地理
北は我孫子市布佐、東は茨城県利根町(布川)、南は浅間前、西発作に隣接している。
小字
- 六軒堤根南(ろっけんつつみねみなみ)
- 六軒堤根北(ろっけんつつみねきた)
歴史
江戸時代は相島新田であり、下総国相馬郡のうち。江戸前期から手賀沼開墾により成立した新田村。
寛文年間(1661年~1673年)に開発され、1682年(天和2年)から手賀沼新田請方の反高場となり、年貢を上納。1725年(享保10年)までは布佐村下あるいは布佐村分と称した所のうちと思われ、幕府領。1730年(享保15年)筧播磨守により手賀沼古新田のうち相島新田として検地され村高21石余、さらに1766年(明和3年)・1794年(寛政6年)にも検地が行われ、村高27石余となり、以後村高は『天保郷帳』『旧高旧領取調帳』ともに27石余で、『元禄郷帳』には見えない。1866年(慶応2年)の割付によると、田2町8反余。小物成には、鳥猟運上が永1貫880文、沼役永333文。鳥猟の布瀬村を親浜とする浜組へは1836年(天保7年)から参加。検地帳での屋敷数は、享保年間(1716年~1736年)に1、明和年間(1764年~1772年)に2[4]。
沿革
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
交通
道路
脚注
- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 (ISBN 4040011201) 51頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 (ISBN 4040011201) 1449頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。