狩勝信号場(かりかちしんごうじょう)は、かつて北海道空知郡南富良野村(現:南富良野町)落合に存在した、日本国有鉄道根室本線の信号場である。事務管理コードは▲110409[1]。
狩勝信号場 | |
---|---|
かりかち Karikachi | |
◄落合 (7.9 km) (8.9 km) 新内► | |
所在地 | 北海道空知郡南富良野村落合 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 根室本線 |
キロ程 | 119.0 km(滝川起点) |
開業年月日 | 1907年(明治40年)9月8日 |
廃止年月日 | 1966年(昭和41年)10月1日 |
備考 | 1951年4月?より旅客扱い。新線ルート移行に伴い廃止。 |
1951年(昭和26年)からは仮乗降場を併設して旅客扱いも行っていたが、1966年(昭和41年)に勾配の緩やかな新線ルートの開通に伴い廃止された。
概要
1907年(明治40年)、後に根室本線の母体となった釧路線の落合 - 帯広間開業に伴い、前後を25パーミルの長距離勾配区間(特に新内駅側からはほぼその全区間が25パーミルの勾配)で挟まれた狩勝峠に、蒸気機関車への給水給炭施設として開設された。当時は「信号所」といった形態の種別がなかったため、旅客貨物取扱い等の一般営業を行わない「停車場(駅)」とされていたが、実態は信号所と同じであった[注釈 1]。1922年(大正11年)から正式に信号場となった。旅客取扱いは戦後の1951年(昭和26年)から開始されたが[注釈 2][注釈 3]、昭和初期の資料では、既に単式ホームが備えられていた[2]。新内方面の本線は構内からすぐに狩勝トンネルが接しており、新線ルート(新狩勝トンネル)への切り替えの理由の一つとなった戦後の労働争議の舞台となった。
歴史
信号場の構造
構内配線は通過可能形のスイッチバックである。分岐器を挟んで新内方に引き上げ線が本線と並行し、落合方に直線の着発線が2本と、停車時間が長い貨物列車などのための留置線が1本ある。本屋は分岐器より着発線側に若干寄った位置の東側に設置されていた。このX字状の配線は国鉄の信号場によく見られる配置で、本線の片方がすぐにトンネルになっているなど、ロケーションも含め、常紋信号場も殆ど同じ構造である。
列車交換または待避を行う場合、落合方からの下り列車は、一旦引き上げ線に入った後、後進で着発線へ入り停車、新内方からの上り列車は、狩勝トンネルを出た直後に直接着発線のどちらかに入るか、停車時間が長い貨物列車などは留置線に入って停車する。出発時は、下り列車はそのまま本線へ入り狩勝トンネルへ、上り列車は一旦後進で引き上げ線に入り、折り返して落合方本線へ向かう。