源 英明(みなもと の ふさあきら/つねよし)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。宇多天皇の孫。兵部卿・斉世親王の長男。官位は従四位上・左近衛中将。
経歴
昌泰4年(901年)の昌泰の変により、父・斉世親王が舅である菅原道真に連座して出家。それに伴い、幼年時代は不遇であった。
16歳で従四位下に叙せられ、翌年に侍従に任ぜられる。醍醐天皇の信任厚く、延喜23年(923年)右近衛中将、延長5年(927年)蔵人頭と要職を歴任した。延長8年(930年)醍醐天皇から朱雀天皇への譲位に伴って蔵人頭を辞する。承平元年(931年)宇多上皇が崩御すると以降は不遇で[1]、承平4年(934年)左近衛中将に遷るが、結局公卿への昇進は叶わなかった。
人物
父の真寂法親王が執筆していた『慈覚大師伝』を遺言として委ねられ、これを完成させた。清書を小野道風に依頼したが、装丁ができないうちに英明自身も没したという[3]。
漢詩に優れ「詩境には無限上手なり」と評された[3]。『(扶桑集)』『本朝文粋』『(類聚句題抄)』『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』『(作文大體)』『(和漢兼作集)』などに数十首の漢詩作品が採録されている[4]。家集『源氏小草』(全五巻)があったとされるが伝わらない[5]。不遇の詩人橘在列と親交があった。勅撰歌人として、『後撰和歌集』に和歌作品1首が入集している[6]。