» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

藤岡好明

藤岡 好明(ふじおか よしあき、1985年3月12日 - )は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手投手)・コーチ。右投左打。火の国サラマンダーズ所属。

藤岡 好明
火の国サラマンダーズ 投手コーチ兼投手 #42
DeNA時代(2016年4月10日 横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府豊中市
生年月日 (1985-03-12) 1985年3月12日(38歳)
身長
体重
177 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2006年3月26日
最終出場 2020年8月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 横浜DeNAベイスターズ (2021)
  • 火の国サラマンダーズ (2022 - )

経歴

プロ入り前

小学校で軟式野球、豊中第十五中学校では学校の部活で準硬式野球[1]宮崎日大高校では2年春に二塁手で九州大会優勝。同期に下園辰哉がいて2年秋の県大会決勝では下園が先発し、救援したが瀬間仲ノルベルト日章学園高)に完投されて敗れた。続く九州大会では初戦で先発するも敗退。JR九州へ入社。樋口龍美町豪将など、先輩に好投手が多かったため、入社当初は公式戦への登板機会に恵まれなかった。樋口が中日ドラゴンズ、町がオリックス・バファローズへ入団した2005年には、小松聖がエースとなり、公式戦では主に救援で起用。2人が成し得なかったチームの都市対抗野球準決勝進出に貢献した。

2005年のプロ野球大学・社会人ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから3巡目で指名。契約金8,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は40

ソフトバンク時代

 
ソフトバンク時代(2012年6月24日 福岡Yahoo!JAPANドームにて)

2006年には、新人選手から松田宣浩と共に開幕一軍入りを果たすと、3月26日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)で一軍デビュー。6回表2死満塁からの救援登板を無失点で切り抜けると、次の登板試合から8試合連続で無失点を記録するなど、セットアッパーとして活躍した。5月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、プロ入り初セーブを記録。一軍公式戦全体では、チームトップの62試合(当時のパシフィック・リーグ新人投手最多登板記録)に登板するとともに、リーグ2位の31ホールドポイントを記録した。さらに、速球主体のピッチングながら、シーズンを通して1本の本塁打も許さなかった。

2007年には、前年まで在籍していた吉武真太郎[注 1]に代わる中継ぎ陣の柱として、開幕から一軍公式戦での登板を重ねた。しかし、5月時点の防御率が10点台に達したことに加えて、故障の影響で2ヶ月以上の戦線離脱を余儀なくされた。8月に一軍へ復帰してからは、公式戦23試合に登板。この間の自責点を4にとどめたことから、シーズン通算の防御率を4点台にまで持ち直した。

2008年には、一軍公式戦11試合に登板。勝敗は付かず、防御率は3.38であった。

2009年には、公式戦開幕後の4月に、シーズン初の出場選手登録を果たした。登録当初の公式戦では中継ぎに起用されたが、5月16日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)から先発に転向。3度目の先発登板であった6月3日の横浜ベイスターズ戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)では、6回を2安打無失点という内容で先発投手としての初勝利を記録した。シーズン通算では、一軍公式戦14試合に先発。1年目に並ぶ自己最多の5勝を挙げた。

2010年には、先発投手として一軍公式戦3試合、中継ぎ投手として29試合に登板。中継ぎでは、主にビハインドの展開で登板しながら、防御率2.35、奪三振率10.33という好成績を残した。

2011年には、一軍公式戦での登板が5試合にまで減少。1勝を挙げたが、防御率は9点台で、先発投手としての登板機会はなかった。

2012年は春季キャンプで肩を痛めるも、6月には復帰し、以降は中継ぎ投手として一軍公式戦39試合に登板。防御率が過去最高の1.19を記録するなど、安定した成績を残したことから、シーズン終了後の契約交渉では前年から800万円増(2,800万円)で契約を更改した。

2013年には、シーズン序盤から、一軍公式戦への中継ぎ登板を重ねていた。6月27日の全体練習中に体調不良を訴えたため、病院で診察を受けたところ、肝機能の低下が判明したため急遽入院。退院後も2ヶ月程度の安静を求められたため、そのままシーズンを終えた[2]

日本ハム時代

2013年12月25日に、北海道日本ハムファイターズへの移籍が発表された。鶴岡慎也FA権の行使によってソフトバンクへ移籍したことに伴う補償措置で、背番号は22[3]

2014年には、5月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)延長11回表に5番手投手として登板すると、1回を無失点に抑えた後に、チームのサヨナラ勝ちによって移籍後初勝利を挙げた[4]。しかし、以降の登板は8試合にとどまった。

2015年には、一軍公式戦で6試合に登板。防御率は4.70で、勝敗は付かなかった。シーズン終了後の契約交渉では、翌2016年の年俸に対して、野球協約で定められた減額制限を超える条件を適用することを球団から提示。結局、前年から1,200万円ダウンの推定年俸1,100万円で契約を更改した[5]

2016年には、移籍後初の開幕一軍登録を果たすと、3月26日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)に救援で登板。2/3イニングを投げて1失点を喫すると、以降はファイターズで登板する機会はなかった。

DeNA時代

2016年3月30日に、金銭トレードでDeNAへ移籍することが発表された[6]。背番号は68[7]

日本ハムの投手として、発表の当日に対オリックス・バファローズ戦前の練習(札幌ドーム)へ参加していたが、練習後に出場選手登録を抹消されたうえで、日本ハム球団の幹部からDeNAへの移籍を通告された[8]。この緊急移籍について、日本ハム一軍監督の栗山英樹は、「ウチ(日本ハム)も(手薄な一軍の救援要員として藤岡を)欲しいけれど、藤岡には(ソフトバンクからの入団以降)個人的に何もできなかったので、藤岡のために(日本ハムより登板の機会が多そうな)DeNAへ移籍させることを考えた」という表現で苦渋の決断だったことを明かした[9]

移籍後は、4月5日の出場選手登録[10]を経て、4月6日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)から、救援で9試合に登板。2ホールド、防御率1.13を記録した。ところが、4月26日の対中日戦(横浜スタジアム)7回表の救援登板中に、右肩の違和感を訴えて降板[11]。4月27日に登録を抹消される[12]と、一軍へ復帰できないままレギュラーシーズンを終えた。チームがレギュラーシーズン3位で臨んだクライマックスシリーズの開幕直前からは、中継ぎの柱である須田幸太が故障で登板が危ぶまれていたことを背景に、一軍へ再び帯同[13]広島東洋カープとのファイナルステージ第4戦(10月15日・MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)2回裏に2番手投手として実戦復帰を果たすと、1イニングを無失点に抑えてシーズンを終えた。

2017年には、レギュラーシーズンの開幕を二軍で迎えたが、5月20日にシーズン初の一軍昇格。5月23日の対中日戦(横浜スタジアム)で一軍公式戦3年振りの勝利を挙げたが、シーズン全体では、6試合の登板で1勝0敗、防御率4.15という成績にとどまった。シーズン終了後の契約更改でチームに残留したが、自身より年上の久保康友林昌範両投手がこの年限りで退団したため、32歳ながらチーム最年長の投手になった。

2018年には、イースタン・リーグの公式戦で、開幕から7月下旬までに22試合へ登板。その間に2勝1敗3セーブ、防御率2.25という好成績を残したことから、8月2日にシーズン初の一軍昇格を果たした。8月3日の対広島東洋カープ戦(横浜)で、同点の延長10回表2死1・2塁からシーズン初の一軍マウンドに立つと、一打勝ち越しのピンチを凌いだばかりか11回表にも続いて登板。1回1/3で打者4人を11球で打ち取る好投の末に、その裏の攻撃でチームがサヨナラ勝利を収めたことから、一軍公式戦でのシーズン初勝利を挙げた。一軍公式戦全体では15試合に登板。防御率は6.14ながら、1勝1ホールドを記録した。シーズン終了後に、推定年俸1,150万円(前年から100万円増)という条件で契約を更改。

2019年には、チーム最年長の日本人選手[14]として、一軍公式戦32試合に登板。ビハインドの局面を中心にリリーフを任されながらも、ソフトバンク時代の2013年以来6年振りのシーズン30試合登板を達成したほか、シーズン初登板から16試合連続無失点を記録して防御率を1.86にとどめた。NPBの規定によってシーズン途中の9月14日に国内FA権を取得した[15]が、シーズンの終了後にはこの権利を行使せず、推定年俸1,750万円(前年から600万円増)という条件でチームへ残留。

2020年には、レギュラーシーズン中盤の8月に、一軍公式戦4試合に登板。ワンポイントリリーフを任されたが、防御率21.60、WHIP4.20にとどまった。シーズン最終盤の11月3日に球団から戦力外通告を受けた[16]ことを機に、現役を引退[17]

現役引退後

2021年シーズンは、DeNAの二軍で投手コーチを務めた[18]

KAL・熊本時代

2021年12月2日、プロ野球独立リーグ・九州アジアリーグ(KAL)の火の国サラマンダーズに、投手コーチ兼任で現役復帰することが発表された[19]。背番号は42

2022年3月27日の対大分B-リングス戦(リブワーク藤崎台球場)で、現役復帰後初の公式戦に登板。6回から救援登板し、KALでの初対戦の打者はDeNA時代の元チームメイトである白崎浩之になった。この回は3人で抑え込んだものの、回を跨ぐと打ち込まれてしまい、1回2/3を投げて自責点2の内容だった[20]。2試合目の登板は5月4日、古巣のソフトバンクの三軍戦で、救援で2回を投げて自責点1の内容だった。コーチ業もあり、特に前半戦は登板機会が少なく、最終的には選手としては10試合の登板で、防御率4点台後半の成績だった。

選手としての特徴・人物

投球フォームはサイドスローで、140km/h前後のストレートや、スライダーシュートシンカーカットボールといった変化球を投げ分けていた[21]

ソフトバンク入団1年目の2006年に一軍公式戦で62試合に登板して以来、シーズン50試合登板と、ホールドが付く局面での登板機会の増加を目標に掲げていた。もっとも、NPBでの現役生活を通じて50試合以上に登板できたのはこの年のみで、日本ハム時代からDeNAへの移籍2年目(2018年)まではソフトバンク時代ほどの活躍に至らなかった。本人曰く「右肩を痛めた影響で、力強く投げられるポジション(位置)に戻っていなかった」とのことで、2018年オフシーズンのトレーニングから、通常の練習より重い球を使用。これまで避けてきた重い球でのトレーニングを通じて力強い球を投げられるポジションを再び見付けられたことが、投球フォームの安定や、2019年シーズンの好成績につながったという[22]

愛称は「タゴッチ」で、ソフトバンク時代の先輩・斉藤和巳が命名[23]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 ソフトバンク 62 0 0 0 0 5 3 1 26 .625 270 65.2 51 0 21 3 6 65 0 0 20 19 2.60 1.10
2007 36 0 0 0 0 1 2 0 7 .333 146 31.1 39 3 16 3 1 25 3 0 19 17 4.88 1.76
2008 11 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 31 8.0 7 0 1 0 1 4 0 0 4 3 3.38 1.00
2009 38 14 0 0 0 5 8 0 2 .385 434 101.2 98 10 38 0 4 82 5 0 57 52 4.60 1.34
2010 32 3 0 0 0 1 2 0 1 .333 236 54.0 56 1 21 0 3 57 3 0 29 27 4.50 1.43
2011 5 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 42 8.1 10 1 5 0 2 8 1 0 9 9 9.72 1.81
2012 39 0 0 0 0 1 0 0 8 1.000 175 45.1 36 0 9 0 0 34 1 0 8 6 1.19 0.99
2013 32 0 0 0 0 4 0 0 6 1.000 121 28.2 29 0 12 0 1 15 3 0 9 8 2.51 1.43
2014 日本ハム 9 0 0 0 0 1 0 0 2 1.000 57 12.0 18 0 4 1 0 8 0 0 8 7 5.25 1.83
2015 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 35 7.2 11 1 2 0 0 2 0 0 4 4 4.70 1.70
2016 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 4 0.2 2 0 0 0 0 1 0 0 2 2 27.00 3.00
DeNA 9 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 31 8.0 7 0 2 0 0 3 0 0 2 1 1.13 1.13
'16計 10 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 35 8.2 9 0 2 0 0 4 0 0 4 3 3.12 1.27
2017 6 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 23 4.1 6 0 4 0 1 3 0 0 2 2 4.15 2.31
2018 15 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 67 14.2 15 1 5 1 2 9 0 0 10 10 6.14 1.36
2019 32 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 126 29.0 27 2 15 3 0 23 2 0 6 6 1.86 1.45
2020 4 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 12 1.2 4 0 3 0 0 3 0 0 4 4 21.60 4.20
通算:15年 337 17 0 0 0 22 16 1 57 .579 1810 421.0 416 19 158 11 21 342 18 0 193 177 3.78 1.36

記録

初記録
投手記録
打撃記録

独立リーグでの年度別投手成績





















































W
H
I
P
2022 熊本 10 1 0 0 0 0 0 0 2 .000 71 15.2 21 0 5 - 0 20 2 0 8 8 4.60 1.66
通算:1年 10 1 0 0 0 0 0 0 2 .000 71 15.2 21 0 5 - 0 20 2 0 8 8 4.60 1.66
  • 2022年度シーズン終了時

背番号

  • 40(2006年 - 2013年)
  • 22(2014年 - 2016年途中)
  • 68(2016年途中 - 2020年)
  • 95(2021年)
  • 42(2022年 - )

登場曲

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ソフトバンクの前身球団・福岡ダイエーホークスから2004年読売ジャイアンツ(巨人)へ移籍した小久保裕紀が、FA権の行使を通じてソフトバンクへ事実上復帰したことによる補償措置として巨人へ移籍。

出典

  1. ^ 2006プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ “ソフトバンク藤岡今季絶望か 2カ月安静”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2013年7月28日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130728-1164380.html 2016年4月6日閲覧。 
  3. ^ 藤岡好明選手獲得のお知らせ2013年12月25日 北海道日本ハムファイターズ
  4. ^ “藤岡 ハム移籍後初勝利「流れに乗っていい投球ができた」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2014年5月17日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/17/kiji/K20140517008180850.html 2014年5月18日閲覧。 
  5. ^ “【日本ハム】藤岡、減額制限超えダウンも「来年取り返すチャンスをいただいた」”. スポーツ報知. (2015年12月2日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20151202-OHT1T50036.html 2016年4月6日閲覧。 
  6. ^ “藤岡好明選手 獲得のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2016年3月30日). 2016年11月11日閲覧。
  7. ^ “藤岡好明選手 入団記者会見”. 横浜DeNAベイスターズ公式サイト. (2016年3月30日). http://www.baystars.co.jp/news/2016/04/0401_01.php 2016年3月30日閲覧。 
  8. ^ “日本ハム藤岡好明「突然で驚きある」DeNAへ移籍”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2016年3月30日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1624338.html 2016年4月6日閲覧。 
  9. ^ “栗山監督、藤岡トレードは苦渋の決断「申し訳ない」”. 日刊スポーツ. (2016年3月31日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1624343.html 2016年4月6日閲覧。 
  10. ^ “DeNAがペトリック、藤岡、乙坂を一軍登録”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2016年4月5日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1627049.html 2016年4月6日閲覧。 
  11. ^ “藤岡、右肩違和感で交代=プロ野球・DeNA”. 時事ドットコム (時事通信社). (2016年4月26日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016042601005&g=bsb 2016年6月14日閲覧。 
  12. ^ “DeNAが久保康を登録、藤岡を抹消”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2016年4月27日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1638324.html 2016年6月14日閲覧。 
  13. ^ “ハムからDeNA移籍右腕の藤岡また好投 CS秘密兵器だ”. nikkansports.com (スポーツニッポン). (2016年10月6日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/06/kiji/K20161006013484350.html 2016年10月8日閲覧。 
  14. ^ “巨人上原、阪神福留、DeNAは33歳右腕が… 12球団の今季最年長選手は?”. Full-Count. (2019年1月23日). https://full-count.jp/2019/01/23/post285591/2/ 2019年2月14日閲覧。 
  15. ^ “DeNA・藤岡が国内FA権取得”. サンケイスポーツ (2019年9月14日). 2019年11月30日閲覧。
  16. ^ "2021年シーズン 選手契約について". 公式サイト. 横浜DeNAベイスターズ. 3 November 2020. 2020年11月3日閲覧
  17. ^ “DeNA藤岡好明が現役引退 2軍投手コーチに”. nikkansports.com. 2021年1月16日閲覧。
  18. ^ “藤岡好明選手 現役引退およびコーチ契約のお知らせ”. 公式サイト (横浜DeNAベイスターズ). (2020年11月28日). https://www.baystars.co.jp/news/2020/11/1128_02.php 2020年11月28日閲覧。 
  19. ^ “元ソフトバンクのサイド右腕・藤岡好明氏が現役復帰 独立リーグ「火の国」で兼任コーチ就任発表”. 西日本スポーツ. (2021年12月2日). https://www.nishinippon.co.jp/nsp/sp/item/n/839170/ 2021年12月2日閲覧。 
  20. ^ “大分 vs 火の国 試合経過-2022ヤマエ久野 九州アジアリーグ”. 一球速報.com. OmyuTech (2022年3月27日). 2022年4月13日閲覧。
  21. ^ “DeNA・藤岡好明 「困ったときのフジオカさん」/最年長の意地”. 週刊ベースボールONLINE (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
  22. ^ “DeNA日本選手最年長、藤岡は600万円増「いい変化ができた」”. サンケイスポーツ (2019年12月5日). 2020年11月28日閲覧。
  23. ^ “人的補償でハム移籍の藤岡へ、斉藤氏がエール「頑張れ!タゴッチ」 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年11月3日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 藤岡好明 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
  • 藤岡 好明 (@tagosaku22) - Twitter
  • 藤岡 好明 (@fujioka_yoshiaki68) - Instagram
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。