地理
小字
- 築留(つきどめ)
歴史
江戸時代は浅間前新田であり、下総国相馬郡のうち、江戸前期から手賀沼開墾により成立した新田村。寛文年間(1661年~1673年)に開発され、1682年(天和2年)から手賀沼新田請方の反高場となり、年貢を上納した所のうちと思われ、享保年間(1716年~1736年)には浅間前分と称した。幕府領。村高は「元禄郷帳」には見えず、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに52石余。布佐村との境界沿いに集落を形成。1824年(文政7年)布瀬村を親浜とする六ヶ村浜組を形成、鳥猟運上を納めた[4]。
年表
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
交通
道路
脚注
- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 (ISBN 4040011201) 491頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 (ISBN 4040011201) 1449頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。