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織田 長易(おだ ながやす)は、江戸時代後期の大名。大和国芝村藩11代藩主。維新後は芝村藩知事。通称は主水、弾正。官位は従五位下・(豊前守)、(摂津守)。長政流織田家11代。
生涯
美濃国苗木藩11代藩主・遠山友寿の五男として誕生した。初名は友祝。
嘉永4年(1851年)8月15日、12代将軍・徳川家慶に御目見する。嘉永5年(1852年)3月13日、養父・織田長恭の隠居により家督を相続する。嘉永6年(1853年)11月7日、従五位下・豊前守に叙任する。慶応4年(1868年)1月24日、鳥羽・伏見の戦いにおける旧幕府軍の敗退を受けて上洛、新政府から大和国内の旧幕府領の取締りを命令される。小大名であったためそれまでは主体的に動けず、日和見的な態度をしていた。
系譜
子女は8男2女。