» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

藤田 (岡山市)

藤田(ふじた)は、岡山県岡山市南区にある大字である。かつての児島郡藤田村(ふじたそん)に相当する。本項では同村についても述べる。

藤田
ふじた
日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
自治体 岡山市
行政区 南区
面積
22.27km²
世帯数
5,488世帯
総人口
13,410
(登録人口、2018年7月31日現在)
人口密度
602.16人/km²
隣接地区 市内:
南区興除灘崎
旧市役所本庁管内(岡南
岡山市南区役所藤田地域センター
北緯34度35分29.36秒 東経133度52分53.02秒 / 北緯34.5914889度 東経133.8813944度 / 34.5914889; 133.8813944座標: 北緯34度35分29.36秒 東経133度52分53.02秒 / 北緯34.5914889度 東経133.8813944度 / 34.5914889; 133.8813944
所在地 〒701-0221
岡山県岡山市南区藤田508
旧藤田村役場庁舎位置
リンク 藤田地域センター公式ページ
藤田
(テンプレートを表示)

地名は児島湾干拓を主導した藤田傳三郎に由来する。

概要

岡山市南区役所藤田地域センターが管轄する南区藤田が該当地域となっている。かつては児島郡藤田村であったが、1975年5月1日に岡山市へ編入合併された[1]

戦後から1975年までは、日本では市町村合併が毎年実施されてきたが、藤田村を最後に約4年間実施されなくなった[2]。したがって、翌1976年は戦後初となる市町村合併がない年となった。

岡山市南西部に位置し、全域が児島湾干拓地であるため平坦であり丘陵はない。村域を二つの二級河川に囲まれており、村域の中央に妹尾川がある。妹尾川の河口付近は児島湖の水面より地面が低いところがある。

近年、ダイキEX岡山など国道30号沿線のロードサイド店舗が増えつつある。

小・中学校の学区

公立中学校に通学する場合、学区は次のように指定されている[3]

番地 小学校 中学校
1番地~480番地、2617番地(都、大曲) (第一藤田小学校) 藤田中学校
481番地~777番地(錦) (第二藤田小学校)
801番地~2616番地(錦六区、都六区) (第三藤田小学校)

地理

河川
  • 二級河川
    • 笹ヶ瀬川:村の北側から東側に貫流し、児島湾に注ぐ。
    • 倉敷川:村の西側から東側に貫流し、児島湾に注ぐ。
  • (三級河川)
    • (妹尾川)
湖沼

沿革

ふじたそん
藤田村
廃止日 1975年5月1日
廃止理由 編入合併
藤田村 → 岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
  日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
児島郡
市町村コード 33403-1
面積 22.27 km2
隣接自治体 岡山市
児島郡灘崎町
藤田村役場
所在地 岡山県児島郡藤田村508
座標 北緯34度35分29秒 東経133度52分53秒 / 北緯34.59139度 東経133.88139度 / 34.59139; 133.88139
ウィキプロジェクト
(テンプレートを表示)
  • 1912年(明治45年) - 児島湾干拓の第二区(1097町歩)が完成。村制を施行し、その区域を児島郡藤田村とした[4]
    • その後、第二区の沖に第六区が完成し、藤田村に編入された。
  • 1960年(昭和35年)12月 - NHK錦ラジオ放送所が岡山市内の旧局舎から移転される。
  • 1975年(昭和50年)5月1日 - 藤田村が岡山市に編入された。
  • 1979年(昭和54年)- 瀬戸内2001大博覧会が国道30号沿いの藤田錦で開催される[5]
  • 2009年(平成21年)- 4月1日 岡山市が政令指定都市に移行し、藤田地区の行政区は南区となる。

地区

第二区と第六区と、妹尾川によって分けられる4つと大曲に区分される.

  • 錦:第二区の妹尾川より北側
  • 都:第二区の妹尾側より南側かつ、丙川より北側
  • 錦六区:第六区の妹尾川より北側
  • 都六区:第六区の妹尾川より南側
  • 大曲:第二区の丙川より南側

産業

干拓地のため農業中心である

農業
  • れんこん
  • レタス
  • 千両なす

施設

  • 岡山市南区役所藤田地域センター(旧・岡山市藤田支所)
  • 岡山南警察署藤田交番
  • NHK岡山放送局錦ラジオ放送所

学校

かつては岡山朝鮮初中級学校があったが、現在は倉敷朝鮮初中級学校と統合されて倉敷市に移転している。

交通

道路
  • 一般国道
    • 国道30号:第二区の堤防の跡に敷設されている。

出身有名人

その他

日本にある「藤田村」の中で唯一「ふじた"そん"」という読み方だった。他の「藤田村」は山梨県のみ「とうだむら」でそれ以外は「ふじた"むら"」である。また、日本に存在した「藤田村」の中では最後まで残った村でもあり全国地方公共団体コード導入後も残った唯一「藤田村」であり、「藤田村」に限らず「藤田」の名が付く最後の自治体だった。また、児島郡においては最後まで残った村でもあり、当村の合併で児島郡は灘崎町2005年3月22日に岡山市に編入合併)を残すのみとなった。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ なお、岡山県内の市町村合併はこれ以降、2004年10月1日の新高梁市および吉備中央町の発足まで29年間行われていない。
  2. ^ 1979年2月の志方町が加古川市に編入されるまでなかった。
  3. ^ “岡山市立小学校、中学校の就学に関する規則 別表第1” (PDF). 岡山市. 2020年9月30日閲覧。
  4. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』289頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊 (全国書誌番号):(20522067)
  5. ^ 瀬戸内2001大博覧会(乃村工藝社)

関連項目

外部リンク

  • 岡山の干拓
  • 第一藤田学区連合町内会
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。