虞 忠(ぐ ちゅう、? - 280年)は、中国三国時代の呉の武将。字は世方。揚州会稽郡余姚県の人。父は虞翻。兄弟は虞汜・虞聳・虞昺ら。妻は孫氏(孫権の族孫)。子は虞潭。
生涯
節操を守ると共に実行力があり、陸機・魏遷・王岐といった人材を見いだすなど、人物を見極める才があったという。
天紀4年(280年)、晋が侵攻してきたとき、陸晏・陸景らと共に宜都城へ立て籠もった。晋の王濬は西陵城を陥落させ、鎮南将軍の留憲や征南将軍の成璩らを捕虜にした後、宜都城に迫った。虞忠らは激しく抵抗したが、遂には敗れ、城が陥落した際に陸晏や陸景とともに殺害された。一説には自害したともいわれる[1]。
家系図
参考文献
脚注
- ^ (虞預)撰『(会稽典録)』