段の断りがない限りにおいては、日本テレコムを商号としていた時代から起算して「○代目」と表記する)、1999年3月24日に「ソフトバンク・ファイナンス株式会社」として設立された法人である。2006年10月に事業内容を変更し「ソフトバンクテレコム販売株式会社」と商号変更したのち、2007年2月1日に旧ソフトバンクテレコム株式会社(3代目)を吸収合併して「ソフトバンクテレコム株式会社」(4代目)に商号変更した(逆さ合併)。この吸収合併以前の本法人については、ソフトバンクテレコム販売を参照のこと。3代目の法人は2002年8月1日に日本テレコム株式会社として設立されたが、これは、2代目の法人(1986年12月9日設立)が同日付で固定通信事業を3代目法人に会社分割して純粋持株会社に移行したためである。ただし、2代目の法人はその後、数度の商号変更および吸収合併により、2015年7月現在はソフトバンク株式会社(2代目)になっている。

沿革

  • 1984年(昭和59年)10月 - (初代)日本テレコム株式会社設立。
  • 1986年(昭和61年)
    • 7月 - 日本国際通信株式会社(ITJ)設立。
    • 8月 - 国内専用線サービス開始。
    • 12月9日 - 鉄道通信株式会社設立(現在のソフトバンク)。
  • 1987年(昭和62年)9月 - 市外通話サービス(事業者識別番号0088)開始。
  • 1989年(平成元年)
    • 4月 - 国際専用線サービス開始。
    • 5月1日 - 鉄道通信が(初代)日本テレコムを合併し、(2代目)日本テレコム株式会社に商号変更[5]
    • 10月 - ITJ国際電話サービス(事業者識別番号0041)開始。
  • 1992年(平成4年)11月 - 日本テレコム全国デジタルネットワーク完成。
  • 1994年(平成6年)9月 - 東証・大証市場第二部に上場。
  • 1995年(平成7年)5月 - 日本テレコムマックス株式会社(現在はもしもしホットライン子会社の株式会社マックスコム)設立
  • 1996年(平成8年)9月 - 東証・大証市場第一部に上場。
  • 1997年(平成9年)
    • 4月 - ODNサービス開始。
    • 10月 - 日本国際通信(ITJ)と合併。同社の0041国際電話サービスを引き継ぎ、国際電話事業へ参入。
  • 1998年(平成10年)12月 - 次世代ネットワーク構想PRISM発表
  • 1999年(平成11年)3月24日 - 現法人が「ソフトバンク・ファイナンス株式会社」として設立。
  • 2000年(平成12年)4月 - (IP-VPN)サービス(SOLTERIA)開始
  • 2001年(平成13年)
    • 5月 - 市内通話サービス開始。
    • 9月 - JR東日本がボーダフォンによるTOBに応諾。JRとの資本関係解消。
  • 2002年(平成14年)8月1日 - 日本テレコムホールディングス株式会社に社名変更。固定通信事業を分社化して(3代目)日本テレコム株式会社を新設。
  • 2003年(平成15年)
    • 4月1日 - 日本テレコムが日本テレコムネットワークス及び日本テレコムデータを合併。
    • 11月14日 - 日本テレコムがリップルウッド傘下に入る。この時点で、日本テレコムホールディングスとの資本関係が解消される。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月1日 - 公衆無線LANサービス「モバイルポイント」開始。
    • 5月27日 - ソフトバンク(現・ソフトバンクグループ)が日本テレコムの全株式を取得することを発表。
    • 7月30日 - ソフトバンクによる買収が完了。同社傘下となる。
    • 12月1日 - 直収電話サービス「おとくライン」を開始。
  • 2005年(平成17年)
    • 1月17日 - 本社を中央区八丁堀より港区東新橋へ移転。
    • 4月1日 - テレコムサービス株式会社及びジェンズ株式会社を合併。
    • 7月1日 - 日本テレコムIDC(旧・日本テレコムIDC(ソフトバンクIDC→営業部門(後にIDCフロンティアへ改称)を分割してソフトバンクIDCソリューションズへ改称→ヤフーへ吸収)より分割)を合併。同社の0061国際電話・国内電話サービスを引き継ぐ。
  • 2006年(平成18年)
    • 6月
    • 7月
      • 3日 - 元・平成電電コミュニケーションズの中継電話サービスの一部提供停止を発表。
      • 14日 - 「おとくライン」等の法人向け音声サービスの事業強化を目的とする日本テレコム電話販売株式会社を設立(事業開始は同年8月1日)。なお、この会社は、ソフトバンクテレコム販売とは無関係。
    • 8月31日 - 元・平成電電の通信サービスの提供終了日と代替サービスへの移行を発表[10]
    • 10月1日 - ソフトバンクテレコム株式会社に社名変更。孫正義が代表取締役社長CEOに就任。
  • 2007年(平成19年)
    • 2月
    • 9月30日 - 0061国内電話サービス(旧IDC)、0041国際電話サービス(旧ITJ)の新規受付を終了。
    • 10月1日 - 国内電話は0088、国際電話は0061に統合。株式会社アイ・ピー・レボルーションを合併。
  • 2008年(平成20年)2月15日 - YOZANの品川区「近隣セキュリティシステム」サービスを譲り受け[12]、3月1日よりサービス開始。
  • 2015年(平成27年)4月1日 - ソフトバンクBBワイモバイルとともにソフトバンクモバイル(現・ソフトバンク)に吸収合併され、解散。

事業内容

データセンター

2021年12月現在、東京の第一〜第五を含む日本国内の15ヶ所でデータセンターが稼動している [13]

  • 札幌データセンター
  • 福島白河データセンター
  • 東京第一〜第五データセンター - 東京府中データセンター
  • 大阪データセンター - 大阪中央データセンター - 大阪第三データセンター
  • 北九州e-PORTデータセンター - 北九州e-PORT第二データセンター - アジアン・フロンティア
  • 大分データセンター
    • 2011年11月に、東日本大震災後のデータセンター需給から韓国通信事業大手のKT社(주식회사케이티, KT Corporation)との合弁会社kt-SB data service(出資比率 KT社 51%:ソフトバンクテレコム 49%)を韓国金海市に設立、これに伴うプサンデータセンターの稼働を発表した[14]。 但し、2021年現在の配置図にはこのセンターは記載されていない。

関連子会社

  • (ソフトバンクリブラ)株式会社
  • テレコムエンジニアリング株式会社
  • (日本テレコム電話販売)株式会社
  • (日本テレコムインシュアランス)株式会社
  • (日本テレコムネットワークシステムズ)株式会社
  • (日本テレコムインフォメーションサービス)株式会社
  • テレコムサービス株式会社 
  • SoftBank Telecom China (Shanghai) Co., Ltd.
  • SOFTBANK TELECOM INDIA PRIVATE LIMITED
  • SBTM ONLINE (SUZHOU) CO., LTD.
  • SOFTBANK TELECOM SINGAPORE PTE. LTD.
  • SOFTBANK TELECOM VIETNAM COMPANY LIMITED
  • SB TELECOM (THAILAND) CO., LTD.
  • SOFTBANK TELECOM EUROPE LTD.
  • PT.SOFTBANK TELECOM INDONESIA
  • TELECOM AMERICA CORP.

なお、(日本テレコムシステム)株式会社は社名が似ているが、ソフトバンクテレコム株式会社およびソフトバンクグループとは一切関連がない。

テレビCM出演者

すべて旧日本テレコム時代

備考

  • 2006年10月1日の社名変更以前は業界内では「JT」と略され、日本たばこ産業の略称と紛らわしかった。現在の略称「SBTM」はソフトバンク・テクノロジー株式会社の略称「SBT」と区別されている。
  • 2009年3月17日2010年4月入社を目標に応募してきた学生全員にメールで送られた採用条件として「特別採用コース」というものが報告された。内容は学生に対し2009年3月23日から同年4月12日までにソフトバンクモバイルの携帯電話の新規契約を取らせ、その結果を筆記試験・面接と共に選考基準に加えるというものである。なお、同社では採用するか決まっていない学生に対し営業をさせることについて「筆記試験・面接には無い選考基準を設けただけで営業目的ではない」とコメントしている。なお、グループ会社のソフトバンクBBソフトバンクモバイルも同様の採用条件を設けている。この行為について学生らの批判が高い上に労働基準法違反に抵触する疑いがあるとして、厚生労働省が調査を開始したため、内容を新規契約数ではなく販売モデルの提案という形に変更した[18]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 日本専売公社と電電公社は1985年昭和60年)4月1日に民営化され、それぞれ日本たばこ産業(JT)、日本電信電話(NTT)となった。国鉄は1987年4月1日に分割民営化され、JRグループが発足した。
  2. ^ 準備会社として設立され、1985年2月より事業会社となる。日本国有鉄道の出資比率は33.3%。設立時の資本金は22.5億円、従業員数約30名。
  3. ^ 従業員数563名。
  4. ^ 日本国有鉄道改革法第十一条「国は、日本国有鉄道が行つている電気通信、情報の処理及び試験研究に関する業務のうち、すべての旅客会社及び貨物会社の事業の運営に関連するため一体的に運営することが適当であると認められるものについては、旅客会社及び貨物会社以外の法人であつて運輸大臣がこれらの業務の性質を考慮して指定するものに引き継がせるものとする。」による承継会社。
  5. ^ 三井物産、三菱商事、住友商事、松下電器産業(現:パナソニック)、東京銀行等の出資で設立。
  6. ^ 1999年(平成11年)11月に9社はデジタルホンおよびデジタルツーカー地域各社の商号をジェイフォン○○(○○には地域名が入る)に商号変更した。
  7. ^ 当初は旧ツーカーセルラーグループもデジタルホン・デジタルツーカーグループと統合することになっていたが、旧第二電電が株式売却価格への不満を理由にツーカーセルラー株の手放しを撤回したため、最終的にこの2社のみで統合した。
  8. ^ 東京証券取引所の基準では、大株主の上位10人と役員の所有株式と自社所有株式数の合計が、上場株式数の90%を超えた場合は上場廃止となる。
  9. ^ 発行済み普通株式約1億4,400万株を買い取るための金額1433億円のほか、純有利子負債1640億円の肩代わと優先株が325億円を合算すると3400億円という買収額になる。

出典

  1. ^ [1] (PDF)
  2. ^ 鉄道ジャーナル』第21巻第14号、鉄道ジャーナル社、1987年12月、116頁。 
  3. ^ JR通信 鉄道通信株式会社-ピエールのオレンジカード
  4. ^ 登録第3126644号 - 特許庁 商標出願・登録情報検索
  5. ^ a b 「JR年表」『JR気動車客車編成表 90年版』ジェー・アール・アール、1990年8月1日、177頁。ISBN (4-88283-111-2)。 
  6. ^ “日本テレコムとITJが10月1日付けの合併に合意”. INTERNET Watch (1997年3月19日). 2012年9月3日閲覧。
  7. ^ 次世代移動通信システム「IMT-2000」の企画会社設立について - 日産自動車公式ウェブサイト、2016年6月19日閲覧。
  8. ^ “会社概要”. 株式会社交通新聞社. 2022年7月10日閲覧。
  9. ^ 英ボーダフォン、日本テレコム買収に1兆4000億円 - 人民団日本語版、2015年5月12日閲覧。
  10. ^ 平成電電の通信サービスの終了および代替サービスへの移行について 日本テレコム 2006年8月31日
  11. ^ “ケーブルテレビ事業者向け固定電話サービス「ケーブルライン」の提供を開始~加入者同士およびIP電話市場シェアNo.1を誇るBBフォン・BBフォン光ユーザとの無料通話が可能~”. ソフトバンクテレコム株式会社 (2007年2月5日). 2023年5月4日閲覧。
  12. ^ 品川区「近隣セキュリティシステム」に関するサービスの提供について ソフトバンクテレコム 2008年2月15日
  13. ^ “拠点一覧 データセンター”. https://www.softbank.jp/biz/. ソフトバンク (2021年12月3日). 2021年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月3日閲覧。
  14. ^ 韓国KT社との合弁によるプサンデータセンターが竣工 プレスリリース2011 ソフトバンクテレコム株式会社 2011年12月8日
  15. ^ a b “山口さん起用 日本テレコム新キャラクター”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1996年10月9日) 
  16. ^ 日本テレコム 2000年5月8日(2001年6月27日時点でのインターネットアーカイブ)、2015年8月10日閲覧。
  17. ^ 日本テレコム 新固定電話サービス「おとくライン」 メディアキャンペーンの展開開始 〜キャラクターに、タモリさんを起用〜 日本テレコム (2004年10月28日). 2015年8月12日閲覧。
  18. ^ ケータイ「契約」実績で「特別採用」 学生から不満と批判の声 J-CASTニュース 2009年3月18日
    ソフトバンク:携帯契約、就活学生に「営業」 厚労省調査 2009年3月25日, at the Wayback Machine. 毎日新聞
    ソフトバンク、入社希望者の紹介販売考慮を中止 - 社会 2009年3月30日, at the Wayback Machine. 朝日新聞社

外部リンク

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