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経歴・人物
愛媛県立西条高等学校卒業後、歌手を志し作曲家の(安部芳明)に弟子入りする。その師匠から渡辺プロダクションに紹介され、渡辺プロ入り。当時渡辺プロが経営していたライブハウス(2014年まで、加瀬邦彦がオーナーのケネディハウスの前身)にて辺見マリ、平山美紀、ら歌手志望の若者たちと共にステージに立ち修行していった。
1968年末、渡辺プロの意向でスクールメイツにいた山室英美子とデュオコンビを組むことを言い渡された。それがトワ・エ・モワとなり、トワ・エ・モワではボーカルおよびギターを務める。力強さと気品のあるハスキーな歌声で、多くのヒット曲を世に送り出した。
1973年6月のトワ・エ・モワの解散後は、トワ・エ・モワ・ファミリーという新ユニットで活動した。後に東芝EMIに入り、レコーディング・ディレクターを経て、1984年「FUN HOUSE(ファンハウス)」の設立に参加する。
ファンハウスでは岡村孝子、杉田二郎、陣内大蔵等のプロデュースを手掛けた。
1997年にトワ・エ・モワの再結成。時を同じくして、1998年からフリーの音楽プロデューサーとして活躍中で、「芥川澄夫ミュージックハウス」を主宰しボイストレーニング等の新人育成にも力を入れている。
関連項目
外部リンク
- トワ・エ・モワ公式サイト
- 芥川澄夫インタビュー