金華信号場(かねはなしんごうじょう)は、北海道北見市留辺蘂町金華にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線の信号場。電報略号はカネ。事務管理コードは▲122524[2]。旅客営業時の駅番号はA54。
金華信号場 | |
---|---|
駅舎(2015年10月、金華駅時代) | |
かねはな Kanehana | |
◄A53 生田原 (15.0 km) (3.5 km) 西留辺蘂 A55► | |
所在地 | 北海道北見市留辺蘂町金華 |
駅番号 | (○A54) |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■石北本線 |
キロ程 | 152.7 km(新旭川起点) |
電報略号 | カネ |
駅構造 | 地上駅 |
(ホーム) | 2面2線 |
開業年月日 | 1914年(大正3年)10月5日[1] |
備考 | 駅として開業。2016年(平成28年)3月26日より信号場。 |
歴史
かつては駅であったが、2016年(平成28年)3月26日に旅客営業を廃止し、信号場となった[3]。
- 1914年(大正3年)10月5日:鉄道院湧別軽便線留辺蘂駅 - 下生田原駅間開業にともない奔無加駅(ぽんむか)として開業[4]。一般駅[1]。
- 1916年(大正5年)11月7日:留辺蘂駅 - 遠軽駅間が1,067mmに改軌[4]。
- 1922年(大正11年)
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道に移管。
- 1951年(昭和26年)7月20日:金華駅に改称[1][5]。
- 1961年(昭和36年)4月1日:新旭川駅 - 網走駅間を石北本線に改称[4]。
- 1975年(昭和50年)12月25日:貨物扱い廃止[1]。
- 1983年(昭和58年)1月10日:荷物扱い廃止[1]。CTC化により駅員無配置駅となり[6]、簡易委託化。
- 1983年内:簡易委託廃止、完全無人化[7]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[1][4]。
- 1995年(平成7年)3月16日:同日のダイヤ改正で特別快速「きたみ」の停車駅となる。
- 2015年(平成27年)7月16日:2016年3月実施予定のダイヤ改正で当駅を廃止する方針を北見市へ通知[7]。
- 2016年(平成28年)
信号場名の由来
当初の駅名である「奔無加」は留辺蘂の西の外れで無加川(武華川、とも)に合流する支流の名称であり、アイヌ語の「ポンムカ(pon-muka)」(小さい・無加川)に由来する[11][12][13]。なお、無加川を表す「muka」については一説には「氷上を越す」の意ではないかと解釈されているが[11]、詳細な意味は不明である[12]。
現在の名称は「武華」の「華」に付近に金鉱があることから「金」を組み合わせたものである[12]。
構造
2線を有する単線行き違い型信号場である。
列車の折り返しが可能であり、列車の折り返し機能がない西留辺蘂駅を終着とする列車は、一旦当信号場へ回送したのち、再度西留辺蘂駅へ回送して同駅始発列車となる[3]。
また、構内には他に横取線が1線あり、工事用車両が留置されることがある。
旅客駅当時は単式ホーム2面2線で、ホーム間の線路は両方と接するが、駅舎と反対側のホームの駅舎側は崩されており乗降は行わなかった。両ホームは(構内踏切)で連絡していた。北見駅管理の無人駅であり、トイレはなかった。先述の西留辺蘂駅終着・始発列車は、当信号場が旅客駅だった頃は当駅を終着・始発駅としていた[14]。
旅客駅当時ののりば
周辺
この節は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2016年10月) |
- 国道242号
- 奔無加川
- 国道242号より東方へ北見市道金華停車場線を入り、奔無加川を渡る金華橋をへて、金華の集落と信号場前に至る。
- 金華区会館(解体撤去)
- 常紋トンネル工事殉職者追悼碑 - 1980年(昭和55年)、留辺蘂町立金華小学校の跡地に建碑。信号場正面の道を進み、突き当たりの国道242号を右折すると100mほどで左側に入口(登り階段)がある。
- 金華小学校記念碑 - 常紋トンネル工事殉職者追悼碑の向かい側にある。金華小学校は1918年(大正7年)奔武華特別教授場として開校、1977年(昭和52年)に閉校し留辺蘂小学校に統合された。
- 金華地区 - 金華地区は信号場前の集落であり、廃屋が多いが数軒は人が住んでいる。1980年代頃までは一定の住民がおり、商店や国鉄官舎などがあったものの、その後官舎は廃止。著しい過疎化が進行し、1990年代には廃屋ばかりの集落となっている。2015年(平成27年)の国勢調査によれば金華地区の人口は7世帯13人。
- かつては金華地区西側から5キロ程金華峠方面に進んだ奔無加川上流沿いの山中に上金華(上奔武華)と称する集落もあった。上金華には1915年(大正4年)より愛媛県からの開拓団が入植したが、1969年(昭和44年)までに全戸離村。無人地区となっている。開拓地は植林され、野に還りつつある。1952年(昭和27年)に開校した上金華小学校は1963年(昭和38年)に閉校し金華小学校に統合された。上金華集落跡地入口や上金華小学校跡地には碑などが建っている。
隣の施設
脚注
出典
- ^ a b c d e f g 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、920頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、245頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ a b c “石北本線金華駅の営業終了”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2016年3月26日). 2016年10月2日閲覧。
- ^ a b c d e 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 28号・釧網本線/石北本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月31日、22-23頁。
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1951-07-14). “日本国有鉄道公示第176号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (7353): 9 .
- ^ “「通報」●石北本線桜岡駅ほか12駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1983年1月10日)
- ^ a b . 北海道新聞. (2015年7月17日06:30(JST)). オリジナルの2015年7月17日時点におけるアーカイブ。2015年8月11日閲覧。
- ^ “廃止予定の無人駅で運賃表盗まれる 北海道”. NHK NEWSWEB (日本放送協会). (2016年3月23日). オリジナルの2016年3月24日時点におけるアーカイブ。 2016年3月24日閲覧。
- ^ (PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2015年12月18日。 オリジナルの2015年12月18日時点におけるアーカイブ2015年12月18日閲覧。 。
- ^ 「存廃に揺れる北辺の本線」『鉄道ジャーナル』No.610、2017年8月、56頁。
- ^ a b “アイヌ語地名リスト ホロナ~モオ P121-130”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2019年2月5日閲覧。
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、212頁。(ASIN) B000J9RBUY。
- ^ 更科, 源蔵『アイヌ語地名解 : 北海道地名の起源』北書房、1966年、314-315頁。doi:10.11501/2985550 。2022年6月13日閲覧。
- ^ 金華往復便に乗る。鉄道ホビダス「編集長敬白」 2016年2月4日
参考文献
関連項目
外部リンク
- 金華駅(JR北海道旭川支社)
- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー 「湧別線建設概要」(鉄道院北海道建設事務所,大正5年発行)より建設当初の奔無加停車場構内