渋沢 芳昭(しぶさわ よしあき、旧字体:澁澤 芳昭、1929年〈昭和4年〉 - )は、日本の実業家、著述家、セントルイス日本会元会長(第7代-10代)[1][2][3]。曽祖父は渋沢栄一、祖父は渋沢篤二、父は渋沢智雄。長男に実業家の渋澤健。従兄弟に渋沢雅英、渋沢裕、渋沢彰。
経歴
1929年、子爵・渋沢栄一の孫・渋沢智雄(実業家)と妻節子の長男として誕生する。芳昭が生まれる前年の1928年に父の智雄が分家していたため、幼少期は分家の跡取りとして育てられたという。 戦後間もない1947年4月に父の智雄を亡くす。以降は一家の大黒柱として懸命に働いたという。長男・健が誕生した後に仕事の都合で一家をつれアメリカに転勤したため、長男健は日本の大学ではなくアメリカの大学で学んだ。また、分家という立場から従兄・雅英をよく支えているという。
また実業家として活動する傍ら1998年から2018年まで20年に渡ってセントルイス日本会会長(第7代、8代、9代、10代会長)を務め、2008年には旭日双光章を受賞している。
家族
- 渋沢家
- 母・節子(中村勇三郎の姉)
- 弟・芳則
- 弟・芳純
- 妹・百合子
- 妹・加代子
- 長男・健(1961年 - )
- 親戚
系図
「(渋沢氏#系図)」を参照
著書
- 「銀行員の英会話」(1964年)。