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近藤祐介

近藤 祐介(こんどう ゆうすけ、1984年12月5日 - )は、東京都江戸川区出身の[3][4]プロサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)及びミッドフィールダー(MF)。

近藤 祐介
名前
愛称 ユースケ
カタカナ コンドウ ユウスケ
ラテン文字 KONDO Yusuke
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1984-12-05) 1984年12月5日(38歳)
出身地 東京都江戸川区
身長 180cm
体重 78kg
選手情報
ポジション FW / (MF (SH))
利き足 右足[1][2]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2009 FC東京 44 (4)
2006-2007 ヴィッセル神戸 73 (16)
2010-2012 コンサドーレ札幌 85 (11)
2013-2014 栃木SC 81 (11)
2015 ギラヴァンツ北九州 5 (0)
2015-2016 AC長野パルセイロ 14 (0)
2016 SC相模原 10 (0)
2017 南葛SC
代表歴
2002-2003  日本 U-18/19/20
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月3日現在。
(■テンプレート)((■ノート) ■解説■サッカー選手pj
近藤祐介

来歴

小学校1年生の時にサッカーを始める[5]。出身の東京都江戸川区に隣接する千葉県市川市内のクラブに所属し、2000年に千葉県のサッカー強豪高である習志野高校へと進学。本田裕一郎監督の下、同校で1年次からレギュラーとしてプレーしていたが、本田の転任に併せて[6]2年次から流経大柏高校へと転校。この年にFWへとコンバートされ[7][6]、力強いシュート[注 1]を武器に活躍。3年次には千葉県選抜の背番号10を背負い[9]国体優勝を果たした。

2003年に高校を卒業。地元のJリーグクラブである柏レイソルなどから勧誘を受けていたが、先んじてオファーをしていた[6]J1FC東京へと加入[10]同年開催のFIFAワールドユース選手権に臨むU-20日本代表の有力候補の一人であったが[11]、大会直前の負傷により[5]選外となった。Jサテライトリーグの活躍から強烈なシュートと突破力を認められていたものの、好不調の波があり[12]、(1トップ)の布陣を採用していたこともあって出場機会は限られ、2005年にはレギュラーのFWルーカスに代わって5試合に先発出場したが[13]、1得点のみと結果を残せなかった。

2006年J2ヴィッセル神戸期限付き移籍[14][15]。持ち前の強引な攻撃の仕掛けに加えて前線からの守備でも貢献し[1]、主力の一角として活躍。同年末、神戸のJ1昇格が掛かる大一番となったJ1・J2入れ替え戦の第2戦では、チームをJ1昇格へ導く値千金の[2]アウェーゴールを挙げた[16]。移籍期間を延長し[17][18]2007年も神戸でプレー。同年4月にはイビチャ・オシム監督率いる日本代表候補に選出され練習合宿に参加した[19][4]

2008年よりFC東京へ復帰[20][21]。しかし、同年3月に右足指骨折[22]、7月には左膝半月板損傷のため手術する[23]など負傷が重なり別メニュー調整が続いた。シーズン終盤に復帰。2009年開幕戦で豪快なシュートを決め[24]復調をアピールしたが[25]平山相太らとのポジション争いに敗れ[26]、同シーズンをもって契約満了となり退団。

2010年よりJ2・コンサドーレ札幌に移籍[3][27]2011年より(MF(左サイドハーフ))にポジションを変え、攻撃の力強さを発揮[28]。リーグ戦全38試合に出場し[注 2]クラブのJ1昇格に大きく貢献した[30]。膝と腰の痛みを抱えながらも奮戦を続けていたが[31]、人件費削減の煽りを受け[30]2012年限りで退団。

2013年、J2・栃木SCに完全移籍[32][33]。シーズン序盤は(2トップ)の一角として献身的な走りで相手守備陣のスタミナを削ぐ役割を担っていたが[34]、FWサビアの先発定着に伴う布陣再編によって左SHへ配され、激しい上下動で攻守に[35]大きく貢献した[8]。2014年は不動の左SHとして[36]「変な癖が無いので」素直に撃てるという左足のシュートで[37]相手ゴールを脅かし、チーム最多にして最長出場。アシスト、シュート、スルーパス、タックル数でチーム最多を記録した[38]。同年限りで栃木との契約を満了[36]

2015年、J2・ギラヴァンツ北九州へ完全移籍[39][40]。同年7月にJ3・AC長野パルセイロへ完全移籍[41][42]

2016年J3第6節長野対では、後半22分から途中出場し同23分に退場[43]。ただし実際は投入直後のファーストプレーでレッドカードを提示されており、数秒の出場であった[44]。同年7月、SC相模原へ期限付き移籍[45][46]。同年末に移籍期間を満了し[47]、現役を引退[48]

2017年、南葛SC加入[49]。2017年シーズン終了後に退団が発表された[50]

エピソード

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 (リーグ杯)(オープン杯) 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 FC東京 25 J1 6 1 0 0 2 1 8 2
2004 9 0 2 0 1 0 12 0
2005 32 11 1 4 1 1 0 16 2
2006 神戸 19 J2 42 10 - 0 0 42 10
2007 J1 31 6 6 1 2 0 39 7
2008 FC東京 32 6 0 2 1 2 0 10 1
2009 12 1 4 1 2 0 18 2
2010 札幌 11 J2 26 3 - 1 1 27 4
2011 32 38 7 - 1 0 39 7
2012 J1 21 1 6 0 0 0 27 1
2013 栃木 J2 41 7 - 2 1 43 8
2014 40 4 - 0 0 40 4
2015 北九州 20 5 0 - - 5 0
長野 32 J3 8 0 - 2 0 10 0
2016 6 0 - - 6 0
相模原 10 0 - - 10 0
2017 南葛 37 東京都2部 -
通算 日本 J1 96 10 24 4 10 1 130 15
日本 J2 192 31 - 4 2 196 33
日本 J3 24 0 - 2 0 26 0
日本 東京都2部 -
総通算 312 41 24 4 16 3 352 48
その他の公式戦
出場歴

代表・選抜歴

指導歴

脚注

[脚注の使い方]
注釈
  1. ^ 流経柏での一期後輩に当たる赤井秀行は、当時の近藤を「10トントラック」と形容している[8]
  2. ^ 当年の全試合出場選手は、札幌では近藤と砂川誠のみ[29]
出典
  1. ^ a b c d - ウェイバックマシン(2007年10月25日アーカイブ分)WEBサッカーマガジン (2007年2月13日)
  2. ^ a b c - ウェイバックマシン(2010年1月10日アーカイブ分)WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  3. ^ a b - ウェイバックマシン(2009年12月30日アーカイブ分)FC東京 (2009年12月25日)
  4. ^ a b c d e f - ウェイバックマシン(2007年5月18日アーカイブ分)ヴィッセル神戸 (2007年4月15日)
  5. ^ a b c 『FC東京ファンブック2004』毎日新聞社、2004年、44頁。 
  6. ^ a b c d e f コンサドーレ札幌 近藤祐介選手 財界さっぽろ (2010年7月)
  7. ^ a b - ウェイバックマシン(2007年12月14日アーカイブ分)Jリーグ選手協会 (2006年9月8日)
  8. ^ a b 絶好調の近藤祐介について高校時代にともにプレーした赤井秀行「俺はポッキー、あっちは10トントラックだった」 blogola (2013年11月15日)
  9. ^ a b c d 『FC東京ファンブック2003』毎日新聞社、2003年、55頁。 
  10. ^ - ウェイバックマシン(2004年5月1日アーカイブ分)FC東京 2002.10.30
  11. ^ ワールドユースメンバー発表 大熊監督会見全文 (1/3) スポーツナビ (2003年11月17日)
  12. ^ a b - ウェイバックマシン(2005年4月21日アーカイブ分)東京中日スポーツ (2005年1月24日)
  13. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2005年12月3日)
  14. ^ - ウェイバックマシン(2006年6月25日アーカイブ分)FC東京 (2005年12月21日)
  15. ^ - ウェイバックマシン(2005年12月24日アーカイブ分)ヴィッセル神戸 (2005年12月21日)
  16. ^ 公式記録 2006J1・J2入れ替え戦 第2戦 Jリーグ (2006年12月9日)
  17. ^ - ウェイバックマシン(2007年1月16日アーカイブ分)FC東京 (2007年1月12日)
  18. ^ - ウェイバックマシン(2007年10月29日アーカイブ分)ヴィッセル神戸 (2007年1月12日)
  19. ^ a b 日本代表候補トレーニングキャンプ メンバー (4/16~18) 日本サッカー協会 2007.04.15
  20. ^ - ウェイバックマシン(2007年12月29日アーカイブ分)ヴィッセル神戸 (2007年12月26日)
  21. ^ - ウェイバックマシン(2007年12月29日アーカイブ分)FC東京 (2007年12月26日)
  22. ^ - ウェイバックマシン(2008年3月15日アーカイブ分)FC東京 (2008年3月14日)
  23. ^ - ウェイバックマシン(2008年7月16日アーカイブ分)FC東京 (2008年7月8日)
  24. ^ a b 近藤 2年ぶり2戦連発だ 親友 粟生の世界奪取に闘志 東京中日スポーツ 2009.03.14
  25. ^ 【J1:第1節 F東京 vs 新潟】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2009年3月7日)
  26. ^ 札幌J1昇格消滅、東京FW近藤獲得へ 日刊スポーツ (2009年10月19日)
  27. ^ 近藤 祐介 選手 コンサドーレ札幌に完全移籍 コンサドーレ札幌 (2009年12月25日)
  28. ^ - ウェイバックマシン(2011年5月1日アーカイブ分)北海道新聞 (2011年4月29日)
  29. ^ 選手出場記録 Jリーグ 2011.12.03
  30. ^ a b “厳冬”札幌 人件費削減で大量流出…FW近藤は栃木へ スポーツニッポン 2012.12.08
  31. ^ - ウェイバックマシン(2012年7月7日アーカイブ分)スポーツ報知 (2012年7月7日)
  32. ^ 近藤祐介 選手 栃木SCへ完全移籍のお知らせ コンサドーレ札幌 (2012年12月14日)
  33. ^ 近藤祐介選手 完全移籍加入のお知らせ 栃木SC 2012.12.14
  34. ^ 今季はサプライズの可能性も 白熱する昇格プレーオフ争いでJ1未経験・岡山と栃木は生き残れるか? フットボールチャンネル (2013年5月5日)
  35. ^ 近藤祐介、ウイング起用でプレッシャーから解放 blogola (2013年10月23日)
  36. ^ a b 栃木SC、近藤ら3選手契約満了 下野新聞 (2014年11月27日)
  37. ^ 月刊J2マガジン 2014年7月号』ベースボール・マガジン社、2014年、31頁。 
  38. ^ エル・ゴラッソ特別編集 J2リーグ総集編2014』三栄書房、2015年、81頁。 
  39. ^ 近藤祐介選手 ギラヴァンツ北九州へ完全移籍のお知らせ 栃木SC (2014年12月28日)
  40. ^ - ウェイバックマシン(2014年12月29日アーカイブ分)ギラヴァンツ北九州 (2014年12月28日)
  41. ^ - ウェイバックマシン(2015年7月1日アーカイブ分)ギラヴァンツ北九州 (2015年7月1日)
  42. ^ 新加入選手のお知らせ AC長野パルセイロ (2015年7月1日)
  43. ^ 公式記録 Jリーグ (2016年4月24日)
  44. ^ J3長野FW近藤祐介が途中出場からわずか1分でレッドカード退場 ゲキサカ、2016年5月3日閲覧。
  45. ^ 近藤祐介選手 SC相模原へ期限付き移籍のお知らせ AC長野パルセイロ (2016年7月13日)
  46. ^ 近藤祐介選手 期限付き移籍加入のお知らせ SC相模原 (2016年7月13日)
  47. ^ 近藤祐介選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ SC相模原 (2016年12月2日)
  48. ^ 近藤祐介選手 現役引退のお知らせ - 2017年1月16日 AC長野パルセイロ公式サイト
  49. ^ a b 新加入選手のお知らせ 南葛SC (2017年3月28日)
  50. ^ 【TOP】退団選手のお知らせ(0201更新) 南葛SC (2018年2月1日)
  51. ^ 『FC東京ファンブック2004』毎日新聞社、2004年、109頁。 
  52. ^ 近藤と同級生、ボクシング世界王者“彼は持ってる男” スポーツニッポン (2012年5月4日)
  53. ^ - ウェイバックマシン(2011年6月1日アーカイブ分) スポーツ報知 (2011年5月30日)

関連項目

外部リンク

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