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本朝文粋

本朝文粋』(ほんちょうもんずい)は平安時代中期(11世紀)の漢詩文集。14巻。藤原明衡撰。嵯峨天皇から後一条天皇まで(平安時代初期から中期の200余年)の時代の69人の漢詩文427編を分類し収める。

概説

模範となる文章を編纂した書である。文体によって賦、雑詩、詔、勅書、勅答、位記、勅符、官符、意見封事、対冊、論奏、表、奏状、書状、序、詞、行、文、讃、論、銘、記、伝、牒、祝、起請、奉行、禁制、怠状、落書、祭文、呪願、表白、発願、知識、廻文、願文、諷誦文の38に分類している[1]。分類は『文選』に倣ったものであるが、日本独自の仏教関連の願文や、文章・和歌等もあり、わが国の社会情勢に適したものに改めようとした意図が感じられる。

本書には多くの公文書が使用されている。そのため、明衡が文章博士や東宮博士の要職に就いた晩年期の編纂で、成立年代は康平年間(1058-1065年)と推定されている。書名は宋の姚鉉(ようげん、zh)の『唐文粋』(zh)に依ったものと見られる。

主な作者は、大江匡衡大江朝綱菅原文時紀長谷雄菅原道真源順大江以言兼明親王都良香紀斉名などで、菅原家・大江家の人物が多い。兼明親王「菟裘賦」[2]、慶滋保胤「池亭記」や三善清行意見十二箇条」、羅泰「鉄槌伝」[3]などの文章はよく知られている。

多くは四六駢儷文の美文調であり、公文書を含めてあらゆる文例が含まれている事から、文章の手本、故実典例として参考にされ、後世に与えた影響は大きい。江戸時代に至り、駢儷文が否定されるようになると省みられなくなった。

版本

刊本
  • 『本朝文粋 正続』(国書刊行会、1918年)[1]
  • 黒板勝美 編 新訂増補 国史大系 第29巻下(『本朝続文粋』と合刊)
吉川弘文館、1999年) (ISBN 4-642-00332-0)
(吉川弘文館、オンデマンド版2007年) (ISBN 978-4-642-04031-0)
注釈

関連文献

  • 大曾根章介『王朝漢文学論攷 『本朝文粋』の研究』(岩波書店、1994年) (ISBN 4-00-000253-8)
  • 土井洋一・中尾真樹 編『本朝文粋の研究 校本篇・漢字索引篇』(全3冊組、勉誠出版、1999年) (ISBN 4-585-10042-3)
  • 後藤昭雄『本朝文粹抄』(勉誠出版、2006年) (ISBN 4-585-05367-0)
  • 後藤昭雄『本朝文粹抄二』(勉誠出版、2009年) (ISBN 978-4-585-05407-8)

本朝続文粋

本朝続文粋(ほんちょうぞくもんずい)は「本朝文粋」の続編にあたる漢詩文集で、後一条天皇から崇徳天皇までの時代の作品約230編を集めたもの。13巻。成立は平安末期の保延6年(1140年)以降。藤原季綱の編とも言われるが未詳。続本朝文粋とも。

注釈

  1. ^ 日本古典文学大系(1964年)p33。「対冊」(官吏の試験問題)を策問(問い)と対策(答え)に分けると39分類になる。
  2. ^ 兼明親王は臣籍降下して源兼明となり左大臣にまで昇任したが、藤原頼忠を左大臣に就けるため、親王に復帰させられ中務卿(名誉職)になった。この人事に憤慨した兼明親王による漢詩。
  3. ^ 男性器を擬人化した「鉄槌」を主人公にした戯文。羅泰は仮名で、藤原明衡の作(『新猿楽記』にも「鉄槌」の語がある)とも言われるが不明。

外部リンク

  • 本朝文粋(コトバンク)[2]
  • 本朝続文粋(コトバンク)[3]

関連項目

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