源 師光(みなもと の もろみつ)は、平安時代中期から後期にかけての官人・歌人。源頼国の八男。官位は従五位下、蔵人、(相模守)、(信濃守)(『尊卑分脈』)。
略歴
主殿助を務め、治暦4年(1068年)に六位蔵人に補される(『扶桑略記』)。師光も兄弟らと並び歌道に邁進し、蔵人左衛門尉であった承保2年(1075年)に白河天皇主催の『殿上歌合』に出詠するなどしている。その後、相模守となり、晩年の永長元年(1096年)に病没した前任の(藤原永清)に代わり信濃守に任ぜられるが康和2年に(1100年)に卒去した(『中右記』『(勅撰作者部類)』)。
その詠歌は『後拾遺和歌集』以下の『勅撰和歌集』に計2首が入集する。後代、長子・(実俊)の子孫は代々僧侶の家系として続き、その子孫に後白河・後鳥羽・高倉三代天皇の御読経者となった宗厳があった。また三男・(満隆)の子孫は摂津国西成郡(福島荘)[1]を相伝する福島氏として存続した。