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祖母井 秀隆(うばがい ひでたか、1951年9月2日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手・サッカー指導者、経営者。
来歴
兵庫県神戸市で生まれ、幼少期は兵庫県芦屋市で育つ。宮川小学校、芦屋市立精道中学校、報徳学園高校を経て、大阪体育大学に入学[1]。
大学卒業後、1975年に読売サッカークラブに入団。半年で退団し、西ドイツに渡り、ドイツ4部リーグのBTSノイシュタント(BTS Neustadt)でプレー。退団後は引き続現地に留まり、ケルン体育大学でコーチング学を学ぶ。
1984年に帰国して、母校の大阪体育大学サッカー部および同好会チームの大体大蹴鞠団(佐川急便大阪SCの前身)でコーチを担当。
1995年からジェフユナイテッド市原・千葉(当時はジェフユナイテッド市原)の育成部長、1997年から2006年までゼネラルマネージャーに就任。
ドイツ留学時代に培った幅広い人脈を活かして、ヨーロッパからヤン・フェルシュライエン、ニコラエ・ザムフィール、ズデンコ・ベルデニック、ジョゼフ・ベングロシュ、イビチャ・オシム、アマル・オシムらを招聘した。
2007年よりフランスリーグ・アン所属で、当時日本のIT企業インデックス・ホールディングスが経営権を持っていたグルノーブル・フット38のGMに就任(5年契約)。一部昇格一年目となった2008-09シーズンに残留を決めたが、翌2009-2010シーズンはリーグ・アンにおける新記録となる開幕11連敗を喫するなど早々にリーグ・ドゥ(二部)降格が決まった。
また選手の年俸、移籍金についても、コストが増大。その影響でチームの運営継続が困難になる状況を作り出した張本人ともローカル紙では報道されている。グルノーブルは2010-2011シーズンも下位に低迷し、財政上の理由でアマチュアリーグである(フランスアマチュア選手権2)(五部)に降格した。
2010年12月に京都サンガF.C.のGMに就任した[2]。
2014年シーズン終了後に京都のGMを退任し、2015年より京都の育成部・普及部アドバイザーに就任すると発表された[3]。
2016年4月より、淑徳大学客員教授、サッカー部アドバイザーとして就任。2017年4月より、淑徳大学コミュニティ政策学部授業を担当。2018年1月1日付でVONDS市原を運営する株式会社VONDS市原の代表取締役社長兼ゼネラルマネージャーに就任した[4][5]。
2020年1月31日をもってVONDS市原代表取締役社長を辞任[6]。
家族
ドイツ人の妻と三人の子供がいる[7]。
著書
脚注
- ^ “芦屋ゆかりのスポーツ人物像”. 芦屋市. (2017年8月24日) 2018年1月18日閲覧。
- ^ 『祖母井秀隆 氏 ゼネラルマネージャー(GM)就任のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2010年12月1日2018年1月18日閲覧。 。
- ^ 『祖母井 秀隆ゼネラルマネージャー 辞任のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2014年11月19日2018年1月18日閲覧。 。
- ^ 『祖母井 秀隆氏 VONDS市原 代表取締役就任のお知らせ』(プレスリリース)VONDS市原、2018年1月9日 。2020年1月31日閲覧。
- ^ “【クラブ】祖母井(うばがい)秀隆新社長 単独インタビュー!”. VONDS市原 (2018年1月26日). 2020年1月31日閲覧。
- ^ 『【クラブ】祖母井 秀隆氏 VONDS市原 代表取締役辞任のお知らせ』(プレスリリース)VONDS市原、2020年1月31日 。2020年1月31日閲覧。
- ^ 祖母井秀隆『祖母力』株式会社光文社、2008年、219ページ、(ISBN 978-4-334-97534-0)。