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荒木貴裕

荒木 貴裕(あらき たかひろ、1987年7月26日 - )は、富山県小矢部市出身のプロ野球選手内野手外野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。

荒木 貴裕
東京ヤクルトスワローズ #10
2018年4月7日 明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本
出身地 富山県小矢部市
生年月日 (1987-07-26) 1987年7月26日(35歳)
身長
体重
180 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 2009年 ドラフト3位
初出場 2010年3月26日
年俸 2300万円(2023年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴

プロ入り前

津沢小学校のスポーツ少年団で、2年生の時に遊撃手投手として野球を始める[2][3]津沢中学校時代は高岡シニアに所属し、全国大会に出場した[2]

帝京第三高校では、1年秋から遊撃手のレギュラーとして活躍し、甲子園出場はならなかったものの、3年の2005年夏には県大会で4強の成績を残している[2]。3年夏の大会前に、近畿大学の練習に参加した際に監督・榎本保の目に止まり、入学することになる[2]

近大進学後の関西学生リーグでは、1年春からベンチ入り[2]、2年春から遊撃手のレギュラーを務めた[4]。近大では、同期に後に阪神タイガースに入団する藤川俊介[4]、2学年先輩に小瀬浩之がいた。3年時には大学日本代表に選出され、ハーレム国際と世界選手権に出場[2][5]。4年時は骨折で春季リーグの前半を棒にふったものの、復帰後にチームが6連勝をマークするなど存在感を発揮[4]。日米大学選手権では、大学日本代表の主将も務めている[4][5]。リーグ通算64試合出場、231打数66安打、打率.286、0本塁打、29打点[2]。遠投115メートル、50メートル6秒1の身体能力が評価されていた[3]

2009年ドラフト東京ヤクルトスワローズから3位指名を受け、11月24日に契約金7,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)で仮契約[6]。12月9日に行われた入団会見では、宮本慎也を目標としてあげている[7]。小・中・大・大学日本代表と四度にわたって主将経験がある点から、キャプテンシーが評価されており、その点からも「宮本二世」の呼び声がかかっている[8][9]

ヤクルト時代

2010年1月6日に戸田の球団寮に入寮、荒木自身が5歳の時に亡くなった「姉の分も頑張りたい」とコメントしている[10]。自主トレでは青木宣親から「柔らかくていいスイングをしている」と評価された[11]。春季キャンプは一軍スタート[12]。開幕一軍に入り、ヤクルト球団としては1970年中村国昭以来となる開幕スタメン(7番・遊撃手)に入った。

2011年フレッシュオールスターゲームでは2安打1打点、守備ではファインプレーと攻守に渡って活躍し、MVPとなった[13]

2012年は6試合の出場に終わる。

2013年、守備に難点があるため、一塁、三塁にコンバートされる。シーズン中盤、一軍へ昇格。 6月9日の対北海道日本ハムファイターズ戦において、三塁手としてリーグワーストタイとなる1試合3失策を記録した[14]。相変わらず守備に課題がある一方、2013年は打撃が向上し、二軍で首位打者(打率.337)を獲得。

2014年、オープン戦は外野手として出場したが、シーズンに入り遊撃手のレギュラー候補3人が相次ぎ怪我で欠場。二軍で正規の遊撃手がいない状態になり、外野手構想から遊撃手に復帰。4月26日遊撃手として一軍へ昇格。昇格後は遊撃手のレギュラーとして活躍したが、森岡良介の復帰とともに失速し、7月26日に二軍へ降格。9月27日、再び一軍登録、外野手で試合出場した。この年は55試合に出場した。この年の秋季キャンプ終了後、次期監督の真中満から徳山武陽古野正人西浦直亨らと共に、1番成長が感じられた選手の1人として挙げられている[15]

2015年は、前半戦は主に1番レフトとして出場。その後もリハビリ中のウラディミール・バレンティンや離脱したラスティングス・ミレッジの代わりとしてスタメンで好成績を残す。しかし、シーズン途中に骨折で離脱。復帰後は主に代打、代走として出場し、5盗塁含む自己最多の73試合に出場した。クライマックスシリーズ、日本シリーズでは打撃機会こそはなかったものも代走として3試合に出場した。シーズン後の契約更改では450万円増の2000万円(推定)でサインした[16]

2016年、61試合に出場。

2017年、5月14日の対中日ドラゴンズ戦で初めてサヨナラ満塁ホームランを記録[17]したことにより、5月のスカパー!サヨナラ賞を受賞した[18]。91試合に出場し、打率.207、6本塁打、25打点を記録した。

2018年は、チームの連敗を止めるサヨナラ打や試合を決定づける満塁弾[19]を放つなど[20][21]、随所に輝きをみせた。最終的に62試合に出場し打率.218、3本塁打、21打点を記録した。

2019年は、前年を上回る93試合に出場した。打率も.250を記録した。

2020年は、63試合の出場に留まり、打率.164、1本塁打[22]、7打点と結果を残せなかった。

2021年は、開幕一軍のメンバーに選ばれた[23]。内外野の控え(主にホセ・オスナの守備固め)として[24]オリンピック中断期間を除いて1年を通して一軍に居続け、途中出場がメインながらプロ入り以降最多の100試合に出場し、チームの優勝、日本一に貢献した[25]。ポストシーズンでは6試合に出場しながら一度も打席に立たなかったものの、日本一を決めた日本シリーズ第6戦は、延長12回裏、一塁を守っていた荒木が山田哲人からの送球を受けて試合終了、ウイニングボールを掴んだ選手であった[25]

2022年は、前年を半分以上下回る47試合の出場に留まった。

選手としての特徴・人物

対左投手に強く、内野と外野全てを守れるユーティリティープレイヤー[26]。際立って打撃力や守備力が高いわけではないものの、与えられた役割を堅実にこなせるいぶし銀としてチームを支える[25][27]2021年は自己最多の100試合に出場しながら、そのうち91試合が途中出場で、その内訳は代打18試合、代走21試合、守備固め52試合と、内外野の控えとして様々な役割をこなした唯一無二の存在だった[25]

チームトップの練習量を誇る努力家[28]。「野球は9人ではできない」を信条とし、ベンチスタートでも途中出場に向けて準備を怠らず、5回からベンチ裏でバイクを漕いで体を温めている[29]

幼少期から大学時代まで仲の良い友人でも苗字でしか呼ばれたことがなかったが、プロ入り後に同姓の荒木大輔がコーチにいたことで、自身は下の名前や「タカ」という愛称で呼ばれるようになった[30][28]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2010 ヤクルト 18 21 20 0 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 9 0 .100 .100 .100 .200
2011 3 8 8 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .125 .125 .125 .250
2012 6 5 5 2 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .200 .200 .200 .400
2013 12 44 43 6 11 1 0 1 15 3 0 1 1 0 0 0 0 3 0 .256 .256 .349 .605
2014 55 168 149 23 41 3 1 2 52 12 1 2 2 0 16 0 1 25 2 .275 .349 .349 .698
2015 73 196 170 21 43 8 0 2 57 12 5 3 8 1 16 0 1 30 3 .253 .319 .335 .654
2016 61 131 111 14 27 5 1 1 37 9 2 1 9 0 9 0 2 20 5 .243 .311 .333 .645
2017 91 212 188 22 39 8 2 6 69 25 2 0 7 0 14 0 3 30 7 .207 .273 .367 .640
2018 62 109 87 12 19 3 0 3 31 21 3 0 3 2 13 0 4 27 2 .218 .340 .356 .696
2019 93 140 124 12 31 6 0 2 43 22 1 0 0 1 13 1 2 29 1 .250 .329 .347 .675
2020 63 84 73 10 12 1 1 1 18 7 0 0 3 1 6 1 1 18 3 .164 .235 .247 .481
2021 100 67 55 10 11 0 0 0 11 5 2 1 6 1 4 0 1 9 0 .200 .262 .200 .462
2022 47 28 22 4 3 1 0 0 4 0 0 0 0 0 6 0 0 7 0 .136 .321 .182 .503
通算:13年 684 1213 1055 136 241 36 5 18 341 116 16 8 40 6 97 2 15 211 24 .228 .301 .323 .624
  • 2022年度シーズン終了時

年度別守備成績



一塁 二塁 三塁 遊撃 外野




























































2010 ヤクルト - - 3 0 1 0 0 1.000 11 9 14 2 2 .920 -
2011 - - 2 0 1 0 0 1.000 1 3 3 1 3 .857 -
2012 - - 4 0 1 0 0 1.000 2 0 2 0 0 1.000 -
2013 7 60 5 0 6 1.000 - 5 2 11 3 1 .813 - -
2014 9 36 2 2 2 .950 - - 29 31 90 4 25 .968 11 9 0 1 0 .900
2015 6 7 0 0 0 1.000 - 1 0 1 0 0 1.000 - 50 67 3 0 0 1.000
2016 48 239 12 0 17 1.000 - 2 0 0 0 0 .000 - 5 5 2 0 0 1.000
2017 50 308 25 1 19 .997 - 15 7 12 2 1 .905 1 0 1 0 0 1.000 4 5 0 0 0 1.000
2018 29 100 3 0 11 1.000 3 3 6 0 0 1.000 7 0 3 1 0 .750 - 8 5 1 1 0 .857
2019 16 84 3 0 2 1.000 3 3 5 0 2 1.000 5 0 2 0 0 1.000 - 19 14 0 0 0 1.000
2020 5 6 0 0 1 1.000 7 4 3 0 0 1.000 - - 8 12 0 1 0 .923
2021 64 120 10 0 9 1.000 2 1 4 0 0 1.000 - - 23 6 0 1 0 .857
2022 29 34 2 2 2 .947 5 5 5 1 1 .909 - - 8 4 0 0 0 1.000
通算 263 994 62 5 69 .995 20 16 23 1 3 .975 44 9 32 6 2 .872 44 43 110 7 30 .956 136 127 6 4 0 .971
  • 2022年度シーズン終了時

表彰

記録

初記録

背番号

  • 24 (2010年 - 2016年)
    • 国鉄スワローズ時代の1962年以後、投手の番号[35]として扱われていたため、打者がこの番号を着けるのは阿井利治捕手(1955年 - 1961年)以来で、ヤクルトの経営となってからは初めてである。
  • 10 (2017年 - )

出典

  1. ^ ヤクルト - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2022年12月05日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『週刊ベースボール』64巻50号(ベースボール・マガジン社、2009年10月)17ページ。
  3. ^ a b スポニチ“2009年ドラフト指名者”. 2010年1月24日閲覧。[]
  4. ^ a b c d 『週刊ベースボール』64巻50号(ベースボール・マガジン社、2009年10月)16ページ。
  5. ^ a b 『週刊ベースボール』64巻50号(ベースボール・マガジン社、2009年10月)34ページ。
  6. ^ サンスポ“ヤクルト、ドラフト3位・荒木らと仮契約”. 2010年1月24日閲覧。
  7. ^ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト“スワローズファンの前で新人7選手の公開入団発表!”. 2010年1月24日閲覧。
  8. ^ スポーツ報知“開催!ドラ3・荒木先生の相談室…ヤクルト”. 2010年1月25日閲覧。
  9. ^ 日刊スポーツ“ヤクルトのドラ3荒木は宮本2世だ!”. 2010年1月25日閲覧。
  10. ^ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト“山本哲投手、荒木選手、松井淳選手、麻生選手が入寮!”. 2010年1月8日閲覧。
  11. ^ スポーツ報知“青木が激励!ドラ3荒木は遊撃定位置獲りだ! …ヤクルト”. 2010年1月24日閲覧。
  12. ^ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト“2010年春季キャンプ参加メンバー”. 2010年1月24日閲覧。
  13. ^ “【ヤクルト】MVP荒木「声援すごい」”. 日刊スポーツ (2011年7月21日). 2014年5月19日閲覧。
  14. ^ “42年ぶり6失策…ヤクルト 58試合目で自力V消滅”. スポニチ Sponichi Annex (2013年6月10日). 2013年6月25日閲覧。
  15. ^ “【秋季キャンプ第4クール最終日】キャンプ打ち上げ! 真中監督は「100点! 想像以上の内容だった」”. ヤクルトスワローズ公式サイト ニュース (2014年11月21日). 2015年12月19日閲覧。
  16. ^ “ヤクルト荒木2000万円 自己最多73試合に出場”. 日刊スポーツ (2015年12月3日). 2016年7月19日閲覧。
  17. ^ “https://www.nikkansports.com/baseball/news/1823580.html”. 日刊スポーツ (2017年5月15日). 2017年12月17日閲覧。
  18. ^ “ヤクルト荒木、オリックス駿太スカパー!サヨナラ賞”. 日刊スポーツ (2017年6月8日). 2017年12月17日閲覧。
  19. ^ “前日サヨナラ打のヤクルト荒木、今度は代打満塁弾 「自分でもビックリ」”. Full-Count(フルカウント) 野球ニュース・速報・コラム (2018年5月4日). 2022年4月24日閲覧。
  20. ^ “ヤクルトは山田哲人の1発などで連敗脱出! 清宮は3打数1安打【5月3日の試合結果】”. www.sportingnews.com. 2022年4月24日閲覧。
  21. ^ “ヤクルト小川監督「よく打った」荒木サヨナラ打称賛 - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年4月24日閲覧。
  22. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年9月25日). “ヤクルト・荒木、驚きのバスター弾! 1号2ランに「ホームランになってよかった」”. サンスポ. 2022年4月24日閲覧。
  23. ^ “「開幕一軍」の登録公示 ヤクルトは内野の元山がルーキー唯一のメンバー入り(ベースボールキング)”. Yahoo!ニュース. 2021年9月5日閲覧。
  24. ^ “【ヤクルト】荒木貴裕が100万円増の2600万円で更改「経験を後輩に伝えたい」”. スポーツ報知 (2021年12月8日). 2022年4月24日閲覧。
  25. ^ a b c d 勝田聡 (2022年3月10日). “ヤクルト・荒木貴裕の地味な存在感 チームに欠かせないマルチプレーヤー”. 【SPAIA】スパイア. 2022年3月24日閲覧。
  26. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年5月1日). “「昭和の男」荒木が平成3戦連続V打締め!ヤクルト、首位と0・5差で令和”. サンスポ. 2021年10月13日閲覧。
  27. ^ “2009年ドラフトの今を検証<ヤクルト編>。大成せずとも、脇を固めたいぶし銀。(小関順二)”. Number Web - ナンバー. 2022年11月29日閲覧。
  28. ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2015年7月9日). “【丸ごとスワローズ】努力の人荒木×天才川端イケメン対談「秘密は守らないとね」”. サンスポ. 2021年10月13日閲覧。
  29. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年5月1日). “「昭和の男」荒木が平成3戦連続V打締め!ヤクルト、首位と0・5差で令和 page2”. サンスポ. 2021年10月13日閲覧。
  30. ^ “ヤクルト・荒木貴裕内野手「荒木大輔さんがいたから呼ばれ方が変わりました」/ニックネーム | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年10月13日閲覧。
  31. ^ “プロ野球フレッシュオールスターゲーム2011 フォトギャラリー”. http://www.npb.or.jp/freshas/2011photo.html 2014年5月19日閲覧。 
  32. ^ “選手プロフィール 荒木 貴裕”. http://www.yakult-swallows.co.jp/players/2013/024_araki_r.html 2014年5月19日閲覧。 
  33. ^ “選手プロフィール 荒木 貴裕”. http://www.yakult-swallows.co.jp/players/2013/024_araki_r.html 2014年5月19日閲覧。 
  34. ^ “選手プロフィール 荒木 貴裕”. http://www.yakult-swallows.co.jp/players/2013/024_araki_r.html 2014年5月19日閲覧。 
  35. ^ 渋谷誠司高井諭大川章内藤尚行吉井理人花田真人等。

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 荒木貴裕 - NPB.jp 日本野球機構
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