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渡辺 章綱(わたなべ あきつな)は、江戸時代後期の大名。和泉伯太藩最後(第9代)の藩主。伯太藩(渡辺家)11代。維新後、藩知事・子爵。
略歴
天保4年(1833年)、第8代藩主・渡辺潔綱の長男として誕生する。弘化3年(1846年)9月1日、第12代将軍・徳川家慶に御目見した。
弘化4年(1847年)5月23日、父・潔綱の隠居により、家督を相続した。同年12月16日、従五位下備中守に叙任した。後に丹後守に改めた。安政3年(1856年)2月8日、大坂加番を命じられる。また、日光祭祀奉行を務めた。元治元年(1864年)6月25日、大和橋などの警備を命じられた。慶応4年(1868年)3月16日、上洛する。
明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となるが、明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県で免官となる。同年9月28日、東京に移る。明治17年(1884年)、子爵となった。